豚のマーミ

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    農連市場の知念精肉店(工場)では、連日、豚や山羊を解体しています。そこに出入りする私は、それがどの部位なのか、正しくわかるようになりました。

    最初の数ヶ月は「うぇ〜」と思うこともありましたが、今や「うわぁ、美味しそうだねぇ」と、自然に口に出ます。


    今日は珍しいものがありました。豚の腎臓です。



    業界用語ではマメ。沖縄ではマーミです。

    これがそら豆に見えるかと言われれば、まあ、見えなくもありません。

    腎臓は英語でkidny。したがってkidny beansは腎臓豆ってことになります。



    アメリカーもヤマトゥーもウチナーンチュも、みんなこれが豆に見えるんですねぇ。


    知念の三女が「プリンプリンしてるから上等よ〜」と自慢してました。

    プリンプリンってあなた。

    私の理解では、腎臓は血液濾過装置。よりストレートに言えばオシッコ製造機じゃないですか。

    プリンプリンではなく、タポンタポンでしょ。


    市場の仲間を褒めるのもナンですが、知念精肉店は丁寧な仕事をしています。

    豚の中味など、よくまあそんなに手間をかけれるものだと思うほど、脂の部分を一つ一つきちんと削ぎ落としています。

    そりゃあ、保育園の調理師が絶賛するはずです。


    国際通りの焼肉店などにも卸しているそうなので、店の名前をメモしておいて、機会があれば、マーミを食べてみましょう。

    今に、「うわぁ、美味しそうだねぇ」と言うんでしょうね。


    しかしまあナンですねぇ。

    豚の脚やら顔やら耳やらにカブりついて、美味い美味いと喜ぶ私達。

    とうとうマーミにまでカブりつき、豚にしてみれば「ええかげんにせぇよ」って話ですよねぇ(笑)。


    「ゆいゆい号」は今日でお終い

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      那覇バスが運行している観光周遊バス「ゆいゆい号」が、今日でお終いのようです。



      一括交付金を活用し、那覇市が運行を始めて2年半。昨年、那覇市がスポンサーを降り、那覇バスが事業継承しましたが、民間企業の事業としては採算が合わなかったようです。

      那覇観光には「ゆいゆい号」
      ゆいゆい号が不調のようです


      沖縄県を訪れる観光客数は好調で、昨年は過去最高を記録しました。その要因の一つが、大型客船でやってくる海外からの観光客です。

      ところが、大型客船が着岸できるのは、若狭のバース一ヶ所だけ。かなりの数の寄港を断っているのが現状で、バースの増設が検討されています。


      「ゆいゆい号」を採算がとれる事業にすることが難しいのは確か。

      しかし、大型客船で来る一泊二日の客と、「ゆいゆい号」を使って、ゆっくり那覇を周ろうとする客と。沖縄が大切にすべきは後者でしょう。

      対案も無く、文句を言うのは気が引けますが、もう少し、知恵を出して欲しかったと思いますねぇ。


      ヌーバレーの夜(2) はいはい、お疲れさん

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        ヌーバレーの綱引きやエイサーが行われる大城公民館前広場です。後方の丘の上に大城グスク。



