役に立つような、立たんようなオヤジ

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    先週の金曜日のこと。想定外の仕事が重なったおかげでスケジュールがグチャグチャになり、やっとおさまったお昼前。

    ちょっと冷たいコーヒーでも飲んで、気持ちを落ち着かせようと思ったのが、農連市場津波古バイク店の前でした。

    「おっ、そう言えば。ここのオヤジは、缶コーヒーを沢山買い込んで、冷蔵庫に冷やしとるやんか」と思い付き、勝手に店の奥に入り込んだのでした。

    そしたら、バイクの修理をしてたオヤジが付いてきて、

    「はいCさん、どした?、コーヒーでも飲む?」

    と言うので、ありがたくいただくことになりました。

    役に立つオヤジです(笑)


    C「再開発で店はどうすんの?」

    オ「いや、やめようと思って。もうすぐ年金も入るしさ」

    C「そりゃあ困るな。俺のバイクの修理ができんやん」

    オ「そう言ってくれると嬉しいねぇ。だけど農連には居るよ。今度は八百屋をやるからね」

    C「はぁ?、八百屋?、あのオバぁ達がやってるような八百屋か?」

    オ「そう」

    C「オヤジじゃ売れんだろ」

    オ「だぁかぁらぁ、若い女の子にやらせるわけさぁ。カーギは悪くていいけど、明るくて素直な子ね」

    C「その子に野菜を売らせて、その上前をはねるわけか。マッチ売りの少女やな」

    オ「なっ、何を言ってる。社長と従業員ってそういうことだろっ」

    C「はいはい。じゃあその、若くて明るくて素直な女の子が見つかったら知らせてね」

    私は缶コーヒーと引き換えに、オヤジの「そうなるといいな」って話を聞かされて、仕事に戻ったのでした。


    そして、その翌日の土曜日のこと。バイクのスタンドのバネが飛んでしまい、走行中にガラガラ音がするようになりました。さっそく津波古バイク店に急行したらお休み。

    そう言えば前の日に、

    「ゲホ、ゲホッ。インフルみたいなんだよね。ゲホ」

    とか、言うてました。


    仕方なく、紐でくくって応急処置をした私のバイクです。



    そして、仕事が終わった帰り道。三原のりうぼうに寄ったら、バイク屋のオヤジがビールを買ってるじゃないですか。

    C「ほ〜、仕事は休んでビールかい」

    オ「あっ、いや、インフルでもうだめ。やっと立てるようになったわけよね」

    C「スタンドのバネが飛んだから、来週見てよ」

    オ「おう了解。じゃあ月曜日にね」


    そして、今朝の津波古バイク店。



    まったく、役に立たんオヤジです。

    工具があれば、オヤジはどうでもいいんやけどな(笑)


    投稿3,000件

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      2009年から始めた「沖縄の風景」。この投稿で投稿件数が3千件になりました。

      いつもお付き合いいただいてる読者の皆さん、ありがとうございます。


      以前は、このブログを見つけて気に入っていただき、最初から読まれている気配がありましたが、それはもう難しい気がします。毎日10件読んでも1年近くかかりますからね。私自身も同じです。

      将来、仕事もやめて毎日が日曜日になったら、一度は最初から読み直し、沖縄での日々を振り返ってみたいと思います。


      引き続き、「沖縄の風景」をよろしくお願い致します。m(__)m




      赤マルソウと黒丸宗(3) 具志堅宗精さん

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        具志堅宗精さん(ぐしけん そうせい:1896-1979)は那覇市の生まれで、沖縄戦時の那覇警察署長。嶋田叡知事、荒井退造警察部長の時代ですね。



        沖縄戦後期。那覇警察署員を引き連れ南部に撤退しましたが、既にその時、警察が果たせる役割はありませんでした。

        糸満市伊敷の壕に署員らと共に身を潜めていた宗精は轟の壕に嶋田知事、荒井部長を訪ね、那覇警察署の解散を具申したのでした。

        役割を果たせない組織を維持するより、部下が生き延びる可能性を選択したことは、後に県庁を解散した嶋田知事と相通じるものがあったように見えます。


        宗精は米軍に捕らえられ、捕虜で終戦を向かえました。戦後、知念警察署長を務めた後、宮古民政府の知事に任命され、戦後の宮古島復興に尽力しました。

        昭和24年。宮古島での3年10ヶ月の務めを終え、那覇に帰って来た宗精は53歳。立派な人生でしたと言いたいところですが、彼の実業家としての人生はそこが起点となりました。


