牧志の散歩(1) 牧志のナカミチ

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    牧志と聞いて真っ先に思い浮かぶのは、牧志公設市場でしょうか。でも、公設市場の住所は松尾2丁目。牧志じゃないんですよ。

    公設市場から市場本通りを挟んだ反対側、つまり、水上店舗、平和通り、桜坂あたりが牧志3丁目です。

    そして、公設市場から見て、国際通りの反対側。沖映通りより西が牧志1丁目、東が2丁目です。

    このうち、最初に牧志の集落ができたのは、牧志2丁目付近です。つまり、牧志2丁目が、牧志の中の牧志、牧志オブ牧志ってことになります。

    次の地図は牧志2丁目の東半分を示しています。黄色の道路が国際通り、右上をモノレールが走っています。

    そして、この地図をグッと睨むと、牧志集落が見えてくるんです。

    20130430161354_0.jpg

    地図の下端に牧志交番が示されていますね。

    そこから、那覇セントラルホテルの前を抜けているのが牧志のメーミチ(前道)、マックスバリュ牧志店の裏を抜けているのがクシミチ(後道)です。そして、牧志交番正面の道がナカミチ(中道)、つまり、牧志のメインストリートです。


    一般的に、メーミチとクシミチに挟まれたゾーンに集落が形成され、その外側は田圃や畑です。つまり、那覇セントラルホテルやマックスバリュ牧志店は、かつての田圃に建っていることになりますね。


    さて、私は今、牧志交番の前に立ち、ナカミチの入口を見ています。私の前を横切る道路は国際通りです。

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    では、ナカミチに入ってみましょう。

    20130430170632_0.jpg

    国際通りから徒歩1分で、こんな街並みになるのが驚きです。

    20130430170652_0.jpg


    もう少し、牧志を歩いてみます。

    (続く)


    南風原町与那覇の村獅子

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      南風原町与那覇には、二体の村獅子がいます。

      そのうちの一体がこちら。色々とアングルを変えて、なるべく男前に撮りました。

      20130423141527_0.jpg

      それが、真正面から撮るとこんな。

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      私の勝手な想像ですが、塀を築く位置に獅子がいたので、塀の上に乗っけたのではないかと。

      どこかで見たことがあるなと、しばらく考えたら、この人でした。マンガ「味いちもんめ」に登場する親父(名前は知りません)。

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      もう一体はこちら。

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      こちらは、台座のお尻が塀の上に乗ってます。


      どちらも丁重に扱われているとは言えないが、無視されているわけでもない。今の時代、村獅子の扱いは、そんな感じです。

      たまたま、獅子の場所がグスクの中とか公園の一角などなら、案内板でもつけて、それらしく扱ってもらえるのでしょうが、住宅地では仕方ありません。

      まあ、屋根の上のシーサーが増えたことだし、村獅子に頼らなくても、悪霊封じはできてるんでしょう。


      話は変わりますが、与那覇集落の西隣にある宮城集落には、羽衣伝説が伝わっていまして、公園の土手にはこんな絵が描かれています。



      更に、与那覇集落の北側にある運玉森(うんたまむい)には、沖縄版ネズミ小僧の運玉義留(うんたまぎる)の住処がありました。

      そして、与那覇集落には、沖縄版浦島太郎の隠作根子(うさんしー)が住んでいたんですね。そのお墓が今も残っていまして、その周辺は隠作根嶽(うさんにだき)と呼ばれる御嶽になっています。

      つまり、この一帯は、ちょっとした民話ゾーンなんです。

      那覇の中心街から与那覇集落まで、距離は約10キロです。昔の距離感としては、民話の里として適度な位置ってことなんでしょう。


      ローリエはろ〜らった?

