某青果店での会話

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    (1)瓶と缶

    昨日は瓶や缶のゴミ収集日でした。某青果店のお父さん(83)が、お母さん(80)に何やらブツブツ言うてます。

    父「昨日、瓶と缶が 同じ袋に入っていたよ。」

    母「あら、そうね。」

    父「『あら、そうね。』じゃないよ。こういうことには、もっとビンカンにならないと。お前は鈍感だ。」

    叱られたと思ってショボくれるお母さん。笑う私。

    母「C君!!。何を笑ってるっ!!。」

    C「お母さん。笑ってあげないと。」

    母「何がおかしいのかね。まったく。」

    C「お父さん。面白くないそうです。」

    父「ハッハッハ!!。そうね。」

    C「お母さんと私の仲が悪くなって困るんですけど。」

    父「ハッハッハ!!。」

    母「・・・・。」


    (2)お手伝い

    昨日、今日と某青果店の長女がお休み。代わって長男の息子(20代後半)、つまりお父さんの孫が仕事を手伝ってくれています。

    父「わからないことがあったら、皆に聞きなさいよ。」

    孫「はいっ!!。Cさん、よろしくお願いします。」

    C「あかんな。」

    孫「えっ!?。」

    C「返事は『はいはい。』と丁寧に言いなさいね。だるそうに言うと、なおよろしい。」

    孫「はぁ?。」

    C「あっちの真っ黒いおじさんが上手だからね。真似するといい。」

    A「なんね。」

    C「K君が『ニラが足らんから取って来い』ってよ。」

    A「あっ、そうらった!!。はいはい。」

    C「なっ、わかった?。」

    孫「・・・・。」


    (3)熟れ過ぎパイン

    C「おい。Aさん。」

    A「なんね。」

    C「パインがグジュグジュで3個返品になった。ほれ。」

    A「これね。俺なら食べるけろやぁ。」

    C「お客さんは俺じゃないから。」

    A「はいはい。ニラとパインね。午後から取ってくるさ。」

    C「それから、アイスクリーム3本ね。」

    A「えっ!?。アイシュね。どこの注文ね。」

    C「ちょっと、それは言えんな。」

    A「・・・・。」


    (4)おまけ

    A「たらいま〜。」

    C「あっ、こいつ。本当にアイス買ってきた(笑)。お〜い、K君、アイスがあるぞ。」

    A「なっ、なんね。やっぱり、そうらったのか。」

    C「心配すんな。お前のもあるっ!!。」

    A「・・・・。」


    五月橋の古い写真

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      今や道路の一部と化し、まったく橋には見えない五月橋。



      沖縄戦の後までは木造橋。やがて鉄橋になり、現在の五月橋は1961年5月に完成したコンクリート橋です。五月に完成したから五月橋なんですね。

      木造橋や鉄橋の時代は、川の名前を取って、ハゲーラ橋と呼ばれていたようです。


      古い写真がありました。1958年頃のハゲーラ橋(鉄橋)です。




      現在の五月橋周辺は住宅密集地で、同じアングルで写真がとれません。なんとか近い感じで撮った写真がこちらです。



      昔の面影は何もありませんね。


      古波蔵の居酒屋「エール」のマスターは五月橋のすぐ近くに長く住んでいます。

      私が五月橋やハゲーラ川の話をすると「何でそんなことを知ってるぅ!!」と驚きつつ、古き少年時代を懐かしんでいました。

      沖縄戦の後、現在の那覇空港、及びその周辺が米軍の軍用地となったため、大嶺、安次嶺などの集落は、五月橋周辺に移ることになりました。

      そして、住宅建築用の資材を運搬するためにハゲーラ橋は頑丈な鉄橋となり、住宅が増えた後は交通量の増大に対応して、幅の広いコンクリート橋になりました。


      五月橋は那覇市宇栄原にあります。ところが、大嶺や安次嶺から移ってきた人達は、それぞれ自治会館を建て、いまだに結(ゆい)の生活を続けています。

      墓所や御嶽から離れた場所で生活せざるを得なかった人達にとって、時代により姿を変えた五月橋は、言わばランドマーク。そのため「さつき」の名前を好んで使っているのでは、と思います。

      人口増により新設されたさつき小学校。その校名は地域住民の公募で決まったそうです。

      それ以外の名前はありえなかったでしょうね。


      小禄の五月橋はどうなっているのか?

