また、やっちまった・・・

0
    JUGEMテーマ:地域/ローカル

    沖縄に来て2年、ウチナーンチュとの関係は概ね良好で、世話になった人は数知れず、「あいつは嫌いだな」と思ったことがなく、逆に、私を嫌う人も、せいぜい数人といったところでしょう。

    ところが、私にとって天敵とも言える人達がいます。

    それは、ファーストフードの店員です。

    以前、A&Wの店員の対応に腹を立て投稿しました。どなたかが「まあ、そう怒るな。」とコメントしてくれても、今度はその方に食ってかかる始末です。


    自己嫌悪になりつつも、また、やっちまいました。今度は国場のマックです。

    今、マックでは、こんなクーポンを配っています。

    20110930003412_0.jpg

    この日、月見バーガーを注文したついでに、クーポンを出して無料ハンバーガーをお願いしました。このクーポンは、上半分がハンバーガーの無料券、下半分がMcRIBの割引券になっています。


    店 「McRIBのクーポンはお使いになりますか。」

    私 「そのクーポンは、月見バーガーには使えないでしょ。」

    店 「はい。」

    私 「じゃあ、使おうにも使えないじゃない。あぁ、そうか。McRIBを勧めてるのか。」

    店 「いいえ、違います。McRIBの割引券は明日から有効ですから。」

    私 「じゃあ、何なの? 言ってることがわからないんだけど。」

    店 「あっ、わかりました。結構です。」

    私 「結構なら、余計なことを聞くなよ。下半分を返してね。」

    店 「あっ、お使いになるんですね。」

    と、こんな会話になりました。


    その後、車の助手席に座っていた宮古さん(名前ではなく、出身が)とこんな話になりました。

    宮 「あれはないでしょ。」

    私 「そうだよな。あれはないよ。何を考えてるんだか。」

    宮 「違う。彼女は悪くない。」

    私 「えっ?」

    宮 「彼女は、クーポンの下半分はいらないの? って聞いたの。」

    私 「えっ、いるよ。」

    宮 「だったら、ちぎって上半分だけ渡さないと。」

    私 「あっ、そういうことか。だったら、余計なことを言わずに、ちぎって返せばいいじゃん。」

    宮 「そもそも、月見バーガーを注文しようとした時に、先に彼女に『月見バーガーいかがですか?』って言われて、ムカッとしたでしょ。」

    私 「ムカッとした。」

    宮 「彼女もそれに気づいたのよ。だから、商品を渡す時に、彼女はビビってしまってたの。」

    私 「それで、変なことを言ったんだな。」

    宮 「変なことは言ってない。だけど、ビビってるから、ぎこちない言い方になったのよ。もう少し優しく聞いてあげないと。」

    私 「・・・・。」


    そりゃあ、お前が悪いだろってコメントは結構です。

    もうわかりましたから、これ以上言わんといて!!

    宮古島海中公園の顛末

    0
      JUGEMテーマ:地域/ローカル

      去年の始め頃、宮古島で海中公園の建設が決まったとニュースで聞き、「またそんなこと。」と暗い気持ちになりました。典型的な箱モノ公共事業で、総工費9億円で国の負担が98パーセントだそうです。

      海中公園とは海中展望室のことです。階段を降りて海中の部屋に入り、窓から覗くと魚が泳いでるってやつです。私が子供の頃、どこかにこんな施設ができたと聞き、「へー。海の中が見れるのか。潜水艦みたいだな。すごい。」と思いました。

      しかし、それから何十年も経った今、美ら海水族館や大阪の海遊館を経験した子供達が、海中展望室に刺激を感じるでしょうか?

      何種類かの魚は見れるでしょうが、結局、どの窓から見ても同じ海に同じ魚が泳いでるのですから、10分もすれば飽きてしまいそうです。


      9億円も使うのなら、サンゴの保全に使ったほうが、宮古島にとってプラスと思いますが、それでは土建屋が稼げないからダメなんでしょう。


      その施設が今年の夏、オープンしました。

      ところが、工事をやってる間に、周辺のサンゴが死んでしまい、海中展望室の窓からはまったくサンゴが見えないのだそうです。

      何やってるんでしょうねぇ。


      まず、海中展望室を設置する場所のサンゴを周辺に移植すべきところ、それを充分にやらなかった。また、工事により舞い上がる土砂が周辺に飛散しないように、完全なフェンスが必要だったところ、それが不十分で、周辺のサンゴまで殺してしまった。ということのようです。

      周辺の海をよく知り、サンゴの保全に取り組んでいるダイバーたちが、これらのことを、再三、警告したにもかかわらず、宮古島市が工事を強行したようです。


      そして、オープニングのセレモニーで宮古島市長は「宮古島観光の起爆剤になる。」と言ったそうです。


      なるか!そんなもん!!