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        C「Aさん。」

        A「なんね。」

        C「ローリエの葉っぱを発注したら、粉末が来ちゃったのよね。」

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        A「ロォ〜リエってなんね。」

        C「だから、葉っぱ。香辛料。」

        A「ふ〜ん。」

        C「保育園には、後から俺が届けるって言っといて。」

        A「わかった。言っとくさ。」


        で、Aが配達から戻って来ました。

        A「Cさん。ロォ〜リエはろ〜らった?」

        C「(笑)相変わらず、笑わしてくれるな。」

        A「確かに面白かったねぇ、今の。」

        C「えっ?。わかるの?」

        A「『ロ〜リエはろ〜らった?』だろ。フォッ、フォッ、フォ。」

        なんだこいつ、わかってたのか。


        Aの脳は、「ローリエはどうだった?」と喋りなさいと、自分の口に信号を送ってるはず。ところが、Aの口は「ロォ〜リエはろ〜らった?」と発音してしまうんですよね。

        それでもA自身は、正しく発音してるつもりなんだと思ってました。

        違うんですね。

        つまり、Aの口が「ロォ〜リエはろ〜らった?」って発音したのを、Aの耳が聞いてるんですよ。

        それを笑うなんて、なんとも複雑なことをするやつです。

        それで時々、

        「シャダラナ。ん?。シャダラナ。」とか、

        「きゅ〜い。フォッ、フォッ、フォ。」とか、

        「ぼっこりぃ。ん?。ぶっこりぃ。ん?。」とか、

        ブツブツ言っては、ニヤッとしてましたが、あれは、自分にウケてたんですねぇ(笑)。


        (注)サラダ菜、キウイ、ブロッコリーです。念のため。


        こちらは月桂樹の幼木。沖縄でも、民家の庭などで、時々見かけます。

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        与那原町板良敷の次郎坂

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          板良敷と書いて、イタラシキと読みます。

          そこに次郎坂という名の急坂があると聞き、坂道マニアのワタクシ、さっそく行ってきました。

          「お〜〜!!」

          これはナカナカ有望な坂道です。今いる位置でもソコソコ急坂ですから、先が楽しみです。

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          当然、坂道は上へ登るほど急になるので、次の写真あたりからが勝負です。

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          坂の勾配は、坂を見るより車のボンネットで実感できるかもしれません。車は空に向かっています。

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          「お〜〜〜っ!!」

          このあたりが、最大斜度か?

          ここでポロッとリンゴを落としたら、それはリンゴを失うことと同じです。

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          急坂を登るのが、なんでこんな楽しいのか、自分でもよくわかりません。

          しかし、楽しい!!


          さて、次は下りです。

          ジェットコースターが一番高い所に登りきり、「さあ、落っこちていくわよ。」の時の感覚です。

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          海が綺麗です。

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          これまで経験した沖縄の急坂で、輝く暫定第一位は豊見城市真玉橋のアンマーウンケーの坂

          この日の次郎坂は暫定第二位となりました。海の景色を眺めてるってことは、余裕があるってことですからね。

          暫定第三位は僅差で複数の坂がありますが、代表して、真和志高校近く、那覇市真地の地獄坂ってことにしておきます。


          おっ、次郎坂の名前の由来を書き忘れていました。それは実に簡単で、坂下の会社が次郎工業なのでした。

          この坂を登ってみたい方は、この看板を目印にどうぞ。

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          南風原町兼城の村獅子

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            南風原町兼城には、東西2体の村獅子がいます。

            東の獅子は、兼城の自治会長さんが、つい最近製作されたものなので、すんませんがパスさせていただき、西の獅子へ向かいました。(南風原町に明るい方、業務スーパーの横の坂を登ったところです。)

            おおっ、案内板がありました。どんな獅子なのか、期待が持てます。

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            なんだ、こいつ。_| ̄|○

            最初に冬瓜、次に大山椒魚を思い出しましたよ。

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            風化が進んていて、表情がよくわかりません。


            通常、村獅子は八重瀬岳の方向、つまり南を向き、ヒーゲーシ(火返し)するか、村の入口でフーチゲーシ(悪霊返し)しています。

            ところが、兼城の村獅子は村の入口にあるわけではなく、向きも北西です。

            そして、その視線の先にいるのが、このお二人です。上間の村獅子「ミートゥンダシーサー」

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            上間の獅子が兼城を睨めば、兼城の獅子が上間を睨み返す。両者は国場川の両岸で睨みあってるのですね。

            三山時代、国場川は国境の川でしたが、三山統一より、二つの集落は同じ国になりました。まあ、しかし、川を挟んだ集落ですから、その後も仲良くできなかったんでしょう。


            上間の獅子が兼城に対するケーシなら、兼城の獅子はそのまたケーシ。つまり、ケーシゲーシ(返しの返し)か?