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        毎朝の配達で、小禄一帯を巡回しているワタクシですが、配達ルート上のある場所が、こんなことになっています。

        デイサービスのさつき荘。



        さつき歯科。



        さつき薬局。



        さつきクリニック。



        そして、さつき小学校。



        本当はもっとあるんですが、このくらいにしておきましょう。

        さつきだらけにもホドがありますが、もちろんそれなりの理由があります。

        そのヒントがこのバス停です。



        はっは〜ん。このあたりに、五月橋って橋があるんやなと誰もが思いますよね。ところが付近には、五月橋どころか川も流れていません。


        はい、見つけました。



        アスファルトの道路が交差する場所。中央部分だけがコンクリートになっています。実はこれが五月橋なんです。今まさに、那覇バスが右から左に、橋を渡ろうとしています。


        つまり、私はかつての川の上から写真を撮っているわけです。

        川の流れは向こう側からこちら側。そこに五月橋が架かっていました。川を暗渠にして道路を造ると、そこは交差点になります。新しい道路を橋と同じ高さにして、橋の欄干を取り除けばこうなるんですねぇ。


        かつての五月橋は畑の真ん中にあり、その下をハゲーラ川が流れていました(今もですが)。ハゲーラ川にはメダカが泳ぎ、近所の子供達にとって格好の遊び場だったようです。


        暗渠の長さは500メートル。道路の下はどんなことになっているのか。メダカが泳いでないことだけは確かです。あまり想像したくもありませんが、ゴミやらなんやらが溜まって、エラいことになっているのか?。


        ご安心下さい、ここは沖縄です。

        強い台風が来て、ハゲーラ川が増水します。ところが、川が氾濫しようにも道路がフタになってますから、水は逃げ場がありません。凄まじい圧力の水流となり、川底にあった物は綺麗さっぱり流れてしまうことでしょう。


        ところで、さつき小学校の良い子達は、道路の下を川が流れてることを知っているのか、いないのか。

        授業で先生が教えてるでしょうか。

        だけど、そんなことを小学生に教えてしまったら、次の日曜日には、探検隊が結成されることは間違いありません。

        「絶対にやっては駄目ですよ。」と言えば言うほどやるでしょう。

        近々、そこらを歩いてる小学生を捕まえて、そのあたりのことを聞いてみましょう。

        まあ、やってると思いますね。私も小学生の時にやってましたからね。


        DA PUMP兄さんとMAX姐さん

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          昨日の夕方、バイクでチャラチャラと豊崎海浜公園まで走り、DA PUMPとMAXのライブを観ました。とみぐすくまつりです(^O^)/。

          出演はLead、



          DA PUMP、



          MAXの三組。



          Leadのメンバーが、「DA PUMP兄さん」と呼び、DA PUMPのメンバーが「MAX姐さん」と呼ぶので、なんだかお笑いの世界に似てるなと思ったら、三組とも同じプロダクションなんですね。司会のキャン・キャンも含めて、ヴィジョンファクトリーの所属です。