      宮古島まもる君の受難

      0
        JUGEMテーマ:地域/ローカル

        宮古島の宮古島まもる君です。宮古島警察署の職員で、15年前から島内で交通安全の監視任務にあたっています。

        20110929124200_0.jpg

        広い宮古島をまもる君一人で監視するのは大変だということで、島内某企業が独自のクローン技術により、まもる君を20人以上に増殖させました。

        すごい!!


        そのうち数人は台風などで殉職し、現在は19名です。そのうち1人は多良間空港に配属され、多良間まもる君と呼ばれています。残念ながらクローン企業は倒産してしまったので、今後の人数増は見込めません。

        そのシュールな顔立ちが観光客に人気で、まもる君を順に訪ねるツアーが盛況らしく、キーホルダーなどのキャラクターグッズの売行きも好調なようです。

        今や、宮古島の"顔"と言ってもいいでしょう。

        すごい!!


        さて、琉球新報によると、10日ほど前、まもる君2人が何者かに暴行を加えられ負傷する事件がありました。犯人は捕まっておらず、宮古島警察署が捜査中です。何故かは知りませんが、傷害容疑ではなく器物破損の罪だとか。

        負傷した2人の命には別状なく、2週間程度で、職場復帰できる見込みです。

        よかった!!


        さて、修復に、いや治療にあたっている島のペンキ屋さんは、「ペンキ塗りはプロだけど、顔を書くのはいつまでたっても苦手サイガ。」と語り、図らずも、まもる君を人気者にした人物が誰だったのかが、判明しました。

        20110929135744_0.jpg

        この顔が、きもかわいい、ゆるキャラ、癒し系などと絶賛されているのですね。


        ところで、私のブログでさえ、こんな記事でいいのか?と思いながら投稿しているところ、琉球新報や沖縄タイムスが記事にしてよいのか?と思います。

        私の親しい宮古人(みゃーくぴとぅ)の「宮古の紹介なら、もっと他にもあるサイガ。」という声が、今から聞こえてきます。

        沖縄の牛乳

        0
          JUGEMテーマ:地域/ローカル

          沖縄の牛乳は、森永、明治などの本土資本の他に、沖縄の数社が生産しています。

          県内企業のトップが宮平乳業。糸満の会社で、本島南部の農場で乳牛を飼育しています。値段が高いです。左手の製品が牛乳で268円。158円のほうは牛乳ではなく乳製品ですからね。

          20110926224911_0.jpg

          だいたい、乳牛などというものは北海道などの寒い土地が似合うわけで、沖縄のような暑い所ではお乳の出が悪いのですね。概ね、北海道の2割減だそうです。

          その上、暑さ対策で牛舎に大型扇風機や霧発生器などの設備が必要で、コスト増になります。

          それを補うためではありませんが、写真の牛乳は1リットルではなく、946ミリリットルです。つまり、5.4パーセント、量が少ないのです。

          20110926225436_0.jpg

          実はこれ、1/4ガロンなのです。米国統治時代の名残りです。森永や明治も、わざわざそれに合わせています。

          沖縄返還からやがて40年、本土並の1リットルに揃えれば良さそうなものですが、どの会社もそうはしません。

          その理由は、誰からも苦情が無いからだそうです。昔からそうなので、誰も気にしないようです。


          さて私は、大抵の場合、県産品の宮平の牛乳を買います。

          それは、こんな感じで、いつもお願いされているからです。

          20110926224937_0.jpg


          琉球王国を知る人 真栄平房敬さん

          0
            JUGEMテーマ:地域/ローカル

            琉球王国が消滅した年が1879年。この年の3月、尚泰王は家族や首里城で働いていた人々とともに中城御殿へ移りました。

            その中に20歳の人がいたとして、85歳まで生きたとします。すると、その人が亡くなったのは1944年(昭和19年)になります。

            さて、中城御殿の財宝を金庫や蔵に詰め込んだ真栄平房敬(まえひらぼうけい)さんは、今90歳。1944年には23歳でした。

            20110926165235_0.jpg

            真栄平さんの祖先は、代々王家に仕えていて、真栄平さん自身も中城御殿に出入りしていました。つまり、首里城に居た王家の人達、そこで働いていた人達と、真栄平さんは直接話ができたのです。

