昨年、ロワジールホテルで行われた集まりに招かれ、
講演の機会をいただきました。
その時に会場にいらして、ブログにコメントもいただいたオムライスさんから連絡があり、あの時のような話をしなさいと。8月9日の予定で、場所はパシフィックホテルだと思います。
あまり時間が無く、急いで原稿を書いておりまして、このところブログの更新が滞り気味なのは、その影響によります。
まあ、そこで。その原稿の出だし5分くらいをブログに貼り付け、今日のところはお茶を濁そうって作戦です(笑)
(ここから)(1A)ただいまご紹介にあずかりました溝口でございます。本日は那覇ロータリークラブの例会にお招きいただき、誠にありがとうございます。
私は広島県呉市の生まれです。戦艦大和の街です。私が通った高校にはインターアクトクラブがありまして、私はそのメンバーでした。ロータリークラブの青少年育成プログラムですね。国際交流と奉仕活動。
その活動報告だったと思いますが、呉ロータリークラブの例会に招かれたことがありました。
そしたら、近所のおばちゃんが、例会会場のホテルに勤めていまして、食事を運んで来るんです。私の顔を見て驚きましてね。「たまげたぁ。泰弘君があがいな席に招かれて挨拶しちょった。たいしたもんじゃねぇ」と。今のは広島弁です。おかげ様で私はご近所にいい格好ができました。
今日はその日以来の例会出席です。40年ぶりになります。
(1B)私は7年前に沖縄に移り住み、那覇の農連市場で働いています。ご存知の通り、那覇市内でもかなりディープな場所で、市場の主力メンバーは70、80のオバァ達。日常会話の大半がウチナーグチですから、今や、ウチナーグチの特別保護区域と呼んでも良いでしょう。
私は毎日、市内11ヶ所の保育園に給食用の食材等を届けています。本業の青果物に加えて、精肉、鮮魚、島豆腐から、缶詰め、調味料、ラップに至るまで、保育園の厨房で必要な物は、どんな物でも注文を受けます。保育園は注文先が一ヶ所で済み、注文された商品の大半が農連市場で揃うところが、この商売のポイントです。毎朝、市場から商品を掻き集めて、保育園の厨房に納めます。
(1C)さて、ある保育園で、おじいちゃん、おばあちゃんを招いて敬老会が行われました。その時の園児達の挨拶です。
おじぃちゃん
おばぁちゃん
めんそーれー
ちゅうや
うたたいもうたいし
まじゅん
あしびでぃきらち
はなやかさびら
ゆーゆーとぅ
しみそーりよーいい挨拶ですねぇ。標準語で同じことを言っても、このウチナーグチの優しさと言うか、絶妙なニュアンスは出せないと思います。
そしてこちらは、楽しい時間が終わって、さようならの挨拶です。
ちゅうや
いっぺいにふぇーでーびたん
いちまでぃん
ちゃーがんじゅう
しみそーりよー私はこの挨拶を思い出すたびに、ウチナーグチの優しさに泣けて泣けて。今もまったくそんな気持ちです。
(1D)私が沖縄に越して来た年の翌年。興南高校が甲子園で春夏連続優勝を果たしました。私は春の決勝は平和通り商店街のテレビの前に、夏の決勝は興南高校の体育館にいました。
特に夏は良かった。試合の中盤でほぼ勝負は決まり、あとはいつ喜びを爆発させるかだけでしたからね。見事な勝利でした。その時、ある女性がこんなことを言いました。
ひやみかち
はなやかち
どんみかしたうまいことを言いますよねぇ。ひやみかちは県大会決勝から甲子園の1、2回戦、はなやかちはベスト8からベスト4でしょうか。そして決勝戦。
よく「ウチナーンチュのチムグクル」と言われますが、それはウチナーグチでしか表現できないってことを実感します。農連市場で働いてるおかげで、私もここに出てきたようなウチナーグチなら、意味が分かるようになりました。
(1E)沖縄はわずか140年前までは独立国家。ヤマトとは異なる文化を持ち、それは今も深く受け継がれています。それはヤマトの人達にとっては異文化。カルチャーショックを受けることがしばしばあります。例えば「ウチナーグチって本当に日本語なの?」とかですね。
それが沖縄の不思議。
私は沖縄を訪ねるヤマトの人達に、沖縄で不思議に思うことがあったら、驚いておしまいにせず、その不思議を紐解いて欲しいと言ってます。
理解が進むにつれ、その不思議は沖縄の魅力に変わります。そしてその魅力に気付いたヤマトの人達は何度でも沖縄を訪ねたくなります。
今日はそんな話をさせていただきます。
(ここまで)