慰めようが無い話

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    今朝の農連市場。トモコオバぁのカマボコ屋の前に何かがあり、手拭いが掛けられていました。

    手拭いの下には冷たくなった市場の猫。猫好きのトモコオバぁは、やっと涙がとまったところのようでした。

    動物写真家岩合光昭さんの言葉を借りれば「猫は最も身近な野生」。狩をし、子育てをする生活は、アフリカの草原で暮らすライオンと何も変わりません。だから、トモコオバぁは悲しみはするけれど、それを受け入れることはできたはずでした。


    ところが、世の中には酷い男がいるもので、トモコオバぁとは犬猿の仲のコロッケ屋が「ワンが殺った」と。その一言が、トモコオバぁの悲しみを何倍にも増幅させたことは明らかでした。

    まったく慰めようがありませんでしたが、ともかくトモコオバぁには、あんなへタレに猫を殺せるはずがなく、死んだ猫を見て、意地悪を思いついたのだと言っておきました。

    カマボコ屋周辺の市場の人達も、概ね、私と同意見で、そのうちの何人かがトモコオバぁを交替で慰めてくれるでしょう。


    さて、一昨日の日曜日に放送された「プロフェッショナル 仕事の流儀」は、先ほどの岩合光昭さんでした。



    岩合さんの猫への接し方は猫への敬意に溢れていました。それが彼の仕事であることを割り引いたとしても、猫好きな人達には堪らない内容だったと思います。



    それにひきかえ、あの馬鹿は。同じ投稿に名前を並べることになって、岩合さんに申し訳ないです。

    再放送は今週木曜日の深夜。NHKで。


    菓子屋のオヤジとクラッカー

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      某青果店の隣にある當山(とうやま)菓子屋。



      小さな菓子屋に見えて、実は大きな会社です。上間交差点から那覇インター方向に高架を登った左手に本店があります。


      いつまで経ってもペンキを塗り直さないので、以前、オヤジに「何でか?」と聞いたら、

      「ペンキは結構お金がかかるし、塗り直しても売上は同じだからね」

      と言うてました。ごもっとも。




      ナイチにお菓子を「輸出」することで会社を大きくした當山のオヤジ。今は会社を後進に任せ、創業の地である農連店を娘と二人でやってます。


      もちろん、保育園からの注文にお菓子はありまして、それを當山菓子屋で仕入れます。

       

      昨日、オヤジから買ったクラッカーが1箱220円で、今日、娘から買った同じクラッカーが230円でした。



      C「おいおい、親子で値段が違っとるで」

      オ「そうかな。まあアレ(娘)は230円で売ってるかもしらんね」

      C「はぁ?、何言ってる」

      オ「まあ、いいだろ」

      C「いいだろって。う〜ん、まあええか(笑)」


      保育園への売値は一定ですから、某青果店が10円儲かったり、儲からなかったりするだけのこと。

      確かに、それを言い出したら、市場で他の商品を仕入れる際も、価格はシーブンの分だけ振れてますからね。

      親子とは言え別人なんやから、そりゃあ、値段が変わることもあるやろって話でした(笑)


      今朝の農連市場

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        月曜日の朝です。今週も頑張りましょう。

        (1)名嘉鮮魚店

        今朝はまず、名嘉鮮魚店でグルクンを仕入れたら、名嘉のオバぁが「待ちなさい」。

        アイスコーヒー(大)をくれようとするものの、向かいのコーヒー屋が留守なので「後で回って来て」と。

        「忘れたことにするか」とチラッと思ったものの、それを見透かされたように念押しで「ねっ、来てよ」と。

        グルクンをバイクの荷台に縛り、次へ行こうとするものの、オバぁがこっちを見てる気配がするのよね。

        そんなに心配なら、くれようとすんなよぉ。と言いたい。


        (2)トモコカマボコ屋

        次はカマボコ屋。ところがトモコオバぁがオシッコで留守でした。

        何でそれが分かるかと言いますと、大事なカマボコを放ったらかしにする理由が他には無いからです。

        しばらく待っていると、トモコオバぁが帰って来て、

        ト「ごめんね、待った?」

        C「見張りよ、見張り」

        ト「えっ?。ニィニィいいとこあるさぁ。ヌスルーは出るし、マヤーが引っ張っていくからよ。ゆっくりオシッコもできんさ。マヤーには『ゆっくり食べなさい』って言うけどよ。アハハ」