        宗精のお母さんの実家は、味噌・醤油を造る小さな工場を経営していたようです。その後を継いだのか、新たに興したのか、寄宮のトタン屋根工場で味噌・醤油を造っていたのが、宗精の弟、宗演でした。


        宗精は味噌・醤油の実業を本格的に立ち上げようとし、首里に新しい工場を建設しました。後の赤マルソウです。

        宗精、宗演の兄弟の関係はよくわかりません。会社を別々にしたのは、二人の仲が悪かったからのか、仲は良かったが経営方針が異なったからのか。(おそらく後者)

        いずれにせよ、兄弟は別々の味噌・醤油会社を経営し、社章はいずれも名乗り頭の「宗」を丸で囲んだマルソウ。宗精が社名を赤マルソウにしたことから、自然と宗演の会社は黒丸宗と呼ばれるようになったのでしょう。


        宗精の赤マルソウは快進撃を続けました。当時、沖縄の醤油はキッコーマン。赤マルソウはそれを追い上げ、ついに県内シェアを逆転しました。そして昭和40年には味噌で58%、醤油で70%の県内シェアを獲得したのでした。




        赤マルソウを沖縄のトップメーカーに育てた宗精が次に手がけた事業がビールでした。オリオンビールの設立は昭和32年。宗精が62歳の時でした。

        なんという人生。今の沖縄に、こんな人物が4、5人いれば、沖縄の経済自立も夢ではない気がします。

        (終わり)


        赤マルソウと黒丸宗(2) 赤マルソウ通り

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          寄宮十字路近くの黒丸宗通りにいたはずの私は、松川の都ホテル前にいます。

          安里から首里城へ向かう坂下通りです。



          この道は首里城の北側で龍潭通りとなります。

          横断歩道の先に、右にそれる道があるので、そちらに入りましょう。

          入りました。



          この道は玉陵の前を通り、守礼門に続きます。

          そしてまたしても、右にそれる道があり、その分岐点に立つと。

          ありました。「赤マルソウ入口」の標識です。



          ここから先が赤マルソウ通り。この先には金城町石畳道(坂上)があります。



          あらためて上の写真を見ると、私はセンターラインの真上にいますね(笑)。90年前なら、電車に轢かれてしまいます。

          この緩やかな左カーブは、沖縄電気軌道(1914-1933)の軌道跡です。

          那覇を出た路面電車は、泊高橋、崇元寺、安里を経由して、首里の丘を登りました。都ホテルの裏から一旦東に向かい、高さを稼ぎながらUターンします。

          つまり、首里行きの路面電車は上の写真の左カーブの向こうからやって来たのです。




          さて、私は赤マルソウ通りを進み、赤マルソウの味噌・醤油工場の跡地に着きました。



          まったく、那覇って街は「隙あらばマンション」。那覇の市街地を一望できる場所ですから、リッチなマンションが建つんでしょう。


          寄宮の黒丸宗と首里の赤マルソウ。私は二つの味噌・醤油工場跡を訪ねました。

          二つの工場は関係があるのか、無いのか。

          関係が無いなら、こんな投稿をしてませんてば(笑)

          (続く)
           


          赤マルソウと黒丸宗(1) 黒丸宗通り

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            ここは農連市場の湧田食品。カウンターの上に置かれた赤マルソウ醤油と赤マルソウ味噌はウチナームン。