            そうした実体験に基づいた知識が真栄平さんに蓄積されています。歴史研究家が文献から過去を知ることとは訳が違うのです。王家の組織や人間関係まで熟知されているそうです。


            首里城の復元作業に真栄平さんの知識が役立ち、その様子はNHKのプロジェクトXに取り上げられました。

            真栄平さんは「私にとって、琉球王国は昔話ではない。」と言われています。


            この話から、琉球王国の消滅がつい最近の出来事なのだと思える一方、そんな体験をされた方が真栄平さんで最後なのかもしれない、とも思えます。


            この話。私には、琉球王国が遠ざかっていくように聞こえました。

            首里の中城御殿跡

            0
              JUGEMテーマ:地域/ローカル

              首里城を出た尚泰や家臣が移った中城御殿(なかぐすくうどぅん)は龍潭(りゅうたん)の畔にありました。

              20110924182329_0.jpg

              首里城を写真に撮るには良い場所ですが、城から少し距離がありますので、ここまで来る観光客は少ないようです。

              その場所の東側に長い塀が続いています。かつて中城御殿を囲んでいた塀で、戦後復元されたものです。

              20110925175424_0.jpg

              次の写真が正門のあった場所です。

              20110925175447_0.jpg

              つい最近まで沖縄県立博物館がここにありましたが、おもろまちに移転したため、現在は空地となり、御殿跡の発掘調査が行なわれています。

              20110924182514_0.jpg

              中城御殿の間取りはこんな感じです。元々、琉球国王の後継ぎの住む御殿でしたから、立派な造りです。

              20110924183215_0.jpg


              尚家の財宝の大半は、中城御殿で保管されていました。王冠や衣裳、調度品、古文書や国王の肖像画などです。

              沖縄戦が近づいたため、それらの財宝を御殿の金庫や蔵、地下の洞穴などに移したのですが入りきれず、御殿の部屋に溢れていたそうです。その作業にあたった一人が真栄平房敬(まえひらぼうけい)さんです。

              この方の祖先は代々尚家に仕えており、御自身も中城御殿に出入りされていました。

              戦後、南部に避難していた真栄平さんが首里にかけつけたところ、首里城も中城御殿も焼失していましたが、金庫や蔵は奇跡的に残っていました。

              ところが、その中にはあるはずの財宝がありません。どうやら、米軍が戦利品として本国へ持ち帰ったようです。戦後、その一部が米国で見つかったため、今も米国のどこかにあることは間違いないようです。


              10年ほど前に、真栄平さんたちの記憶を頼りに財宝のリストが作成され、その一部が米連邦捜査局(FBI)の盗難美術品ファイルに登録されました。つまり、見つかれば戻ってくるのです。

              その量や質は、現在、沖縄県立博物館や那覇市歴史博物館に保管されている物とは比較にならないそうです。


              尚家の財宝が沖縄戦で失われなかったことは幸いでしたが、戦後66年も経って、いまだに見つからないのは困ったことです。財宝の一部が見つかった時が捜索のチャンスだったようですが、その時に沖縄県(もしくは琉球政府)が積極的に動かなかったようです。

              駄目ですねぇ。

              テンペストの登場人物(2) 尚泰王

              0
                JUGEMテーマ:地域/ローカル


                琉球王朝最後の王は尚育の次男尚泰でした。

                父の尚育が34歳の若さで病死したことや、兄が13歳で亡くなったことから、尚泰はわずか4歳で琉球国王に就いています。

                20110925181258_0.jpg

                そして、1879年の琉球処分により王国は消滅してしまいます。尚泰が36歳の時です。

                首里城の明け渡しを体験した人は昭和の初期頃まで健在で、数多くの証言が記録に残されています。

                明治政府の琉球処分官が軍隊とともに首里城に来た際、戦いを挑もうとする意見もあったようです。しかし、尚泰は「アラン、シンカヌヌチ、タブイセーマシ(いや、臣下の命をながらえたほうがよい)」と述べ、城の明け渡しに応じました。


