JUGEMテーマ:地域/ローカル
若松卸問屋街通り近くにあった若松公設市場は、3年ほど前に解体されました。
その跡地はどうなっているのか。
へ〜。那覇市津波避難ビル。
津波に襲われたらここへ避難せよってビルなのね。まんまだけど(笑)
しかし、このあたりは埋め立て地で海抜ゼロメートル。3階建で高さは大丈夫なのか?
東日本大震災の後、琉球大学が那覇の津波被害をシミュレーションしました。
(→「那覇が津波に襲われたら・・・」)
高さ10メートルの津波は、海抜25メートルまで到達すると予想され、それを那覇市に当てはめると、地図の薄いブルーの部分が浸水します。
那覇の中心部はほぼ全滅。津波が届かない場所は城岳の高台だけです。
繰り返し流された東日本の津波の映像と、那覇の地形を考え合わせれば、琉球大学のシミュレーション結果は信用に足るものに思えます。
私はこの地図に従い、農連市場にいれば城岳の高台に、自宅にいれば上間の丘に駆け上がろうと、そう決めています。
それで、那覇市津波避難ビルはどうなるのか?
逃げ場の無い海抜ゼロメートル地帯に、避難場所は必要でしょう。少なくとも、小中規模の津波なら、この施設が多くの人命を救うはずです。
ところが、10m級の津波を想定した時、私はこのビルに避難する気には、とうていなれません。近くの高層ホテルに逃げ込んだほうが、生き残る可能性が高そうです。
そのあたり、那覇市はどう考えているのか。
津波避難ビルの入口に案内がありましたので、読んでおきましょう。
3.11東日本大震災からの教訓
そして未来へのメッセージ
安心・安全な生活を営むことは、市民共通の願いである。
平成23年3月11日に発生した東日本大震災は、大規模災害の発生時に市民の生命及び身体を守るためには、行政による防災対策に加え、自らの安全は自らが守る「自助」、身近な地域で助け合う「共助」が不可欠であり、また、協働によるまちづくりを通して、防災・減災について日頃から取り組むことが重要であることを、その教訓として示した。
市民は、世代を超えた交流を通して、地域の絆を紡ぎ、互いに支え、助け合う共助の心を育み、市は、人と人とのつながりを礎にした地域コミュニティの発展に取り組み、防災・減災に努めなければならない。
東日本大震災における津波の恐ろしさをいつまでも記憶に留め、市民の防災意識の高揚を図るとともに、安心・安全で災害に強いまちづくりを推進するため、津波避難ビルを建設する。
平成28年(2016年)5月
那覇市
_| ̄|◯
なんなんでしょうね。
ご自身はある種の高揚感を持ってお書きになったようですが、まったく何も伝わってきません。
結局、何もわかってないんでしょうね、このお方。
(終わり)