            赤マルソウはビール業界におけるオリオンビールと同様の立ち位置にあり、ウチナーンチュから熱い支持を受けています。


            話は変わりまして(笑)、私の午後の配達は、農連市場から与儀十字路、寄宮十字路を直進し、識名トンネルを抜けます。

            与儀十字路から寄宮十字路までを市民会館通りと呼び、その先を黒丸宗通りと呼びます。

            黒丸宗通りに入ると、すぐに三叉路があります。



            右は識名トンネルに向かう4車線の県道で、左は繁多川に向かう2車線の市道。黒丸宗通りは狭いほうの道に続いています。



            この先左手に、去年までスーパーのかねひでがありました。ただいまテナント募集中。



            昭和58年まで、この場所に南西スーパーがありましたが、かねひでに吸収されたとのこと。

            南西スーパーって、沖縄らしい名前ですよね。JTAは南西航空に社名を戻せばいいのに、と私は思います。


            旧南西スーパーの前を通過し、その先のアジマァで振り返りました。



            南西スーパーが開店する前。ここに味噌と醤油を製造する小さな工場がありました。その名前が黒丸宗。

            黒丸宗通りの由来です。


            この男は(つまり私ですが)識名トンネルを抜けて、配達先の保育園に向かうんじゃなかったのか?(笑)

            (続く)


            お客様第一って言えんのか

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              私は某スーパーマーケット内の某所に座っています。(またかっ)

              何なんすかねぇ、これは。



              左が流すボタンで「流す専用ボタン」。右が呼出ボタンで「このボタンは押さないで下さい」。

              これはもう、何がなんやら。


              シールを貼った店員に問いたい。

              仕事をする気はあんのか?


              左右を間違える原因として、ボタンに記された「流す」と「呼出」の文字が小さいことや、ボタンの形状が似てることが考えられます。

              それならば、色んなことを書かずに、左に「流す」右に「呼出」と大きく書いたシールを貼り、その文字を青と赤などに色分けすれば、効果がありそうです。


              その前に、確認しておきたいことがあります。それは、ボタンの押し間違いには2通りあるということ。

              流すボタンを押すつもりで呼出ボタンを押せば、呼び出された店員が迷惑します。

              一方、呼出ボタンを押すつもりで流すボタンを押せば、助けを求める客が困ります。

              問題なのは後者。場合によっては命にかかわる問題なので、だから、間違いを防ぐ工夫が必要なんです。


              ところが、このシールを貼った店員は、自分が迷惑することしか頭にないようです。なにしろ呼出ボタンを押すなって言うんですから。

              間違いで呼出ボタンを押す人が99人いたとしても、残りの1人は助けを求めて呼出ボタンを押すんです。

              他の仕事を放り出して駆けつけて、それが間違いだったとしたら「ああ間違いで良かった」って話じゃないですか。


              このシールを貼った店員やそれを認めた上司に「今日もお客様第一で頑張ります」などと言ってほしくはありませんね。


              リボンのゼラチンかぁ

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                天久の製菓材料専門店「リボン」

                この店の品揃えはは質、量ともに他を圧倒していて、本当に頼りになります。



                例えば、オレンジピール。皮付き、クラッシュ、カットは3、5、7ミリと揃っているので、調理師のニーズにピタッとはまります。

                例えば、国産粒あん。500gから5キロまで揃っているので、食品専門店で1キロを5パック仕入れるより、5キロ1パックのほうが、ぐっとお買い得です。


                私にとっての難点は天久が農連市場の北に位置していること。

                私は午前中に那覇の南地区、午後は東地区で配達しています。仕入れもその途中で済ませるので、通常行動範囲の北限は公設市場。だから、天久へ行くとなるとワザワザ感があるのよねぇ。

                とは言え、先ほどのオレンジピールのように「そこにしか無い」と思えば動機づけとして充分ですから、オンボロワゴンは辺戸岬だろうが喜屋武岬だろうが、そこへ向かうのです。(本当は向かわんけど)


                さて私は、某保育園の注文書の一行を見て「え〜〜!!」と声を上げました。

                リボンのゼラチン200g

                ゼラチン200gなんて、どこでも買えますやん。て言うか、何で仕入先まで指定されなあかんかっちゅうことですわ。

                それに、この一行は「リボンで買え」と言うと同時に「そこらで買うなよ」と主張しているのですよ。

                つい、

                「リボンのゼラチンじゃないとあきまへんか?」

                と言いたくもなりますが、そんなことを口にしようものなら「そこに何て書いてあります?」と、私が調理師なら答えるでしょう。

                また、

                「園児が食べるのに、リボンだろうがサンエーだろうが一緒ですやん」

                と問われれば、私なら「園の方針です」と答えるでしょう。

                つまり、早よ行けと(笑)