        C「俺がヌスルーじゃなくて良かったじゃん」

        ト「あれ、ニィニィだったら『ゆっくり食べなさい』って言うさぁ」

        C「うへ〜、俺はやっとネコ並みかぁ(笑)」

        ト「で、今日はなんね?。カステラ半分ね?。10本半じゃなくて、ただの半分ね?」


        (3)海洋食品、モヤシ屋

        次に向かった海洋食品はオバさんが留守で、モヤシ屋は「あっ、まだ入れてない。ごめん」。

        4軒回って、バイクの荷台にはグルクンとカステラ半分だけ。息つく暇もない私の朝をどうしてくれるのか。


        (4)丸大スーパー神原店

        こんな、巡り合わせが悪い朝は流れを変えることが大切です。私は市場から出て、スポーツドリンクを買いに丸大へ向かいました。

        丸大の朝番は二人のネェネェと、(大西)ジミーちゃん。最近、姿がジミーちゃんに似ているものの、体重20キロ増しのニセジミーが現れたので、そいつはマギーちゃんと命名しました。

        ジミーちゃんとマギーちゃんの人柄の違いは、こんな話で明らかになります。

        C「おーい、この雨なんとかしてくれよぉ」

        ジミー「えっ、あっ、なっ、ぼ、僕にそんなこと言われても。あっ、ちょと、すみません」

        マギー「・・・・。231円です」

        ジミーちゃんが皆んなから愛される所以です。

        今朝の当番は二人のネェネェでした。

        C「おっ、今朝はお花畑かぁ。参ったな」

        ネェ1「ウフフ」

        ネェ2「エヘヘ」

        素直に喜ぶところがオバハンよね(笑)

        C「朝からお勉強ね?」

        ネェ1「これは嘆願書。ジミーちゃんが別の店に応援に行ったらさ、そこの店長に気に入られて『よこせ』になってるの。困るさぁね」

        C「そらあ困るよな。あっ、そうや。『似たような感じがもう一人いますけど、そっちでどうですか?』って書けば?」

        ネェ2「ギャハハ!!、やっぱり?。良く分かってますね」

        C「一見似てるから気付かんかもよ(笑)」


        さて、既に時計の針は6時を回り、私はこれから、コンニャク屋、豆腐屋、菓子屋、そして、海洋食品、モヤシ屋を回る必要があります。

        その後で、店に届いている湧田、佐辺、知念の商品と共に、仕分けをします。そして、冷蔵庫にある商品約30箱を店頭に運び、惣菜屋へ納品する大根の葉を落とします。

        そのあたり、「ちょと間に合わん」とか「ギリギリセーフ」とか直感できるので、慣れとは恐ろしいものです。

        今朝も最後の大根の葉を落としたところで7時ちょうど。相棒のAが卸売市場から帰って来ました。


        「よし、行くで」

        と、配達に出た私ですが、アイスコーヒーを忘れてました。某青果店の前は一通で、開南本通りもバスレーンで一通。だから、店を出たら最後、私は市場に戻れません。

        とは言いつつ、さしみやのオバぁが氷の溶けたアイスコーヒーを手に持ってるのを思い浮かべれば、ここは引き返すしかありません。私はひめゆり通りに入り、丸大の前を抜け、大回りして市場に入っていったのでした。


        ここは、神里原大通りを農連市場に出た信号です。国際通りのてんぶす那覇からハイアットの前を抜ける道です。



        通信制高等学校の事務所と権利者住宅が完成間近で、二つの建物のツラが揃ってますね。

        ここは交差点となり、このまま開南本通りへ直通になります。開南交差点の渋滞がやや改善するかもしれませんね。

        それから、開南本通りが4車線になりますから、バスレーンの時間帯でも市場に引き返すことができるようになります。


        宮里藍さん引退

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          昨日、プロゴルファーの宮里藍さんが引退を発表しました。今日の沖縄タイムスの一面トップは、もちろんこのニュース。



          スポーツ面はもちろん全面。



          号外も出ました。



          国内15勝、海外9勝。2010年度世界ランキング1位。


          今後、どれだけトレーニングしても、元のポジションに戻ることはできないと、判断したのだと思います。

          151cmの身体で、本当によく頑張りました。


          私がパトカーに「チッ!!」ってなる理由

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            最近、やたらとパトカーが目につきませんか?。



