緑地公園駅の風景

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    今日から出張後半で、大阪の自宅から東京へ移動中です。

    写真は自宅の最寄駅、北大阪急行の緑地公園駅です。

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    なんだか、ホームの屋根が頑丈そうにみえますが、実は、この屋根の上は自動車道なんです。

    1970年の大阪万博に合わせて道路と鉄道が開通し、鉄道は地下鉄御堂筋線の終点「江坂駅」の先に、緑地公園、桃山台、千里中央と三つの駅ができました。

    北大阪急行は阪急電鉄の路線ですが、国の予算で建設された鉄道なので、阪急の文字を使いづらかったそうです。

    でも、北大阪急行の中に、いつの間にか阪急の文字を入れていますね。

    さすが、大阪商人って感じです。

    開通当時、このあたりはタヌキが住むような山の中だったそうです。今は住宅が密集しながらも、服部緑地公園が昔の面影を保っています。

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    線路と公園に挟まれた一角に街があり、そこに私の家族が住んでいます。

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    街ができて35年、あちこち老朽化していますが、都心へのアクセスがいいので、割と人気があります。

    町内には、橋下府知事、関西の芸人さんなどの有名人が住んでいます。押尾コータロー君もいます。


    そうこうしているうちに、今日の用事はすべて終わりました。

    この部屋で、これから寝ます。

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    皆様、お疲れ様でした。

    真珠道を歩く(2) 真玉橋〜石火矢橋

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      真珠道(まだまみち)を歩く。

      第2回目は、真玉橋(まだんばし)から石火矢橋(いしびゃーし)までの道です。

      漫湖に流れ込む2つの川、国場川には真玉橋が、饒波川(のはがわ)には石火矢橋が、それぞれ架かっています。

      この2つの橋を経由して、真珠道は漫湖を北岸から南岸へ渡ります。

      坂本万七氏による、石火矢橋の古い写真です。

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      丸く大きな潮切りが、大雨の時の饒波川がどれほどの急流であったかを示しています。

      歴代、真玉橋も石火矢橋も何度も流されていますが、琉球王朝の技術の粋を集めたアーチ型の2つの石橋は、架橋以来沖縄戦までの約250年間、急流に耐え続けました。


      次の写真は、今の石火矢橋です。

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      悲しいほどに、何の変哲もない鉄とコンクリートの橋です。


      橋の向こうの緑の丘は、豊見城グスク跡です。

      琉球王朝以前の古琉球は、各地の按司(あじ)を統率した、北山、中山、南山と三つの王統がありました。

      この時代を三山時代と呼びます。

      南山に属する佐敷の按司であった尚巴志(しょうはし:1372-1439)は、中山、北山、南山の順に攻略し、琉球王朝の初代国王に就きます。

      沖縄の英雄の一人ですね。

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      豊見城の按司は、南山が滅んだ後も抵抗を続けていました。

      漫湖と深い森に囲まれたグスクは堅牢で、その攻略にはさすがの尚巴志も手を焼いたようです。

      そこで、尚巴志は美しい女性を豊見城の按司のもとへ送りこんだところ、彼女に一目惚れした按司は、彼女の希望通り饒波川に橋を架けました。そこへ現れた尚巴志の軍隊が橋を渡って石火矢をぶっ放し、豊見城グスクは陥落したらしいのです。それが、石火矢橋の名のいわれです。

      なんとなく説明が粗いのは、私がこの話を「本当か?」と思っているからですね。

      南山が滅びた後も孤軍奮闘を続ける豊見城の按司が、いくら美人の願い事であっても、グスクを護っている饒波川に、わざわざ橋を架けることはしないでしょう。

      一方、尚巴志が石火矢を使ったことは事実のようです。

      石火矢は、石や金属塊を火薬で飛ばす仕掛けです。

      当時の石火矢橋は木造で、後に建設された石橋には、城壁の石が使われたそうですから、石火矢の石が回り回って、橋の一部になったかもしれません。

      ワッターヤーヌ、メーヌ、サクラヤシガ

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        何度も確認しました。桜に間違いありませんでした。

        つい、二週間ほど前、与儀公園の桜が満開だと投稿したばかりなのに、なんで大阪で桜が咲いてるんでしょ?

        地球温暖化か?

        それにしても、美しいです。

        また、後で見にいこう!