          このプロダクションには、安室奈美恵やSPEEDなど、沖縄県出身者が数多く所属していますね。


          さて、DA PUMP兄さんは結成18年だそうで、おめでとうございます。て言うか、「えっ!!。じゃあ、歳はいくつなん?」って聞きたくなりました。

          沖縄県出身者4人で結成されたDA PUMP。その時のメンバーで残っているのはボーカルのISSA(35)だけ。後に6人(いずれも本土出身)が加入しました。

          そして、MAX姐さんは結成20周年。おめでとうございます。皆さん沖縄県出身です。で、おいくつなんでしょ?(笑)。


          紅白歌合戦にDA PUMPは1998年から5年連続で、MAXは1996年から同じく5年連続で出場しています。

          紅白に出たから偉いってことでもありませんが、彼(彼女)達にとって、2000年前後が一つのピークだったことは間違いないでしょう。

          その後の約10年。DA PUMPもMAXも極端に露出が減りましたよね。

          それは何故なのか。

          何故、彼らはミュージックステーションに出演しない(できない)のか。


          自称「コザの暴れん坊」のISSA。スタミナ面で大丈夫か?って気もしましたが、抜群の歌唱力は健在どころか進化中。アカペラも良かった。そして、後に加入した6人はいずれも、世界的に認められているダンサーだそうです。つまり、プロフェッショナルなんです。

          では、某グループの木村君とISSAの歌唱力はどちらが上なのか。某グループの中居君とKENZOのダンスはどちらが上なのか。その差は歴然。比較すること自体、DA PUMP兄さんに失礼というもの。

          某グループにとって、て言うか某グループのプロダクションにとって、DA PUMPは脅威だったんでしょうね。とても勝てないと思ったはず。


          MAXがMCで、こんなことを言ってました。

          「沖縄に帰って来たのは2年ぶりですっ!!」

          「前回は南城まつりに呼んでいただきましたっ!!」

          南城まつりって。

          ちょっと、皆さん。彼女達は紅白連続出場5回のグループですよ(泣)。

          MAXのMCが続きます。

          「来年も、とみぐすくまつり。来ていいですかっ!?。」

          「市長さんっ!!。どうかお願いしますっ!!。」

          なんてケナゲなんでしょう。オジサン(私)は泣きそうになりました。


          某グループの皆さん。貴方達も、南城まつりやとみぐすくまつりに呼んでもらえるように、これからも頑張りなさいねぇ。




          琉球放送かどこかでMAX×MAXとか、DA PUMP×DA PUMPとか、制作していただけませんかね。

          悔しいわぁ。


          舛添都知事はソウルへ何をしに行ったのか

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            舛添都知事が東京都と姉妹都市関係にあるソウルを訪ね、市長と会談し、ソウル五輪の施設を見学したそうです。

            日韓の関係が冷え切っている中、地方自治体間の交流は意義があると思います。

            で、何で朴大統領と会うのか。これがわかりません。都知事に日本政府を代表できるはずもなく、つまり小僧の使いってこと。



            従軍慰安婦や歴史認識を材料にし、世界中で告げ口外交を続ける朴大統領。その姿勢に各国が辟易し、風向きは日本に向いていたはず。

            それをなんで小僧にヘコヘコさせるか。

            各国に配信されたこの写真。日本政府としては、絶対に見せてはいけなかったと思いますね。


            その後の会談で、相も変わらず「正しい歴史認識」を訴える朴大統領に対し、この小僧は、愛想笑いを浮かべ、何度も相づちを打っていました。

            それはどんな意思表示になるんでしょう。

            小僧はメッセンジャーですから、朴大統領の言い分を正確に理解し、日本政府に伝えることが役割。

            ならば、背筋を伸ばし、相手の目を見て、毅然としていなさい。それが、相手の言い分を真剣に聞く姿勢です。


            帰国後の記者会見で「冷え切った日韓関係に、暖かい風を吹き込んだ。」と自画自賛していましたが、一体誰がそんな評価をしてくれると思ってるのか。

            ほんと、ただの小僧ですよ。この男。


            相棒Aの釘煮文字

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              某青果店で伝票仕事をやっていると、相棒のAが寄って来ました。