            それを再度睨み返す上間の獅子はケーシゲーシゲーシ。で、それをまた、兼城の獅子が・・・。

            もうええわ。


            まあ、どちらの獅子も既に年老い、眼の焦点も定まっていないようだから、最近はお互いを睨んではいないのでしょう。

            と、うまくまとめてオクカ。


            梅崎晴光著「消えた琉球競馬」

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              去年の暮れ、おもろさんに勧められたこの本。

              梅崎晴光著「消えた琉球競馬」

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              遅くなりましたが、読了しました。


              琉球競馬は馬の速さを競うのではなく、走る姿の美しさを競うものでした。つまり、競馬よりも乗馬、スピードスケートよりもフィギュアスケートに近い競技だったようです。

              戦前までは、沖縄全域に約200ヶ所の馬場がありました。これは主な集落ごとにあると言ってよい数です。

              何故、それほどまでに琉球競馬は庶民に受け入れられたのか。何故、速さではなく、走る姿の美しさを競ったのか。それが何故、廃れてしまったのか。

              その理由はいずれも、この本で明らかにされています。それは、偶然ではなく必然。当時の沖縄の暮らしに深く関係したものでした。


              琉球競馬は、その記録がほとんど残っていない上に、観戦経験のある世代は、既に年老いています。梅崎氏は、この本の出版が、琉球競馬を記録に残す最後のチャンスと考えていました。

              沖縄各地の馬場跡を訪ね、根気強く取材を続けた梅崎氏の取り組みは、史実の発掘を自らの使命と考えた、氏ならではのものでした。歴史を歪曲しても、ともかく本が売れれば良いとする風潮が蔓延る中、この本は「良心の本」と言えます。

              幻の名馬「ヒコーキ」を追いかける梅崎氏の取材ノートを通じて、私は、戦前の沖縄の暮らしを知ることができました。これまで疑問に思っていたことが、いくつも解決しました。


              その一例を挙げます。琉球競馬が廃れた理由の一つは、大型軍用馬の重用と、小型琉球馬の去勢にありました。主役の馬がいなくては、競馬になりません。

              脚が長く重心の高い軍用馬は、石畳道が苦手だったようです。そのため、日本軍は、主要な石畳道をコーラルの砂利道に置き換えたようです。それが、沖縄に長い石畳道が残っていない理由の一つなんですね。


              この本(特に前半)を読んで、それを退屈に感じる人がいるとすれば、それは沖縄に対する愛情が不足していますよ。もう少し、謙虚に歴史を学ぶ姿勢を持ちなさい。と言いたい(笑)。


              良質の本を提供いただいた梅崎晴光氏と、その本を紹介いただいたおもろさんに、感謝いたします。

              ありがとうございました。


              ゴボウ屋ぁへ行くのを忘れてた

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                JUGEMテーマ:地域/ローカル

                今日の夕方のこと。そろそろ某青果店の営業は終了です。

                「ハッ!!」

                公設市場のゴボウ屋に、ささがきゴボウを3キロ注文してたのに、それをすっかり忘れてました。

                「やっべ〜、4時に取りに行くって言って、もう20分も過ぎてるしっ。」

                まあでも、気付いてよかった。明日の朝の配達に間に合わないところだもんな。


                私はバイクのアクセル全開で、公設市場の平良ゴボウ店に向かいました。

                「ごめ〜ん。遅くなった。」

                って謝ると、平良のお母さんが、ゴボウを削るのを忘れてました。

                なんじゃそりゃ。


                まあ、人のことは言えんけど。失敗の重みが違うわよね。重みが。


                大ネズミの敗北 続き

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                  昨日の大ネズミ。あえて、結末まで書かなかったところ、その続きを知りたいとの声がありましたので、急遽、続けます(笑)。


                  大ネズミは、ネズミ取りシートにより自由を奪われ、自らの死を覚悟しています。「さあ、ひとおもいに殺せ!!」と思っていることでしょう。

                  そんなことを言われても、私はイヤですよ。理屈ではそれが良いかもしれませんが、感情が拒みますからね。


                  大ネズミの入った重いレジ袋を手にした私は、「ガーブ川に流すか。」と、一瞬考えました。

                  しかし、それはネズミにとっては最悪の事態で、「そっ、それだけはやめてくれ。」と言うでしょう。


                  さて、どうしたものかと途方に暮れる私。

                  その時、農連市場の角を曲がって、ゴミ収集車がピロンパランとやってきました。

                  私は、とっさに、マンションの住民が出したゴミ収集袋にレジ袋を投げ込み、袋を厳重に縛り直しました。

                  那覇市のゴミは、南風原町にある巨大焼却炉に投げ込まれます。ネズミが「あれっ」と思った時には灰になっていますから、これ以上の安楽死は無いでしょう。


                  ピロンパランと去ってゆくゴミ収集車と見送る私。出棺を見送るような風景の中、私は極楽往生の四文字を思い浮かべておりました。

                  合掌。


                  大ネズミの敗北

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                    JUGEMテーマ:地域/ローカル