        ウチナーグチの指導は、模合仲間のKさんでした。

        那覇→福岡→伊丹→羽田→那覇 と移動中!

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          出張で、南日本一周ルートを移動中です。

          那覇と福岡、那覇と東京をそれぞれ往復するよりも、航空運賃が2万円以上安くなります。

          こんな時、沖縄と本土の距離を実感しますね。

          福岡空港到着ロビーに展示中の、舁き山笠「威風震十方(いふうじっぽうにふるう)」です。

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          昨年の博多山笠で、実際に使われたものだそうです。

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          いいですねぇ、見てみたいです。

          久留米市で、昨夜と今日の午前中、ちゃんと仕事をして(あたりまえですが)、昼過ぎの便で伊丹へ移動しました。

          博多→大阪は新幹線に負けて、飛行機は飛んでいないと思ってましたが、こいつが飛んでいました。

          カナダ製のボンバルディアQ400です。

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          国内のローカル線は永く国産のYS11が使われていましたが既に引退し、今は、この機材か姉妹機が使われています。

          一時期故障を連発して、図らずも国産機の評価を高めてくれましたが、最近は大丈夫なようです。

          プロペラ機の魅力は、飛行高度が低いことと、巡航速度が遅いことにあります。つまり、空中に浮かんでるような気持ちになれるのです。

          今日は、残念ながら雲が多くて、瀬戸内海の美しい景色が、写真に撮れませんでした。

          沖縄観光で離島に飛ぶ場合、是非、プロペラ機を選んで下さい。

          美しい海と珊瑚礁が、すぐそこに見えます。

          そして、写真でおわかりのように、翼が胴体の上にありますから視界を妨げません。


          伊丹に着いて、モノレール駅にこんなポスターがありました。

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          すみませんねぇ。お見苦しいポスターで。

          大阪の遊園地、枚方パーク(「ひらぱー」と呼びます)のPRでした。

          不思議ですねぇ、大阪に長く住んでいると、こんなポスターにも違和感がなくなり、むしろ「あぁ、大阪に戻ってきた。」という気持ちになります。

          週末、自宅でダラダラして、出張の後半も頑張ります。

          那覇に帰るのは、来週火曜日です。

          真珠道を歩く(1) 金城橋〜識名坂

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            二三日前、真珠道(まだまみち)の地図が完成し、このブログで自慢したばかりですが、今朝さっそく行ってみました。

            実は、今日の昼の便で福岡に出張なのですが、宜野湾の会社に出るには時間が中途半端です。

            そこで、出社せず空港直行にしたため、午前中に時間ができたのです。

            こんな、おまけの時間は有効に使わないと、バチがあたりますからね。(あたらんか?)

            金城町の石畳道を下りたところに、安里川が流れていて、金城橋が架かっています。

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            ここから、石畳道とは反対側にある坂道が、識名坂(シチナンダビラ)です。

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            大変な上り坂です。残念ですが、石畳道ではありません。

            この坂を上ったところで撮られた、古い写真がありました。

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            昔の写真は不思議と風情がありますね。いい写真です。

            前道(めーみちー)から金城町に真珠道を抜けて来ると、識名坂の上で、一気に視界が開けます。このオバ様方は、吹きぬける風で汗を乾かしながら、景色を楽しんでいるのでしょう。

            その景色の今です。
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            金城の住宅地を石畳の坂道が、上っていきます。この丘の上が首里城です。

            識名坂の脇は繁多川(はんたがわ)公園で、椰子の遊歩道があります。

            椰子好きの私には、気持ちの良い場所です。

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            その繁多川公園に、こんな坂道がありました。

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            一見、石畳道にみえますが、実は、石畳風コンクリートの道です。

            お役所も、やれば出来るじゃないですか。

            これなら、子供が滑ったり、車がスリップしたりしなくて済みます。

            ここじゃなくて、本物をやってよ。本物を。


            あっ!!