              A「Cさん。」

              C「はいよ。」

              A「フフフ。」

              C「話しかけるのは、笑い終わってからにしてね。」

              A「このメモは目じゃわりらね。」



              C「はぁ?。ふざけんなよ。スイカの在庫を聞くから書いてやったのに。そもそも在庫を調べるのはお前の・・・」

              A「もうわかったからいいさ。じゃあ市場いってきょ〜ね。」

              C「・・・・。」


              このやろ。もう教えてやらんからなと思った直後、Aの脳内がわかった気がしました。

              おそらくこうです。

              A「明日、M玉の注文が6個で、在庫が2個。4個取ればいいわけらね。」

              A「帳面に書いておくか。「M−4」と。」

              A「あっ、しょう言えば、明後日、L玉1個、注文があったな。丁度いいけろ。あっ、まあしょれは明日考えるか。」

              A「このメモがあったら、またCさんが『そこに書いてあるやろっ!!』とか怒鳴るさぁ〜ね。だから、このメモは邪魔らね。」

              A「Cさん。」

              A「フフフ。」

              A「このメモは目じゃわりらね。」


              つまり、「新鮮な情報であっても、紙に書いた時から陳腐化が始まる。そんな情報に頼るより、必要な都度、最新の情報を入手すべきだ。」ということ。

              Aにしては、なかなか良い発想だと言えます。

              しかし、Aがアカンのは、それを相手に頼るところ。「あ〜、Cさん。スイカの在庫はどうらったかな。」と、明朝のAの声が今から聞こえるようです。

              そもそも冷蔵室の在庫管理はAの仕事。それを一度でも助けると、

              「次からも助けるのがと〜じぇん。」

              と思ってしまうのがこの男です。


              さて、Aが「M−4」と記入した帳面がこちら。



              釘煮をぶちまけたかのような文字、て言うか暗号の中。どこに「M−4」があるものやら。



              在庫をきちんと管理しなさいと言っても無理だよなぁ、こいつには。


              はい、Aさん。何かあればどうぞ。

              A「スイカのすいかね。あれ、ツイカのついか。ん?。」

              C「それは前に投稿したじゃん。」

              A「フフフ。じゃあまた、なんか考えとくさ。」

              C「(笑)」



              ぬるま湯シャワー

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                午前と午後の配達ならびに仕入れで、日中の大半を屋外でウロウロしているワタクシ。

                暑っ!!

                天気予報によれば、向こう一週間は晴天が続くようです。



                最高気温は、晴れの日が33度。雲のある日は32度と、たいへん分かりやすくて結構です。

                気温だけを見れば本土のほうが高いかもしれませんが、陽射しの角度や紫外線量などを加味すれば、やはり沖縄は暑さは格別です。


                さて仕事が終わり、自宅に帰ると真っ先にシャワーです。まずは冷たい水のシャワーを浴び、熱中症気味の身体を冷やしたいのですが、これがまったく冷たくありません。

                まず、やや冷たい水が出て(屋内配管)、次にお湯が出て(屋外配管)、以降はぬるま湯に(貯水タンク)。


                こいつが、自宅アパート屋上の球形給湯装置です。ただし、ぬるま湯。



                ガス代が節約できるものの、キリッと冷たい水を頭からかぶりたい私は大いに不満です。


                沖縄で最後に取水制限が行われたのは平成6年だそうです。それ以来20年。

                そろそろ貯水タンクは不要な気がしますが、ウチナーンチュのメンタリティとしてはそうもいかないでしょう。当分の間は、沖縄の水道から冷たい水は出ませんね。


                沖縄企業局が、沖縄本島に11ヶ所もあるダムの貯水率を公開しています。



                青が基準値、水色が実績値です。

                つまり、安心ってこと。

                まあ、誰も見てないでしょうけどね。


                文化財に指定されるということ

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                  一つ前の投稿で紹介した沖縄諮詢会堂(しじゅんかいどう)跡。



                  戦後の沖縄における行政の起点となった建物で、うるま市の文化財に指定されています。ところが、建物の傷みが目立ち、とても文化財の扱いを受けているようには見えません。


                  そこで、うるま市の文化財保護条例を読んでみました。

                  うるま市文化財保護条例(抜粋)

