空を舞う水飛沫

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    暴風台風が通過して2日。沖縄本島の停電は完全復旧しました。

    私は、この地図のピンの位置にいます。

    読谷村の内陸部です。

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    次の写真を見て下さい。木の葉が枯れています。

    ホラー映画のシーンのようですが、どうしたんでしょう?

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    パパイヤの木も、こんな感じです。

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    去年撮った写真と見比べて下さい。同じ木です。

    CIMG4407s.jpg

    台風で東シナ海が大しけになり、読谷を襲った波がリーフで砕け、舞い上がりました。

    そして、その水飛沫が、強烈な風に乗り、空を舞い、海岸から3キロ以上離れたこの場所に降ってきたのです。

    植物に海水が降り注ぎ、葉が枯れてしまいました。

    雨が降れば、すこしは塩が流されたかもしれませんが、今回の台風は風台風で、雨量はわずかでしたからね。


    車にも、海水が降り注ぎましたから、早く洗車しないと、錆びてしまいます。

    今日も、ガソリンスタンドの洗車機には、長い列ができていました。

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    沖縄本島は、東シナ海や太平洋の広さに比べると、本当に小さな島です。

    島の半分くらいが塩辛くなってしまったみたいです。

    暴風台風一過

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      沖縄県の世帯の半分を停電に追い込んだ台風2号が、去ってゆきました。

      今朝から、那覇には青空が戻りましたが、停電は復旧しておらず、道のこちら側が通電していても、向こう側はダメといった状況です。

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      停電している地区は信号が働かず、車がこわごわ走っています。

      那覇IC近くの街路樹が、根こそぎ倒れていました。

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      この木は、こんな貧弱な根っこで、これまでよく頑張ってきたな、と思います。

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      街路樹の根っこはだいたいこんなものだと思いますが、あらためて見ると、かわいそうなほど、根がはれていません。

      今回の台風のような風が吹けば、抵抗しきれないでしょう。

      風が強かったと言うより、根が弱いわけです。


      停電の復旧には、今日いっぱいはかかるそうです。


      台風2号通過中!!

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        大型の台風2号が、沖縄本島の西側を通過しています。

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        雨は降っていませんが、風が強烈です。

        那覇市内の最大瞬間風速は50メートルを越えたようです。

        木の枝が折れ、看板が倒れ、地上のゴミがマンションの5階まで飛んできます。

        風でマンションが揺れています。

        那覇市内のあちこちで停電しているようで、私の部屋も瞬間的な停電を繰り返しています。

        このお店、古波蔵の写真屋さんですが、デージなことになってしまいました。

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        私が沖縄に来て以来、最も強い風だと思います。

        本土の皆さん、気をつけてください。

        今度の台風は要注意ですよ。

        沖縄市野球場の建替え

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          広島カープの春季キャンプ地、沖縄市野球場が建替えになるようです。

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          プロ野球12球団のうち、10球団が沖縄で春季キャンプを実施していますが、ここが一番オンボロでしたからねぇ。

          それが、ご覧のような新球場に生まれ変わります。

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          新しい沖縄市野球場は、カープの本拠地マツダスタジアムと同等の広さになるようですから、キャンプの成果が上がりそうです。

          カープファンとしては良いニュースではありますが、新聞の見出しを見た時は、「またか!」と思いました。

          街の衰退が問題になってる沖縄市は、国の予算でハコモノ建設を続けては、負債を増やすことを続けています。

          泡瀬干潟の無謀な埋め立ても、いつまでたってもあきらめません。

          で、今度の野球場の建設費は30億円で、そのうち20億円を防衛省が負担します。

          簡単に言えば、嘉手納基地の騒音慰謝料なのです。

          基地の撤去を求める世論の中、よくまあ、こんなお金を受け取れるものだと思います。

          プロ野球のキャンプ地には、選手だけではなく、ファンやマスコミが集まり、宿泊し、飲食するので、経済効果が期待できます。

          ですけどね。広島カープがここに居るのは、たった2週間です。しかも、一軍だけです。

          高校野球が盛んな沖縄で、野球場が足りないかと言えば、本島に15ヶ所もあるんです。

          それなのに、30億円も使って。

          やっぱり、どうかしています。

          キャンプシーズンの2月、沖縄は確かに暖かいのですが、雨の多い時期でもあります。

          それを嫌がって、ロッテや西武は沖縄に来ません。

          もし、カープが沖縄キャンプをやめたら、どうするんでしょ。

          首里久場川町「あやぐ食堂」

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            値段が安いのにボリューム満点、しかも美味しい。