                尚泰は1879年3月29日の夕方、首里城東側の継世門から城を出ました。人々の泣き叫ぶ声の中、王の行列はまるで葬儀のようだったそうです。

                尚泰の引越し先は、尚家の後継ぎに与えられていた中城御殿でした。龍潭(りゅうたん)の畔にあり、首里城を正面に望めます。

                20110924182329_0.jpg

                写真家の坂本万七さんが戦前の中城御殿を写真におさめていました。

                こちらが正門で、

                20110925175703_0.jpg

                次が正門裏です。

                20110925175722_0.jpg

                以降、尚泰は侯爵の身分を与えられ、主として東京で生活します。そして、1901年に59歳で亡くなりました。墓所は琉球王家の陵墓・玉陵(たまうどぅん)です。

                国家の侵略、併合、吸収が、つい最近行なわれたことに、あらためて気付きます。


                初めての沖縄から今日まで

                0
                  JUGEMテーマ:地域/ローカル

                  カレンダーを見て「あれっ」と思ったのは、沖縄生活を始めた日が一昨年の9月20日だったからです。気が付かないうちに2周年が過ぎていました。

                  ついでに、初めて沖縄へ来た日を思い出してみると、それは2002年6月。9年前のことです。44歳にして初めての沖縄。遅いですよねぇ、やることが。

                  夕方、那覇空港に到着して、沖縄そばを初めて食べ、「美味い!!」って思ったんですね。考えてみると、この時私は人生の岐路に立っていたんです。

                  その頃、仕事の質、量ともに充実した時期でしたが、一方で、現実逃避の場所として「沖縄はいい」とも考えていました。


                  そして翌年、私は22年勤めた某鉄鋼メーカーを退職し、大阪の某IT企業の雇われ社長になりました。沖縄へ行くには時間とお金が必要ですが、収入が増えたので、制約は時間だけになりました。

                  その3年後、私は那覇に本社のある某ベンチャー企業に転職してしまいます。沖縄で働ければ時間もお金も制約になりませんからね。ところが、不幸なことに東京支社の配属となり、芝公園の高層ビルの窓から東京湾を眺めるハメに。

                  それから更に3年後、沖縄転勤の気配が高まる中、その会社は破産してしまいます。ありゃりゃりゃ。

                  やむなく大阪へ戻り、友人の経営する会社に転がり込もうとしたところ、那覇の某弁護士事務所から電話がありました。「しばらくの間、破産管財をやってくれないか。」と。会社をたたむのは結構大変です。那覇地方裁判所が指名した破産管財人弁護士に雇われる格好で、半年間の仕事をこなしました。

                  その直後、破産した会社の孫会社の社長から電話がありました。「親会社も、その親会社も破産したけれど、俺は事業を続けたい。」と。そして、その孫会社の独立を手伝うために、沖縄に越して来たのが2年前です。


                  実際のところは、こんなに単純ではないのですが、沖縄に住みたいという意識は常にあって、結局、無数にあった意思決定スイッチを、沖縄に向かって押し続けた結果、私は今、沖縄にいるのでしょう。

                  じゃあ、何故沖縄なのか?

                  一言で言えば、異文化への興味なんでしょう。「ここにしか無い」ものが沢山ありますからね。沖縄には。

                  毎日、玄関を出るたびに「今、沖縄にいる(だから、良かった)」と思っています。

                  支那そばって何だ?

                  0
                    JUGEMテーマ:地域/ローカル

                    与儀交差点から寄宮交差点へ繋がる県道222号線から与儀タンク通りへ抜ける細い道があります。交差点の信号待ちを省略できるので交通量が多く、地元の人なら誰でも知っています。

                    その抜け道の途中、つまり、与儀の住宅街に最近、そば屋が開店しました。

                    20110923204551_0.jpg

                    店の名は、支那そば「三角点」です。

                    20110923204616_0.jpg

                    支那そばって何でしょう?


                    明治時代に中国から小麦粉の麺が日本に伝わり、蕎麦粉の麺、つまり日本そばと区別するために、それを支那そばと呼んだそうです。

                    戦後、「支那」という言葉の使用を自粛することになり、以降、中華そばと呼ぶことになりました。そして、今はラーメンと呼びますね。


                    沖縄でも本土と同時期に支那そばが伝わりましたが、こちらは独自の進化を遂げ、後に琉球そばになり、1972年の沖縄復帰以降、沖縄そばとなりました。沖縄そばが誕生したのは割と最近なんです。