        公民館にはガヤガヤと人が集まり、三線の音が聞こえて、いい感じです。

        公民館前の階段は観客席を兼ねていて、私のように、いかにも「他から来ました」みたいな人がカメラを構えています。

        そして18時頃、私の前に車が停まり、

        「エイサー、何時から?」と。

        「6時半!!」と、私。


        それにしても観客が集まりません。

        この、沖縄のシキタリ。なんとかなりませんかねぇ。

        行う側は、

        「どうせ6時半には集まらんやろ。」

        観る側も、

        「どうせ6時半には始まらんやろ。」

        あら、夕陽に日輪が。




        と思っていたら、三線奏者を先頭に10人ほどが小太鼓を手に公民館から出て、集落に入っていきました。

        「やれやれ、やっと『始まるよ〜』かいな。」


        そして、6時半。

        先ほどの三線・太鼓隊が帰ってきました。

        しかし、観客はいません。


        やがて、時計は7時を回りました。

        公民館の中では、懇親会が始まったようです。

        あらら。


        実はこの日。綱引きもエイサーもありませんでした。

        私の投稿を見て、大城に向かった方がいたとすれば、たいへん申し訳ないことをしました。すみません。


        綱引きは10年に1度だけ。エイサーはウークイに行われたようです。

        で、今年のヌーバレーは、先ほどの三線・太鼓隊が集落を一周してお終い。


        まあ、ピラツカ暦が行事の一件一件を確認するってことは無いよねぇ。


        はいはい、お疲れさん。


        ヌーバレーの夜(1) 大里大城集落豊年祭

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          お盆明けの翌日。

          ウークイヌ ナーチャヌ ナーチャ(笑)。

          今日は、本島南部の年中行事の一つヌーバレー(野祓い)の日。各集落でお祭りが催され、綱引き、獅子舞、エイサーなどが行われます。


          大里大城集落の豊年祭は今夜18時半から。ワタクシ、これから出掛けてまいります。

          大城集落は、大城グスクの城下町。

          私はこれまで、大城グスクや大城按司の墓を訪ねましたが、集落に入るのは今日が初めてです。綱引きとエイサーが行われるそうで、どんなんでしょうねぇ。




          大城按司は島添大里按司との戦いを優勢に進めながら、オウンゴールで敗れてしまいます。

          南城市大里の大城グスク(1)
          南城市大里の大城グスク(2)
          南城市大里の大城グスク(3)


          大変に悔しい思いをしました。

          ところが、大城按司のひ孫が尚巴志だそうで。(尚巴志の父方オジぃの嫁が大城按司の娘)

          尚巴志は琉球統一の初戦で島添大里按司を討ち、大城按司は四代かけて雪辱を果たしたのでした。


          しょれでは、行ってきます(笑)。


          ウークイヌ ナーチャ

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            お盆明けの朝。農連市場には、人っ子一人いません。



            こちらは豆腐屋のヨシエオバぁの店、て言うか席。



            いつも座ってる人のいない、放課後の教室状態です。口うるさいトモコオバぁもいません。


            今年のお盆、農連市場はたいへん賑わいました。元々狭い道幅に、商品の積み下ろしをする車がビッシリ駐車し、その隙間を買い物客の車が両方から通ろうとします。

            これは「引退効果」なのか?

            「今年のお盆は農連で」と考えた人が少なからずいたようです。


            ウチナーグチのアチャは明日で、ナーチャは翌日。

            つまり今日はウークイヌ ナーチャ。翌朝ならば、ナーチャヌ ストゥミティ。


            昨日の朝、お盆の商売を終えたオバぁ達は、眠ることなくお墓へ向かいました。

            そして、昨夜は親戚が集まって、飲んだり食べたり喋ったりしたので、今朝は朝寝坊をしてるはず。

            そして、明日は日曜日。お盆で少し稼いだオバぁ達は、気持ち良く休めますね。


            お釣りの計算は合っているのか

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              農連市場の皆さんは、言うまでもなく商売人。料金を支払う時に頭を回転させておかないと、マゴマゴすることになります。