            お願いのしかたが、生意気でしたか。

            本物をこんな風にして下さい。お願いします。

            つらいコインランドリー

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              昨年末の引っ越し以来、家具や電化製品を、言わば「ウチナー結マールシステム」により、皆さんに譲っていただき、不自由の無い毎日です。

              あと一つ足らないとすれば洗濯機ですが、ベランダにはソファーが置いてあることもあり、積極的な調達を行わないままでいます。

              そのため、週末は近所のコインランドリーで洗濯です。

              さて、近所のコインランドリーですが、

              洗濯機が小中大の3種類と、



              乾燥機の小と、



              大。



              うーん。充実のラインアップです。

              これなら、洗濯物がどんなにたまっていても、一気に解決できます。


              ところが、このコインランドリーには大きな難点があります。

              まず、駐車場で、酒を飲むな、客以外が駐車するなと注意を受けます。



              次に、看板2枚で、再度、飲食禁止と駐車禁止を警告されます。



              そして、入口の脇で、客以外の立ち入り禁止、警官巡回、ゴミ捨て禁止を警告されたり、お願いされたりします。



              もう、いいかげん、「はいはい、わかりました。」という心境ですが、今度は入口の扉で、立ち入り禁止を3度も注意されます。





              このランドリー、過去に相当いやなことがあったのか、徹底して、お願い、注意、警告を繰り返します。

              室内に入ると、少しは静かになるのかと思えば、














              はーーーーーーーーーーーっ。

              全部で22種類。

              枚数はもっと多いのです。同じものは省略してありますからね。


              このランドリーに、もちろん店員はいません。その代わりに貼り紙しているのです。

              口頭で注意することも、貼り紙も、実は同じことです。

              仮に、ここに店員がいたとして、この貼り紙と同じ内容を、同じ回数、利用者に注意できるでしょうか?

              注意されるほうはもちろんイヤですが、注意するほうも神経がもたないでしょう。


              このランドリーは、貼り紙によって、そのいやな役割から逃れているのです。

              いやな思いをせずに済むのです。

              そして、利用者が、注意、警告、お願いの洪水の中、いやな気分で洗濯をすることになります。


              これは、どう考えても異常です。

              貼り紙の数も異常ですが、ぺたぺた貼り付けて、利用者に、つまり客に対して「これで良し」とする考え方が、なお異常です。

              完成!! 真珠道マップ

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                何をやってるんだ、こいつ・・・・・。と思われるでしょうが、作りました。真珠道(まだまみち)マップです。

                GoogleMap9枚をつなぎ合わせ、ペイントで赤を入れたものです。

                右端が首里城、左端が奥武山です。

                V字の底、豊見城跡の周辺が一部不明ですが、まあ、そのうちわかるでしょう。



                真珠道は、琉球王朝時代の軍用道路で、有事の際には首里城の軍隊が真珠道を駆け抜けて、那覇港南側の屋良座森城(やらざむいぐすく)へ急行しました。


                少し詳しく説明します。

                首里城の守礼の門の脇が真珠道の基点です。

                そこから、島添坂(シマシービラ)を下り、続いて金城町石畳道を下ります。そして、安里川に架かる金城橋を渡り、識名坂(シチナンダビラ)の急坂を登ります。

                そこから、識名宮、識名霊園の西側を通り抜け、国場川まで坂を駆け下ります。

                真玉橋を渡り、豊見城グスクの脇を抜け、小禄を通過して、奥武山の南に到達します。

                その先、屋良座森城は既に埋め立てられ、米軍用地になっているため行き止まりです。


                地図を見て感じることは、何でこんなまわり道をしているのかということ。

                もっと短い距離にできるのに、と思います。

                そんな時は、昔の、少なくとも沖縄戦以前の地図を思い浮かべることが重要です。

                次の写真は、1945年、終戦の年に米軍が撮影した那覇です。



                漫湖は広く、奥武山は島です。

                この写真と真珠道マップを頭の中で照合すると、真珠道のルートが合理的になります。


                9枚目の地図を拡大してみました。

                小禄から北上した真珠道が、モノレールをくぐり、奥武山公園の南に到達したところです。



                先日、赤線の端っこに行ってみました。

                近所の住民しか通らないような道で、車の通行は無理です。



                真珠道の大半は拡張され、広い道路になっていますので、当時の面影が残る場所は、あまりありません。

                そこを通る人も車も、その道がかつての真珠道だとは思ってもいないでしょう。

                せめて、上の写真のような場所があれば、写真を撮り、マップに貼り付けようと考えています。


                完成したら、また投稿します。

                大城賢勇はいいヤツか?「野嵩の石畳道」

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                  前回の投稿で、護佐丸・阿麻和利の乱(1458年)から、金丸(尚円王)のクーデター(1469年)までの超概略を記事にしました。