                  (管理又は修理の補助)
                  第11条 市指定有形文化財の管理又は修理につき多額の経費を要し、所有者がその負担に堪えない場合その他特別の事情がある場合には、市はその経費の一部に充てさせるため、当該所有者に対し、予算の範囲内で補助金を交付することができる。


                  「多額の経費」、「負担に堪えない」、「特別の事情」など、行政の判断でどのようにも解釈できる文言が並びます。そして、条文の最後は「補助金を交付することができる」。つまり、交付しても良いし、しなくても良いってことです。

                  全国の自治体で、同じ条文が用いられているようですから、文化財を積極的に保護するかしないかは、行政の姿勢によるのだと思います。

                  沖縄諮詢会堂跡を見る限り、うるま市は文化財保護に積極的ではない印象ですね。


                  そして、こんな新聞記事を見つけました。

                  2005年3月17日琉球新報

                  石川市教育委員会は、市内の史跡3件をこのほど市文化財として指定し、15日、保存に当たってきた関係者に指定書を手渡した。

                  指定されたのは(1)沖縄諮詢会堂跡(2)東恩納博物館跡(3)石川部落事務所。

                  (中略)

                  東恩納博物館は、その前身に当たる「沖縄陳列館」が1945年、米軍によって設置された。翌年の民政府発足と同時に民政府管轄となり、名称が東恩納博物館と変わった。同市東恩納に屋敷が現存する。

                  (中略)

                  指定書交付式は同市役所内で行われた。平川宗賢市長が、建物を所有、あるいは管理するなどしている平良茂さん(沖縄諮詢会堂跡)、平良博さん(東恩納博物館跡)、松田盛一さん(石川部落事務所)に指定書を手渡し、保存に貢献したとして感謝状も贈った。

                  指定書を受け取った平良博さんは「市文化財に指定されてうれしい。自分では管理に限界があった。これからは市の支援が受けられる」と喜んだ。


                  沖縄諮詢会堂跡と同時に文化財の指定を受けた東恩納博物館跡。建物の所有者が喜びのコメントを述べていますね。



                  そして、一年後。

                  2006年5月6日琉球新報

                  扉の倒壊、雨漏り、シロアリ被害などが目立つ東恩納博物館跡の屋敷=うるま市 沖縄戦後初の博物館として使用され、県立博物館の母体となった、うるま市の東恩納博物館跡の木造建物(うるま市文化財指定)は、雨漏りや扉の倒壊などの傷みが深刻化している。

                  所有者の平良博さん(62)は修復と保存に向けた市の対応を求めている。建物は現在、シロアリの被害がひどく、巣が屋根のひさしの下などでむき出しになっている。扉や柱の倒壊も目立ち、床は歩くと陥没しそうな部分も。県立博物館は那覇市おもろまちで新館建設が進み、立派な姿を現しつつあるのとは対照的だ。

                  平良さんは「修繕には莫大(ばくだい)な費用がかかる。個人負担は到底無理。住んでもいないのに固定資産税などを払い続けている」と話し、市に早急な買い取りと保存を要望している。補助などが見込めない場合、文化財指定を解除してもらい、解体することも検討しているという。

                  平良さんは「床を歩くのも怖い。台風が来ると大変だ。形だけの文化財だ」と不満をあらわにしている。うるま市教育委員会の田原正次文化部長は「市の文化財保護条例で補助の規定があり、必要性も感じているが、予算措置はこれから。所有者から修繕の見積もりを取り寄せ、補助が可能か、可能ならどれくらいできるか、時期も含めて検討したい」と話している。