                    つまり、本土では支那そば、中華そば、ラーメンと名前が変化し、沖縄では支那そば、琉球そば、沖縄そばと変化したことになります。

                    ですから、支那そばはラーメンと沖縄そばにとって、共通の祖先になります。ラーメンと沖縄そばは従兄弟だと言っても良いでしょう。


                    沖縄そばの麺はラーメンの麺より太く、その食感はうどんに似ています。

                    また、ラーメンの麺は茹でた後、水で冷ましますが、沖縄そばの麺は油をまぶして自然冷却します。気温の高い沖縄でも保存がきくように油を使うのですが、そのことも麺の食感の違いになっています。

                    そして、沖縄そばのスープは、豚や鰹で出汁をとり和風の味に仕上げます。

                    かくして、沖縄そばとラーメンは、麺もスープも違うものになったのですね。

                    そうそう、具材も違いますね。沖縄そばの具材は豚の三枚肉と沖縄カマボコ、紅生姜などで、調味料としてコーレーグースを使います。


                    本土から来た人に、「結局のところ、沖縄そばって、うどんか?そばか?ラーメンか?」と聞かれたら、面倒なので「食べればわかるよ。」などと答えることにしています。

                    真面目に説明すると、以上のようなことになりますが、途中で「もういい、もういい。」と言われそうですからね。


                    本題に戻りますが、結局、支那そば「三角点」はラーメン屋さんです。麺やスープに特別のこだわりがあるので、ラーメンとも中華そばともせず、支那そばとされたようです。


                    あっ、それから、大阪のおばちゃんに「ほんなら黄そばはなんなん?」と言われそうなので、調べました。

                    昔、大阪の某所に、うどんもそばも中華そばもメニューにいれた店がありました。うどんとそばは同じスープを使えますが、中華そばは別のスープを用意することになります。

                    それが面倒になって、ある日、うどんやそばのスープを中華そばに使ったところ、「案外いけるやん!」ということになり、そのそばを黄そばと命名したそうです。

                    私は黄そばを食べた覚えがないのですが、想像するに、ラーメンより沖縄そばに近い味になりそうです。


                    長い話になりましたが、「もういい、もういい。」と言わず、最後まで読んで下さり、ありがとうございました。

                    野田首相の約束

                    0
                      JUGEMテーマ:地域/ローカル

                      米国訪問中の野田首相が「日米合意を遵守し、普天間基地の辺野古移設を実現する。」と約束しました。

                      沖縄の全ての首長と議会が反対している状況下で、どんな戦略を想い描いているのか。何も考えずに、目の前の相手に心地良い言葉を発しただけなのか。

                      同行の玄葉外相は就任時に「踏まれても蹴られても誠心誠意、沖縄の皆さんに向き合っていく。」などと馬鹿な発言をし、ウチナーンチュを絶句させました。

                      沖縄を踏んだり蹴ったりしてる側の人間が、一体、誰に踏んだり蹴ったりされるのか。この方も、まったく何も解っていないどころか、何か勘違いしているとしか思えません。


                      仲井真沖縄県知事は今、ワシントンにいます。そこで「日米合意を実現するには、銃とブルドーザーによる方法以外にない。それでもやるのか。」と発言しました。

                      同じ国の首相と県知事が、同じ日に、米国で真反対の発言をしたわけです。異常、異様としか言いようがありません。


                      鳩山元首相が普天間の県外移設を約束し、無抵抗のまま辞任に追い込まれました。今回の野田首相は、鳩山氏よりも更に酷い、大変なことを言ってしまった気がします。

                      「終わりの始まり」という言葉がありますが、野田政権は早くもその時期を向かえたようです。


                      米国にとって、辺野古の基地建設は国益にかなう話です。一方、首相と県知事の発言のどちらが合理的かと問われれば、県知事を支持する気がします。

                      だけどまあ、損する話でもないし、首相が「やる」と言ってるんだから、やらせとこうかと思っているのでしょう。


                      日米首脳会談の舞台裏で、米国の笑い声が聞こえます。「どこまで馬鹿な国なんだ」と。

                      calendar
                          123
                      45678910
                      11121314151617
                      18192021222324
                      252627282930 
                      << September 2011 >>
                      プロフィール
                      profilephoto


                      念願の沖縄生活を始めて14年になりました。
                      沖縄の生活、文化、風土、音楽、政治などの話題を投稿しています。 (y_mizoguchi@yahoo.ne.jp)
                      Twitter
                      お勧めの本と映画
                      selected entries
                      categories
                      archives
                      recent comment
                      recent trackback
                      profile
                      search this site.
                      others
                      mobile
                      qrcode
                      powered
                      無料ブログ作成サービス JUGEM