                  その中で、なにか気になる男がいます。それが、大城賢勇(うふぐしくけんゆう)です。

                  賢勇は、鬼大城(うにうふぐしく)とも呼ばれたほど、武勇に優れた人物だったようです。

                  琉球王朝の王女、百十踏揚(ももとふみあがり)が、言わば政略結婚で勝連の阿麻和利に嫁いだ時、賢勇は付き人として同行しています。


                  現代版組踊「肝高の阿麻和利」では、阿麻和利と踏揚はやがて愛し合い、真の夫婦とりなりますが、阿麻和利は護佐丸の子に敵討ちされてしまいます。

                  刺された阿麻和利を抱きかかえた踏揚が悲しみにくれるシーンは、この組踊のクライマックスです。

                  死ぬ間際に阿麻和利は、「賢勇!踏揚を頼んだぞ!!」と叫びます。

                  そのシーンに涙を流した男(私です)は、読谷にある阿麻和利の墓とは遠く離れた南城市玉城に百十踏揚の墓があることを知ると、「これは、一緒にしてやらないと。」と思ったわけですね。

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                  そして、この単純男(私です)は、阿麻和利の死後、首里に戻った賢勇と踏揚が夫婦になったことを知ると、「踏揚!なんてことをするんだ!!」と叫びました。

                  「賢勇も賢勇だ。確かに阿麻和利は『頼んだぞ』と言ったけど、やっぱりそこは気を使わないと。」と思ったのです。


                  一方で、賢勇と踏揚は、最初から愛し合っていたとする説があります。

                  何事もなければ結ばれていたかもしれない二人でしたが、踏揚の父、尚泰久王の命令により、踏揚は阿麻和利に嫁いでいきます。その付き人を命じられた賢勇には辛い毎日だったでしょう。

                  最愛の女性が、目の前で他の男の妻になっているわけですからね。

                  この説を延長していくと、賢勇と踏揚は、首里が勝連に送り込んだスパイということになります。

                  阿麻和利は護佐丸を倒した後、次に首里を狙いますが、そのことを察知した賢勇と踏揚は、勝連城を脱出し首里へ走りました。

                  写真の石畳は、宜野湾市に残る「野嵩(のたけ)の石畳」です。



                  勝連から首里への最短ルートは、中城から普天間に抜ける道です。二人がその道を選んだとすれば、この坂道を駆け上ったことになります。

                  そして、二人の脱走に気付いた勝連兵が後を追ってきます。

                  この坂道は、「袖切り(すでぃちり)の道」と呼ばれています。追手の放った矢が、袖を引きちぎったという意味です。

                  天に祈った賢勇の言葉に応えて夜空から降ってきた大雨で、勝連兵のタイマツが消え、二人は逃げきることができました。

                  そして、首里に戻った賢勇に、尚泰久王が命じます。「勝連を討て」と。

                  阿麻和利の討伐に成功した賢勇は知花城を与えられ、踏揚を妻に迎えます。つまり、踏揚を取り返したのです。

                  そこで、単純な男(私ですが)は、こう思うわけです。「いやぁ、よかったなぁ。」と。


                  話はここで終わりません。

                  金丸のクーデターにより、琉球王朝は第二尚氏が支配することになり、第一尚氏の踏揚は命を狙われる立場となります。

                  賢勇は踏揚を連れて玉城に逃れようとしますが、途中で、金丸の部下に捕まってしまいます。

                  「頼むから見逃してくれ。私は必ず知花に戻るから。」と約束し、賢勇は踏揚を玉城に送り届けます。

                  そして、約束通り知花に戻り、金丸に殺されてしまうのです。


                  大城家の家系は今も継続していているそうです。大城の門中では500年以上もの間、賢勇のことが語り継がれていて、一門の意見は一致しているそうです。

                  「賢勇は踏揚を、心から愛していたのだ。」と。


                  琉球王朝に関する史実は、はっきりしていないものが多く、上記の2説のどちらが真実なのか、またいずれも真実ではないのかはわかりません。

                  わからないからこそ、ウチナーンチュの間で、ああでもない、こうでもないと話題になるのですね。

                  そう考えると、謎のままで真実がわからないということも、いいことだと思えてきます。


                  そうそう、「肝高の阿和麻利」では、毎年、賢勇役に希望者が殺到するのだそうです。

                  中高生もわかっているのですね。


                  以上のことから、今の私の中では、賢勇は間違いなくいいヤツです。



                  最後にもうひとつ、こんな噂があります。

                  賢勇の墓は今も知花城内にありますが、実は、そこには賢勇の遺骨は無く、すでに南部に移されているというのです。

                  移された先は、もしかしたら玉城かもしれません。

                  琉球八社(5)安里八幡宮

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                    琉球八社の五社目は、那覇の安里八幡宮(あさとはちまんぐう)です。