                  東恩納博物館跡は1945年、米海軍が瓦ぶきの民家を修理し「沖縄陳列館」の名称で使用。翌年、沖縄民政府に移管され、東恩納博物館に名称を変えた。53年に首里博物館と合併し、7年の歴史に幕を下ろした。2005年3月1日に旧石川市の文化財に指定され、うるま市は終戦後の沖縄における文化財保護啓蒙(けいもう)の発祥地と位置付けている。


                  うるま市の文化財保護条例は、歴史的な建物を長年個人の力で守ってきた所有者に、「解体したい。」とまで言わせてしまうものだってことです。


                  私は沖縄の行政が文化財の保護に極めて消極的だと考えています。新品の建物や公園などの施設には、なんとしてでも予算を付けるのに、古い物を維持する気は無いかのように見えます。

                  これほどまでに予想通りの新聞記事が見つかり、まったく悲しい限りです。


                  教育者 志喜屋孝信さん(3)

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                    沖縄諮詢会の設置期間は1945年8月から1946年4月まででした。

                    その間に、沖縄県内各地の収容所は徐々に縮小され、県民はそれぞれのシマ(つまり市町村)で生活を始めました。収容所の自治を担った諮詢会はその役割を終えたのです。

                    そして、新たな行政機構として沖縄民政府が発足し、志喜屋孝信さんが初代知事に就任しました。



                    戦前の沖縄県知事は官選知事で、日本政府が任命した本土の官僚が赴任していました。つまりこの時初めて、ウチナーンチュの知事が誕生したのです。


                    荒廃した沖縄の復興を、志喜屋孝信さんや、かつての教え子達が担いました。

                    沖縄戦直後の最も過酷な時期、多くの県民に「沖縄のリーダーは、志喜屋孝信先生をおいて他にはいない。」と言わしめた志喜屋孝信さんは、よほどの人望があったのですね。そのような人材に恵まれた沖縄県民は幸せでした。

                    そして、戦後の沖縄を彼に託した米軍の判断が素晴らしい。ウチナーンチュでなければ、知事は務まらないと考えたのです。


                    1950年に知事を退任した志喜屋孝信さんは、沖縄初の大学として開学した琉球大学の初代学長に就任し、その5年後にこの世を去りました。

                    沖縄諮詢会委員長や沖縄民政府知事は、彼が望んだ役割ではなかったでしょうから、終始一貫、教育者として生き抜いた生涯だったと言えます。

                    (終わり)


                    朝のうち水

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                      JUGEMテーマ:地域/ローカル

                      朝の農連市場。惣菜通りの真ん中で、カマボコ屋のトモコ婆さんが、大声で何か喋っています。そして、真上を見上げ、右手で空を指さしました。口があいてます(笑)。

                      「ユタかっ!!」と思いましたが、配達前の忙しい時間です。話が長くなると面倒なので、ほっとくことにしました。

                      その10分後、配達の準備を済ませ、さあ出かけようとしたその時。いきなり、雨が「サーッ」っと降ってきました。「ザーッ」ではなく、品良く「サーッ」と。

                      トモコ婆さんは、これを言ってたんでしょう。


                      某青果店の店先で、しばし雨を眺める長男と私。気持ちの良い雨です。

                      これは、朝のうち水。

                      慌ただしい配達の準備を終え、気が立っていますから、こうして一呼吸おけば、安全に運転できるというものです。


                      客を迎える時、玄関前にうち水をするお宅がありますね。もし私がその客だったら、その心遣いに良い気持になるでしょう。そんなお宅は、たたずまいまで良く見えてきます。

                      うち水には、気温を下げる効果とともに、精神的な効果がありそうです。


                      雨はすぐに止み、オンボロワゴンは古波蔵十字路の高架を走行中です。路面は適度に潤い、ホコリも流れて、たいへん結構でした。




                      相棒のAはどうしたのか補足します。あいつは配達に出る間際、伝票を何処かに置き忘れたそうで、店の中を右往左往してました。雨が降ったことに気づいてないでしょうね、たぶん(笑)。


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                      念願の沖縄生活を始めて14年になりました。
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