            沖縄の食堂はこうでないとダメです。

            首里久場川町のあやぐ食堂は典型的な沖縄の食堂です。

            モノレールの終点首里駅から、北に100メートルほどのところにあります。

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            焼き飯、焼きそばが420円、定食類も充実の品揃えで、生姜焼き定食570円。もっとも高価な料理がAランチ820円です。

            この日は夜8時頃、食事に行きましたが、お店は満員で、当然、相席です。

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            お客さんは、家族連れ、単身赴任者風、友達同士、タクシー運転手など、いろいろです。

            この食堂のオバさんは注文を聞くと、その場から厨房に向かって、注文内容を叫びます。

            忙しい厨房からは、何の反応もありません。

            そんなことで伝わったのかなと、心配になりますが、伝わってるんですね、これが。

            店員がベテラン揃いで、チームワーク抜群です。


            ふと、東南アジアの街の食堂を思い出しました。

            ホーチミン、バンコクなどで、地元の人が使う食堂や屋台は料金が安いので、毎晩食堂通いをする家庭が多いそうです。

            沖縄の食堂にも、そんな雰囲気があります。

            1日500円で毎晩食べても、1ヶ月15,000円。

            電気代、ガス代、水道代、材料費、調味料などの費用を、自炊する私がその額でまかなう自信がありません。

            無駄な抵抗はやめて、食堂通いをするべきかと、ふと考えたりしました。

            仲間由紀恵さんの出身校

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              女優の仲間由紀恵さんは浦添市出身で、宜野湾市の沖縄タレントアカデミーに通っていたようです。

              宜野湾バイパス沿いにあり、私の勤務先から車で3分の場所です。

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              沖縄におけるタレントスクールもう一方の雄、沖縄アクターズスクールもすぐ近所にあります。

              こちらは、国道58号線沿いです。

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              このスクールからも、安室奈美恵さんや山田優さん、黒木メイサさんら、有名なタレントが育っています。

              人口あたりの芸能人輩出率を計算すると、沖縄はかなり上位にランクされる気がします。その上、世間が狭いことでは有名な沖縄ですから、芸能人情報をけっこう耳にします。

              私の自宅マンションの一階にあるカバのパン屋のご夫妻にとっては、「山田優ちゃんはご近所の女の子。」だそうで、つい最近もパンを買いに来てたそうです。


              仲間由紀恵さんの出身小学校、出身中学校はいずれも浦添市内の国道330号線沿いにあり、そこは私の通勤ルートです。

              こちらが、浦添市立内間小学校で、

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              こちらが、浦添市立神森中学校です。

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              仲間由紀恵さんの出身校を写真に撮って、それが何になるのか?

              などと考えないようにして下さい。

              「彼女がここにいました。」と言うだけの話ですから。

              寿とジョニー宜野湾の「前を向いて歩こう」

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                坂本九さんの「上を向いて歩こう」を知らない人はいないと思いますが、少し歌詞を復習してみましょう。

                作詞は永六輔さんです。

                上を向いて歩こう
                涙がこぼれないように
                泣きながら歩く
                一人ぼっちの夜
                幸せは雲の上に
                幸せは空の上に

                この歌をつらいと思った人がいました。

                沖縄を中心に活動しているバンド、寿(KOTOBUKI)のナビィさん。

                左の女性です。
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                涙がこぼれないように上を向いて歩くなんて、つらい。

                一人ぼっちで泣きながら歩く夜なんて、つらい。

                幸せが空の上や雲の上にあるなんて、つらい。


                そして、替え歌を作りました。この歌詞は永六輔さん公認だそうです。

                前を向いて歩こう
                涙がこぼれてもいいじゃないか
                泣きながら歩く
                ひとりぼっちじゃなかった夜
                幸せは空の上にはないよ
                幸せは胸の中に
                肝(チム)の奥に


                つらい時は我慢しなくてもいい

                泣いてもいい

                一人じゃない

                幸せは、もうすでに、あなたの胸の中にある。

                心の中にある。


                沖縄では知らない人のいない県産品歌手、ジョニー宜野湾さんも、この歌をカバーしています。

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                彼は、東日本大震災の復興チャリティー活動に、熱心に取り組んでいる歌手の一人です。

                先日、沖縄で開催された大規模なチャリティーコンサートでも、この歌が披露されました。

                その映像が流れた東北地方の会場のあちこちから、被災者の皆さんの、すすり泣く声が聞こえたそうです。

                もちろん、悲しくて泣いたのではなく、この歌のメッセージが、肝(チム)に響いたのでしょう。

                ためしに、声を出して歌ってみてください。

                本当に素敵なメッセージです。

                琉球王朝の忠臣・護佐丸盛春(3)

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                  護佐丸の乱と阿麻和利の乱を経て、結果的に王府を脅かす勢力はいなくなりました。