            夜明け前に国場から樋川にバイクを走らせる私ですが、そんな時間でも、ほぼ毎朝パトカーを見かけます。

            本来は「こんな朝早くから、地域の治安維持に努めて下さり、誠にありがとうございます」と、頭の一つでも下げるべきところ、到底、そんな気持ちになれないのが困ったものです。


            昨年発生した元米兵による遺体遺棄事件の後、政府が沖縄のパトロール強化を目的に、県警の警察官を100人増員し、パトカーを20台増強しました。おそらく、その100人が20台のパトカーでクルクル回るようになって、パトカーが目につくようになったんでしょう。

            そこでも本来は「あっ、ナイチからわざわざご苦労様でございます。特に米兵には気をつけましょうね」と申し上げるべきところ、「これは政府の国民に対する監視強化ではないのか」と思う私は、かなり屈折してると言えるでしょう。

            沖縄県に限らずどこの都道府県でも、国パトと県パトの2種類があるそうです。つまり、どちらの予算でパトカーを買ったか。それで、冒頭の写真のようなクラウンが国パトで、プリウスだとか軽だとかが県パト。増えた20台は国パトですから、クラウンが目立つわけです。


            私はパトカーを見ると「チッ!!」ってなりますが、パトカーは私が好きみたいで、時々、配達中に追跡されます。保育園へ配達してるわけですから、私の走行経路は複雑で、思わぬ場所でスージに入ったりします。それが怪しく見えるんですかね。保育園の駐車場でやり過ごし、やれやれと思ったら近くで待ってんのよね。


            沖縄で警察官が嫌われているかと言えばそうでもなく、人気がある警察官はいます。

            例えば、東村の交番勤務に就いた警察官。交番勤務は通常3年程で配置替えになるところ、この警察官は地域の人達から愛され、村内6地区の区長が揃って、勤務の継続を県警に嘆願しました。その甲斐があって、警察官は定年まで東村に駐在し、退職の日には公民館でお祝いが催されたそうです。




            また、与那原署のある警察官はシマクトゥバが得意で、横断歩道では「わたるめー、なーちゅけーん、みじひだり」などと声かけします。特にお年寄りから人気があり、シマクトゥバを使う講師として、安全講習会に引っ張りだこだそうです。



            二人の警察官に共通するのは、地域と交わり、地域の役に立とうとする心構えが見てとれること。地域の人達に嫌われてしまったら、仕事にならないんですよ。本来はね。


            一方、新品のパトカーで那覇をクルクル回ってる警察官は、仕事柄、地域住民と交わる機会が少なく、話をすることがあるとすれば違反キップを切る時くらい。私の偏見と承知の上で言いますと、彼らに「一度は田舎の交番勤務を経験してみたら?」とか、「シマクトゥバを覚えると仕事に役に立つよ」とアドバイスしても、そうはしないように思えます。

            そんな気配をパトカーから感じ取り、私は「チッ!!」となるのですよ。たぶん。


            2万7千年前のオジぃ、展示中

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              西原町上原の沖縄県立埋蔵文化財センターで、(全身骨格としては)日本最古の人骨を展示中です。



              新石垣空港の建設に伴う洞穴調査で、白保竿根田原洞穴遺跡から20数人分の人骨が見つかったもの。そのうちの4人は頭蓋骨があり、最も骨が揃っている白保4号人骨がこちらです。



              約2万7千年前の人骨で、身長165cmの男性高齢者と推定されています。


              20数人分の人骨がまとめて発見されたことや、このオジぃが手足を強く屈曲させた仰向けの姿勢だったことから、この洞穴は当時の墓所だったと考えられています。埋葬ではなく風葬のため、骨には動物が噛んだ跡が残っているようです。

              そして、冷水刺激を反復することによる外耳道骨腫の症状が見られるそうで、これは海女さんやダイバーに見られるもの。ってことは、このオジぃは海人(ウミンチュ)だったのかもしれません。

              また、上顎の歯の磨耗が激しいことが明らかになりました。充分な道具が無い時代ですから、物を切断したりするために、歯を多用していたのかもしれません。

              いやぁ、色々分かってきましたねぇ。

              既に沖縄で見つかっている山下洞人や港川原人は骨の劣化が激しいため年代測定が難しく、一緒に発掘された木炭などから間接的に年代測定したそうです。一方、白保オジぃの骨は保存状態が良く、年代測定ができたとのこと。いやぁ、素晴らしい。


              沖縄にはヤマトから稲作集団が渡って来たと考えられていますが、沖縄で狩猟生活をしていた白保オジぃの子孫達とはどのように交わったのか、交わらなかったのか。言い換えると、ウチナーンチュはオジぃの直系の子孫なのか、そうではないのか。

              何故、ウチナーグチは古い日本語みたいなのか?