              (1)カマボコ屋のトモコオバぁ

              ト「で、いくらになった?」

              C「2,780円。」

              ト「お盆だからよ。多めで2,800円もらおうね。はい、お釣り。」



              お釣りは200円のはずですが、大丈夫。

              「多めにもらおうね」は、多めにもらうつもりの他の客の手前、そう言っただけ。

              そして、お釣りが300円だと私の駄賃が80円になるので、100円以上になるように50円を加えてくれたのです。

              「ありがとう。」と言う私の目を確認して、トモコオバぁは、お盆の買い物に群がるお客さん達に、

              「はい、並ばん人には売らんよっ!!」

              と叫ぶのでした。


              (2)豆腐屋のヨシエオバぁ

              ヨ「2丁で720円ね。それと、領収書。」

              C「はい720円。」



              ヨ「あれ、間違ってるよ。」

              C「あっ、サンキュー、サンキュー。」



              これは簡単。駄賃の20円を取りなさいということでした。


              (3)某青果店のA

              C「今朝、80円立て替えたよな。」

              A「ポケットによけてあるよ。」

              C「じゃあ出しなさい。」

              A「ほれ。」



              C「(笑)」

              A「(ポケットに)穴があいてるのかね(笑)。あれっ、財布にも10円が無いね。」

              C「100円あるじゃん。」

              A「あっ、そうらね。じゃあ100円払って。」



              A「20円取るよ。」



              C「ほ〜、150円もくれるのか。」

              A「何言ってる。今、20円取ったさ。」

              C「そうね。」

              A「あっ、ちょ、ちょっと待ちなさい。何で150円だわけ?」

              C「さぁな。お前が出したから俺は貰う。」

              A「おかしいさ。」

              C「何が?」

              A「しょれがわからんけろ。」

              C「(笑)」


              島添大里のギリムイグスク(4) 島添大里グスクの復興

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                島添大里グスクは眺めの良い場所にあります。グスクの北側は断崖絶壁で、勝連城、中城城、浦添城、首里城が見渡せ、グスク東側のミー(新)グスクからは中城湾が一望できます。



                グスクの規模は島尻最大級ですから、世界遺産のグスク群と比べて、決して見劣りしません。

                島添大里グスクは2012年に国指定史跡に格上げされました。南城市などの行政機関は、グスクを復興し、世界遺産登録を目指していただきたい。


                島添大里グスクの想像図をもう一度見ましょう。



                グスクの手前に、現在の大里西原集落が描かれています。そして、そのすぐ側にはギリムイグスクがあります。

                大里西原集落や大里南風原集落の皆さんが合意することを前提に、世界遺産には、両集落とそこに残る史跡を含めた「古都島添大里」の登録ができないものかと思います。


                島添には「島々を支配する」という意味があるそうですが、その名前の通り、島添大里はかつての南山王国の首都です。

                大人がゆっくりと散歩しながら、歴史に思いを馳せる場所にしていただきたい。私は何度もこの一帯をウロウロしていますが、充分な環境にあると思えます。そして、史跡巡りの道に石畳道を復活できれば素晴らしい。


                北山や中山には、世界遺産に登録されたグスクがいくつもあるのに、南山には一つもありませんからね。

                どうかよろしくお願い致します。

                (終わり)


                島添大里のギリムイグスク(3) 周辺の御嶽

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                  ウサチュヌウトゥーシに戻り、祠をよく見ると、この祠が三角形の屋根と宝珠、両脇の石積み、そして石灯籠で構成されていることがわかります。




                  この形式には見覚えがあります。

                  こちらは大里西原集落のお隣、大里南風原集落の聖地、食栄森(イイムイ)御嶽の石門です。木製の屋根に隠れて宝珠。両脇の石積みと石灯籠。



                  拝所にも宝珠と石灯籠がありました。



                  つまり、これが島添大里スタイル。


                  ギリムイグスクの近くに、ウサチュヌウトゥーシによく似た遥拝所があると知り、探しました。

                  道路から見えるはずですが、これがなかなか見つかりません。何度か行きつ戻りつしながら、ようやく見つけた入口がこちら。



                  これでは見つからないはずです。ウサチュヌウトゥーシに比べると、やや冷遇されているのか?。

                  ここは松尾御嶽。大里南風原集落の北側に位置します。



                  私はこの場所が御嶽と知って入って来たので、やっと見つけて嬉しいのですが、知らずに来た人は「これは何か?」と驚くことでしょう。

                  ウサチュヌウトゥーシより一回り大きな遥拝所ですが、構成はまったく同じです。

                  ところが、この遥拝所。何を遥拝しているのか、誰も知らないそうで困ったものです。そのため、遥拝所でありながら、松尾御嶽の拝所みたいになっています。

                  (続く)