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                    琉球王朝の第一尚氏最後の王、尚徳(1441-1469)が建立したと伝えられています。

                    尚徳は、1460年に20才の若さで王位に就きました。

                    尚徳は、1466年に喜界島へ出兵し、琉球王朝の領土としましたが、出兵の直前にある者から、自ら兵を率いるべきだとの進言を受けました。

                    通常、国王が戦地に赴くことはありませんでしたが、その進言を受けた場所で、試しに鳥に向かって矢を射ったところ一矢で命中し、喜界島行きを決心します。

                    そして、喜界島の討伐に成功した後、戦の吉兆を得た地として、安里に八幡宮を建立したそうです。

                    尚徳はマラッカとの交易を始めるなど、優秀な国王だったようですが、29才の若さで生涯を終えます。そして、琉球王朝は第一尚氏から第二尚氏へと、歴史的な転換期を迎えます。

                    第一尚氏から、第二尚氏に時代が移る過程は謎が多く、すべてが解明されていません。

                    色々な事を知れば知るほど、次の興味が湧いてきます。

                    危ないから使わないで下さい

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                      この半年の間、月契約のレンタカーを使っています。

                      これまで、白いワゴンRでしたが、今月から、緑色のプレオに変更しました。

                      20110219170346_0.jpg

                      ワゴンRは室内が広く、引っ越しや、その後の家具の運搬に活躍しました。

                      古い車で、加速が悪いのは仕方がないとしても、ブレーキがプアで、沖縄の滑りやすい路面を走るには少し不安でしたので、車を変えてもらうことにしたのです。


                      プレオは元気な車です。

                      こいつのエンジンはツインカムで、スーパーチャージャーまで付いていて、ブロロロロと重低音がします。

                      まあ、生意気なエンジン音を出してはいても、しょせん軽は軽ですから、「ちびっ子のくせに粋がるなよ」って感じです。

                      加速の度に、そのブロロロロを聞かされると、「はいはい、わかりました。すごいねぇ。だけど、タバコは大人になってからにしてね。」と言いたくなります。


                      プレオ君には、PowerDriveと書いたスイッチがついています。

                      この上、何がしたいのかよくわかりませでしたが、一応押してみると、スピードメーターの横に、オレンジ色の文字が点灯し、「おおっ!」となりました。

                      しかし、何も起こりません。

                      仕方がないので、レンタカー屋のお兄ちゃんに電話で聞いてみると、

                      「ああ、それね。ハンドルのスイッチをダブルクリックするとシフトが変わるんですよ。危ないから使わないで下さい。」とのこと。


                      さっそく、やってみると、
                      お〜〜、なぁるほど。いつもはオートマだけど、カチカチってやるとシフトが変わる・・・と。

                      だから何なのかな?

                      と思いましたが、「俺のテクニックはオートマより上なわけさぁ。オートマなんて、かったるいだろ。なっ!」って人が喜ぶわけですね。

                      自動車メーカーも大変です。


                      私の勤務先の社長は、元プロのラリードライバーです。

                      モナコを拠点に、ヨーロッパを転戦し、表彰台の経験もあるようです。

                      山岳コースを非常識なスピードでぶっ飛ばして崖から落ちたり、雨の日のコーナーを攻めるためにわざとノーマルタイヤでスリップさせたり、シロウトとは発想がまったく違います。

                      腕の良し悪しや、気持ちが折れる折れないなんてレベルではなく、極限状態のプロドライバーは、発狂しているとしか、言いようがありません。

                      また、そうでないとできない商売だと思いました。


                      ちょっと、古波蔵大通りで意味もなく車線変更を繰り返してるそこのニイニイ、貴方がどれだけ頑張っても、プレオ君と大体同じレベルなんだから、そろそろ大人になれよ。

                      ハンドルのスイッチをカチカチやってても、マヌケなだけだよ。

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                      念願の沖縄生活を始めて14年になりました。
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