                那覇東端の真地から、首里の丘を越えてリボンに着きました。

                リボンの売り場を仕切ってるFさんは上品な女性です。

                そのFさんがレジにいて、

                「あらCさん、今日はゼラチンだけでいいの?」

                と言うので、私は、よくぞ聞いてくれましたと、

                「注文書に『リボンのゼラチン』って書いてあるんでね。」

                と愚痴ったのでした。

                口に手をあてて「ウフフ」と上品に笑うFさん。


                Fさんがウケてくれたので、ちょっと喜んだ私ですが、リボンからの帰り道で、あの「ウフフ」はウケたんじゃなくて、勝利の「ウフフ」だったんだなと気付いたのでありました。


                まあ、午前中に那覇南端、午後に東端から北端と、那覇を一周できて私は幸せ者です。

                西端は?って

                「那覇の西は海じゃんか」


                新聞によりますと・・・

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                  新聞によりますと、宮古島市平良の交差点で乗用車2台による衝突事故がありました。

                  運転手らは軽症で済みましたが、交差点で交通監視にあたっていた宮古島まもる君が事故の巻き添えにあった模様です。



                  まもる君は両足に大怪我を負い、救急車で病院に、ではなくて、パトカーで交通安全協会に搬送されました。意識ははっきりしてるとのこと。

                  まもる君の背後には電柱があり、まもる君がいなければ大事故につながりかねない状況だったようです。


                  両足に応急治療を受けたまもる君を宮古島市長が見舞いました。



                  まもる君はこれだけの大怪我を負いながらも、3月中旬には職場復帰すると述べ、市長を安心させたのでした。


                  身を挺して島民を守ったまもる君。島民からは「こんな立派なおまわりさん。昇進させればいいサイガ」と声が上がっています。

                  (^o^)/


                  佐辺昆布店の店先で・・

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                    佐辺昆布店は前日までに注文を入れておけば、翌朝、某青果店まで配達してくれます。配達担当は佐辺のお父さんと、たまに良和君。

                    良和君が配達に来ると、某青果店のお母さんは大喜びです。なんやかんやと話しかけますが、朝の忙しい時間に最後まで話を聞いてくれる良和君は偉いと思いますね。

                    市場のオバぁ達の話を(どうでもいいような話でも)最後まで聞くことを私も心がけていますが、良和君は椅子に腰かけているお母さんの前で腰を落とし、目線を合わせて話を聞こうとするので、私より上等です。その腰を落とした姿が、またなんとも組踊(笑)

                    その様子を佐辺のお母さんに報告すると、「そうなの、そうなの」と相槌をうちながらこちらも大喜びします。


                    話は逸れますが、今年のお正月番組で「新春!島唄の祭典」が放送されました。



                    そこに出演したのがアイモコのお二人でした。



                    右端の愛郎さんと左端の友子さんのご夫婦でアイモコです。兼業農家のタレントで、自称「ハルサーミュージシャン」。親しみやすいキャラが人気です。

                    アイモコをご存知ないナイチの方。モコさんはいとうあさこさんのイメージで宜しいかと思います。



                    お二人は、島唄の祭典でかぎやで風を演じ、それを指導したのが良和君(佐辺師範)なのでした。


                    待ち時間に楽屋でくつろぐ、アイモコと良和君。そこに現れたのが前川守賢とジョニー宜野湾。周囲に促され、コントが始まりました。

                    モコさんの帯をつかみ「ア〜レ〜」を始める良和君。ヨヨヨと崩れ落ちるモコさん。そこに愛郎さんが現れ「俺の女房に何をする〜」(笑)

                    拍手する前川守賢とジョニー宜野湾。恥ずかしそうにポリポリと頭を掻く良和君。

                    まあなんとも、のどかで平和な時間でした。そこに立っていたのは、佐辺師範ではなく昆布屋のニィニィ(笑)