                  島添大里のギリムイグスク(2) グスク

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                    ウサチュヌウトゥーシ(御先世遥拝所)からギリムイグスクに入ってみましょう。



                    と、思ったら、

                    「うわっ!!」



                    ガジュマルが岩をグリップしている光景は沖縄の各地で見ることができますが、こいつはかなり力が強そうです。

                    私まで息苦しくなりますが、この石積みがギリムイグスクのものだとすれば、このガジュマルのおかげで、崩壊せずに済んだとも言えます。


                    ここから先は、このような歩道が続き、多くの拝所や自然洞穴があります。



                    歩道は山頂の拝所まで続きますが、途中、グスクの痕跡はありませんでした。

                    大汗はかくし、蚊はいるし、蜘蛛の巣が顔にかかるし、ここへ入るのはお勧めできません。


                    島添大里グスクの想像図があります。



                    グスクの左手にギリムイグスクが描かれていますね。



                    ギリムイグスクの右手山頂に開けた場所が描かれていますが、私はあの場所まで登ったことになります。


                    さて、美人妻が住んでいた気配もありませんので、ウサチュヌウトゥーシへ戻りましょう。

                    (続く)


                    島添大里のギリムイグスク(1) 遥拝所

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                      JUGEMテーマ:地域/ローカル

                      島添大里のギリムイグスク入口です。



                      島添大里グスクへ向って大きく蛇行する坂道を上り、大里西原集落の入口を、(集落に入らずに)直進するとすぐ右手にあります。

                      このグスクは島添大里グスクよりも古いことは確かなようですが、領主(按司)や、島添大里グスクとの関係は不明です。


                      入口の階段を登ったところに遥拝所がありました。



                      歴史を感じさせる佇まいに、「はぁ〜」と思わず声が出ます。

                      南城市のサイトによれば、この遥拝所の名前は「ウサチュヌウトゥーシ」。

                      ウトゥーシは遥拝ですが、ウサチュの意味がわかりません。

                      御先世をウサチユーと言いますから、それが詰まってウサチュになったのではないかと思います。御先世とは有史以前を指しますが、沖縄の先祖崇拝はどの時代まで遡るのでしょうか?


                      組踊に「忠臣身替の巻」という演目があります。



                      三山時代の南山王国には島添大里勢力の玉村按司と、島尻大里勢力の八重瀬按司がいて、八重瀬按司が玉村按司の妻を手に入れようとしました。

                      絶世の美女だったんですね。

                      八重瀬按司は玉村按司を討ちましたが、その戦いで玉村按司の妻も命を落としてしまいます。そして、玉村の若按司は勝連に逃れました。

                      若按司に命を狙われると考えた八重瀬按司は若按司の居場所を突き止め、兵の準備をしますが、それを察知した勝連は、若按司の身代わりを八重瀬按司に差し出したのです。

                      それで安心した八重瀬按司を若按司が討ち、身代わりも救出したと。

                      そんなストーリーです。


                      群雄割拠の南山王国。首都は島添大里から島尻大里に移り、尚巴志がそれを討ちます。

                      「忠臣身替の巻」は超大雑把なストーリーとしては史実に合い、だとすれば、若按司と共に八重瀬按司を討ったのは尚巴志ってことになりますね。


                      さて、玉村按司と美人妻が暮らしていたのは、ギリムイグスクだったのか、島添大里グスクだったのか。

                      それは不明なのか、私が知らないだけなのか。

                      まあ、ギリムイグスクは、そんな感じのグスクです(笑)

                      (続く)


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