              また、オジぃの祖先は約3万年前に、大陸から海を渡って来たと考えられていますが、黒潮が横切る海をどうやって越えたのか。

              NHK「3万年前の航海」



              ウチナーンチュはいつ、どこから来たのか。そのテーマに一定の答えが出るかもしれませんね。


              それにしても、埋蔵文化財センターが展示品の写真撮影を許していることが素晴らしいです。「なんであかんの?」と思われる場所が多い中、画期的と言えます。



              ついでに言うと、たいして売れてもない民謡歌手のライブで「演奏中の写真撮影やムービーはお断りしてま〜す」とか言っちゃって、くそ生意気な。

              その点、りんけんバンドは心が広いわ。カラハーイのライブ冒頭でボーカルのかーつーが、

              「なお、演奏中の写真撮影や、録音、録画などはですね・・・。どんどんやって下さいねぇ〜、アハハ」

              と必ずアナウンスしてくれます。見習いなさいっちゅうの。


              会社の寿命(5) ヘリ会社のその後

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                ヘリ墜落後のヘリ会社は、事故調査が完了した時期に社長が退任し、今年になって千葉のヘリ会社と合併しました。存続会社は千葉の会社です。

                私はヘリ会社の情報を報道で知るだけですので、内情はよくわかりません。しかし、大まかな流れとしては、社長の辞任後に株主構成が変わり、筆頭株主となった会社が、千葉のヘリ会社に事業譲渡したのではないかと推測しています。


                私が最初に勤めた鉄鋼メーカーが他社の子会社になってしまった事は、世界的な鉄鋼業界再編の一環と言えるので、誰が経営者でも同じ結果になったでしょう。ところが、ベンチャー企業とヘリ会社には事業継続の可能性が大いにありました。

                ベンチャー企業が良からぬ取引に巻き込まれ、金融庁に目をつけられたのは私の入社前の話で、ヘリ会社の遊覧ヘリが墜落したのは、私が退いた後の話です。そのため、私自身は後悔のしようがありません。

                とは言え、ベンチャー企業の本社が取り壊されて跡地にパチンコ屋が建てられたり、沖縄の企業として生きて行こうとしたヘリ会社の名前が失われたりすると、そこはやはり悔しいものです。


                二つの会社はリスク管理が足りなかったと言えます。広く言えば内部統制が効いて無かった。避けようと思えば避けれたリスクが原因で、会社が倒産したり譲渡されたりしたのですから、二人の社長にとっては痛恨の極みだったでしょう。

                利益を上げていた会社は、社会から必要とされていたと言えます。また、将来に渡って事業が継続できる可能性がありました。そんな会社が今既に無いことは、例えば、若くて元気な人が事故で亡くなったことに似ていて、返す返すも残念ではあるけれど、つまるところ、それがその会社の寿命であったのだと考えるほかありません。


                ヘリ会社の整備士と二人で、ヘリの格納庫があった伊江島空港に出掛けた際、タッチューに登ったことがありました。その日の投稿は(→こちらから)






                この会社の将来は明るいと、考えていた頃のことです。


                還暦を迎えるまで残り半年を切り、私は人の名前から木や花の名前に至るまで、知ってるはずが口から出て来なくなってます(笑)。そこで、覚えてるうちにここ10年ほどを回顧しようとした投稿でした。

                長々とお付き合いいただき、ありがとうございましたm(_ _)m


                会社の寿命(4) ヘリの墜落

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                  某ベンチャー企業が倒産し、その子会社の航空会社が清算された環境下で、存続が決まった孫会社。

                  普通はありえないことが起きた要因には、ヘリ会社の業績が良かったことや、顧客が沖縄の有力企業であったことなどが挙げられます。そして、ヘリ会社の再建に関係した企業や個人の誰もが「沖縄にこの会社を残さなくてはいけない」と強く思っていました。


                  ヘリ会社の社長は、新たな収益の柱として、観光客や地元客向けの遊覧飛行に力を入れようとしていました。

                  当時、遊覧飛行の料金は那覇空港からすぐ先のチービシまで往復するコースが5万円。5人のグループで貸し切ったとすれば1人1万円でした。



                  私は充分その価値はあると思いますが、気楽には払える額ではないことも確かです。私の友人が、お母さんのトゥシビーのお祝いで、家族5人で乗ってくれたことがありましたが、そんな特別な日の行事には良いかもしれません。という価格。