                    翌朝、佐辺昆布店の店先に良和君がいたので、こんな話になりました。

                    C「良和君。動画を見たで」

                    良「えっ、いつの動画ですか?」

                    C「ア〜レ〜、やんか」

                    良「えっ、それがアップされてるんですか?」

                    C「あのな。皆さんが描く佐辺良和のイメージはこんなわけよ」



                    C「それが、ア〜レ〜って(笑)」

                    母「あらCさん、おはよう。どうしたの?」

                    C「お母さん、ちょっと聞いて下さいよ。おたくのお坊ちゃんはね、よそ様の奥様の帯をほどいた上に、それを撮影までして。今俺が『おい、そんなことをしたらあかんで』と・・・」

                    母「えっ!?、ど、どういうこと?」

                    良「ちょっとCさぁ〜ん」

                    C「じゃっ!!」

                    良「しっ、Cさんっ!!ダメですよ、ダメ!!ちゃんと最後まで説明して下さいよぉ」

                    C「いや、俺は忙しいから。あとは頼む」

                    良「そんなぁ。僕が説明したんじゃ、信用してもらえないんですよ」

                    C「あら、そうなの。じゃあ仕方ないな」


                    その動画。読者の皆さんにもお見せしたいのですが、この翌日、どういう訳だか消されてたんですよ。

                    まあ、その原因が私にあるような、ないような(笑)

                    いや、見ていただきたかった。大変申し訳ないです m(__)m


                    仕入れ先との会話

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                      (1)上原惣菜屋で

                      佐辺昆布店でお弁当をもらったので、それをお昼に食べようとしたら箸がありません。

                      某青果店と佐辺昆布店は市場の端と端。遠いし、弁当をもらって箸までよこせと言うのもナンなので、近くの上原惣菜屋に向かいました。

                      C「はい、缶コーヒーちょうだいね」

                      上「缶コーヒーね。ありがとう」

                      C「あら、割り箸は?」

                      上「えっ?」

                      C「缶コーヒーに割り箸つかないの?」

                      上「つかんだろっ(笑)」

                      C「普通はナンゼンお付けしましょうかって・・・」

                      上「も〜、欲しいなら欲しいって。はい、割り箸」

                      C「(笑)」


                      (2)金城商事牧志店で

                      金城商事で卵を2ケース買いました。1ケースが20パックで12キロ。2ケースを持ち上げると「うっ、おっ、くっ」と、誰も話しかけないでちょうだい状態になります。

                      お店もそこは考えてくれていて、レジには卵用のバーコードが用意されています。だから、私は卵の棚からバイクの荷台に直行できます。

                      卵のケースを荷台に縛り付け「よしオッケー」になり店内を振り返ると、レジのお姉ちゃんと目が合いました。

                      C「じゃ!!」

                      姉「おい、こらっ!!。『じゃ!!』じゃないだろっ。こっちへ来いっ!!」

                      C「どした?」

                      姉「あら、私としたことが、お客様に何てことを。」

                      C「鋭いヤツやな。『じゃ』、『どうも〜』、『えっ、お金はいいの?』、『ぎゃっ!!』の予定だったんだよな」

                      姉「7,400円でございます(笑)」


                      (3)佐辺昆布店で

                      月曜日なのでゴミを出そうとしたら、那覇市のゴミ袋がありません。仕方ないので、ゴミと共に出勤し、佐辺昆布店でゴミ袋を買いました。



                      良和君が店番してたので、「ゴミ袋ちょうだいね」と言うと「あっ、Cさん。180円です」

                      以前、カップラーメンが400円と言った総理がいましたが、パッと180円ですと言えるところが偉い。「玉三郎はゴミ袋の値段が言えるんかな?」と考えましたが、それを口にすると「他に褒めることはないんかいっ」と言われそうなので、オジさんは黙ってゴミ袋にゴミを突っ込んだのでした。




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                      念願の沖縄生活を始めて14年になりました。
                      沖縄の生活、文化、風土、音楽、政治などの話題を投稿しています。 (y_mizoguchi@yahoo.ne.jp)
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