                  「共に謀反を企てたので、王府が征伐した」という形式が整ったわけです。

                  首里王府の描いたシナリオに、二人の按司がハメラレてしまったのですね。

                  特に、阿麻和利は、長年、悪玉扱いされ続けてきたわけで、まったくカワイソウとしか言いようがありません。

                  この時代にも、権力者にとって都合の良い、情報操作、世論誘導が行われていたということですね。


                  その話との関係は不明ですが、護佐丸の墓と、阿麻和利の墓を見比べてみましょう。

                  こちらが、中城城近くにある護佐丸の墓です。

                  沖縄で初めての亀甲墓だそうで、堂々とした立派なお墓です。

                  最後に不幸な目にあいましたが、長く、王府に忠誠を尽くしたかいがありました。

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                  墓の入口にはこのような案内碑が設置されています。

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                  一方、こちらが読谷にある阿麻和利の墓です。

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                  ひどい格差です。あんまりです。案内板もありません。


                  史実が事実と異なることが明らかになった時、今の行政は、阿麻和利の墓を彼の業績に応じたものに造り直すべきでしょう。

                  阿麻和利さん。死後にさんざん悪口を言われた上に、こんな扱いを受けて、さぞ無念だと思いますが、もう少しだけ辛抱して下さい。

                  (この記事は今回で終わりです)

                  琉球王朝の忠臣・護佐丸盛春(2)

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                    JUGEMテーマ:地域/ローカル

                    首里王府にとって、勝連の阿麻和利は脅威となり、首里防衛のために中城に配置した護佐丸にも警戒が必要でした。

                    これまでの定説では、護佐丸に謀反の動きがあると阿麻和利が王府に報告し、それを信じた王府が、阿麻和利を大将とする勝連・王府連合軍を中城城に向かわせたことになっています。(護佐丸の乱)

                    確かに、護佐丸は軍事力を整備していたでしょうが、それは勝連に対する備えであったはず。

                    どうして王府が阿麻和利の報告を真に受けたのか疑問が残ります。

                    この点、最近の歴史研究では、護佐丸の乱は、王府が護佐丸を討つための口実に過ぎなかったとされています。

                    だとすれば、忠臣・護佐丸が哀れです。

                    護佐丸は、中城城を包囲した勝連軍に王府軍が加わっていることを知り、反抗することなく、妻とともに自害しました。

                    最後まで、王府への忠誠を尽くした護佐丸は、沖縄芝居や組踊に頻繁に取り上げられ、沖縄における人気は絶大です。


                    さて、護佐丸を討った阿麻和利は、勢いに乗じて王府に攻め込みますが、王府の反撃に会い、勝連に退散したことになっています。

                    そこを、大城賢勇を大将とする王府軍が追撃し、阿麻和利は討たれてしまいました。(阿麻和利の乱)

                    阿麻和利は、護佐丸を陥れた上に、王府を攻撃したとして、永年、悪玉のレッテルを貼られていました。

                    このことについても、疑問視する考え方が定着しつつあります。

                    阿麻和利は領地の民衆を大切にし、民衆からも慕われていたことがわかってきたからです。

                    阿麻和利は王府軍に攻め込まれた時、民衆を戦に巻き込まないために、抵抗しなかったようです。

                    その証拠に、勝連城の何処を探しても、戦の跡が見つからないのです。

                    つまり、護佐丸は善、阿麻和利は悪とする伝承は間違いだったようなのです。(再び続きます)

                    琉球王朝の忠臣・護佐丸盛春(1)

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                      JUGEMテーマ:地域/ローカル

                      琉球王朝の第一尚氏は、6人が国王に就きましたが、そのすべての王に仕えた家臣がいました。

                      読谷山按司の護佐丸盛春(ごさまるもりはる)です。

                      護佐丸は北山征伐の功績により、王府の信頼を得ることとなり、居城を山田城から座喜味城へ移し、要職である北山守護職に就いています。

                      座喜味城は美しい曲線を描く城壁が特徴です。



                      護佐丸が勇敢な武将であるとともに、優れた築城家であったことがわかります。




                      護佐丸は北の守りを固めるべく、軍事力の整備に務めましたが、その軍事力が琉球王府にとっても、脅威となったようです。


                      当時、勝連城の阿麻和利が勢力を拡大していました。

                      王府は護佐丸に、首里と勝連の中間に位置する中城城に城を移し、首里を防御することを命じます。

                      中城城は、座喜味城に劣らず、美しい城です。

                      20110523165452_0.jpg

                      この城からは、北の勝連半島から南の知念半島まで、さらに、太平洋と東シナ海の両方を眺望することができます。

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                      15世紀の中頃、首里、中城、勝連の三者は、非常に緊迫した状況にありました。(続きます)

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