                    農連市場がネズミの巣窟だってことは、以前、投稿しましたね。

                    某青果店にもネズミが現れますが、私の完璧な防衛システムにより、商品の被害は無くなっています。

                    ところが、机の下に転がったジャガイモや、野菜クズなどを食べてるんでしょう。ネズミは店を離れようとしません。

                    市場の猫はまったく役立たずで、ネズミを見て見ぬ振りをしていますから、ここは人間が立ち向かうしかありませんね。


                    そこで、某青果店のネズミ撲滅委員長たるお父さんが、下記の粘着シートを大量に買い込み、いよいよ、決着をつけることになったのです。

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                    さっそく、世間知らずの若いネズミが数匹捉えられ、投資効果が表れました。

                    しかし、我々の狙いは家(ヤア)ヌ主たる、大ネズミにあるのです。

                    某青果店に大ネズミが居ることは確実でした。つい先日もお母さんから「後ろ姿を見た。」との目撃情報が寄せられたばかりです。

                    大ネズミの破壊力は凄まじく、発泡スチロールやダンボールなら簡単に穴を開けてしまいます。私は、できることならお会いしたくはありませんね。


                    お父さんは更にシートを買い足し、棚の上、机の下などにくまなく敷設しました。

                    その数に驚愕した私は、大ネズミより先に相棒Aが捕まってしまい「Cしゃん、助ゅけて。」ってなるのではと心配したほどでした。

                    そして、シートを張り巡らした数日後の朝、つまりそれは今朝ですが、長女のKさんが「棚のあたりで鳴き声がする。」と言うので私が脚立に登ってみると、粘着シートが見事に大ネズミを捉えていました。

                    あまりの大きさに、マングースが捕まったのかと思いましたよ、私は。


                    店内に歓声がおきました。

                    人間の勝利です。

                    いや良かった良かった。


                    って、誰がこいつを成仏させるの?

                    え〜っ!!

                    俺?

                    俺っすか!?


                    琉球王国の通貨

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                      琉球王国に貨幣はあったのか?

                      「ありました。」

                      明(つまり、中国)の貨幣である永楽通宝を輸入し、通貨として使用していたようです。現代に置き換えると、独自の貨幣を持たない国がドルを使っているようなものです。

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                      永楽通宝は日本でも使われていたようで、時代劇などでよく聞く「一文」はこれ一枚です。

                      では、貨幣価値はどのくらいなのか。時代によりバラツキがあり、何を基準に置くか(金、銀、米など)にもよりますが、一文は数十円って感じ。つまり、「早起きは三文の得」で得するのは百円ほどです。

                      ちなみに、一両は約10万円。てことは、悪徳商人がお代官様に差し出した千両箱には、約一億円が入ってる計算になりますね。


                      さて、琉球王国は独自の通貨を製造したことがあります。

                      第一尚氏の時代の、「大世(たいせ)通宝」と、

                      20130422174306_0.jpg

                      「世高(せこう)通宝」。

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                      第二尚氏の時代の、「金圓世宝」。

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                      いずれも、ヤフオクなどで出回っていて、一枚が数千円って相場のようです。

                      これらの貨幣は、琉球王国が国の威信をかけて造ったなんてものではなく、永楽通宝の不足を補うために、チャッチャと造ったもの。だから、安いんですね。


                      琉球王国以前の三山時代にも貨幣はありまして、それが、中山(ちゅうざん)通宝。

                      20130422174345_0.jpg

                      中山通宝は、沖縄県内に数枚、県外に数枚。あわせて十数枚しか残っていません。

                      テレビ番組の「なんでも鑑定団」に出たことがあるらしく、一枚50万円の鑑定額だったそうです。

                      で、県内に数枚ある中山通宝は、県立博物館にあるのかと思えば、そうではなく、すべて、平和通りの「なるみ堂」さんが所有されています。

                      20130422174410_0.jpg

                      50万円では売ってもらえないでしょうね。きっと。50万円を稼ぐより、「県内では当店にだけあります。」と言いたいですものね。


                      私は、公設市場の平良ゴボウ店にキンピラを取りに来て、その待ち時間で、なるみ堂さんへ来ています。

                      で、中山通宝を見せてもらったかと言えば、そうはしていません。

                      見せてもらっても、「ほっほぅ、これが中山通宝ですが。なぁーるほど中山通宝と刻んでありますな。」と言う他に、何もありませんからね。

                      それじゃあ、ただのアホですやん。


                      あっ、そうそう。なるみ堂は、平和通りをズンズン入っていき、桜坂の坂下あたりにあります。


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