                  社長は、もっと安い価格で遊覧飛行を提供したいと考え、私が会社を離れた3年後、遊覧飛行用の小型ヘリを購入しました。会社に設備投資をする余裕ができたのですから、私にとっても嬉しいニュースでした。

                  新しいヘリは読谷や本部の仮設ヘリポートに配置され、遊覧飛行の立ち上がりは順調に見えました。

                  ところがですね。

                  その小型ヘリが古宇利島で遊覧飛行中、海に墜落してしまったのですよ。

                  「アッチャー!!」

                  機体は水没したものの、乗員と乗客は付近の漁船などに救助され、命に別状はありませんでした。その日の投稿は(→こちらです)


                  その日の投稿には「不幸中の幸い」などと当たり障りの無いことを書きましたが、新聞の記事を読んだ時に、この事故は不幸な出来事などではなく人災だと直感しました。

                  目撃者によれば、ヘリは古宇利大橋のすぐそばの海面すれすれを飛んでいたそうで、それが事実なら違法です。

                  正確に言えばこんなことのようです。上空から海面に急角度で下降したヘリは海面近くで水平もしくは上昇飛行に移るはずでした。ところが、穏やかで透明な海面にパイロットが高度を見誤り、そのまま海面に突っ込んだと。

                  会社が命じたのか、パイロットの判断なのか、いずれにせよ乗客を喜ばせるために、安全高度を無視して飛んでしまったということ。社長の責任は厳しく問われるであろうと容易に想像できました。

                  「いったい、何をやっとるんだ」って話です。

                  (続く)


                  会社の寿命(2) 会社の倒産

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                    某ベンチャー企業と金融庁のバトルは終結したものの、信用を失った会社の営業部門は惨憺たるありさまでした。金融庁が捜査に入ったことをメディアが大々的に取り上げ、その影響で既存の顧客は去り、新規営業は難航しました。

                    創業5年で上場を果たし、利益率の伸びで世界ランキングに名前が載った会社でしたが、完全に失速し、創業10年目の2009年に倒産しました。



                    当時、会社は弁護士と公認会計士からなる調査チームを編成していました。能力が高い(報酬も高い)先生方にお集まりいただいたため、その報酬総額は軽く10億円を超えました。国家権力に立ち向かうには、それなりのコストがかかるってことです。

                    後になって考えたことですが、金融庁は会社が死に体になったことを見極めたのだと思います。消滅が決まっている会社を手間をかけて罰する必要は無く、だから捜査を終了したのでしょう。


                    私はその会社で、なかなかタフな3年を過ごしましたが、もちろん良いこともありました。四半期ごとの会計監査や社内会議などで、毎月、一週間ほど沖縄本社に来る必要があったのです。

                    「沖縄に来なくてはいけない」

                    なんて素晴らしい響きなんでしょう。

                    出張ですから、交通費や宿泊費はもちろん、日当まで支給されて、

                    「沖縄に来なくてはいけない」(笑)

                    しかも、沖縄に一週間出張するわけですから、前後の週末は当然沖縄にいますよね。

                    金融庁の影に怯えながら、弁護士や公認会計士と議論を続ける昼間が「陰」とすれば、平日の夜と週末は「陽」。そのバランスの中で私の精神ならびに体力は維持されていたと言えます。

                    更にそのころ、私が沖縄に転勤する雰囲気が醸成されていて、これがまた明るい未来を予感させました。

                    「沖縄で働かなくてはいけない」(笑)

                    ナイチの上場企業の給与レートで、しかも私は執行役員。当時の月給を今の私が稼ぐには半年以上かかります。その沖縄生活を「薔薇色」と言わずして、何と言えばよいのか。

                    だから私は頑張ったと(笑)


                    さて、頑張った甲斐もなく会社は倒産しましたが、一応は上場企業ですから、破産手続きには結構な手間がかかります。那覇地裁が松尾の弁護士事務所を破産管財人に指名し、財務担当の取締役と私の二人が、その業務を手伝うことになりました。

                    かくして私は、債権者集会で社長が「ごめんなさい」と頭を下げた日までの数ヶ月を、那覇地裁から日当2万円を支給されつつ、過ごすことになりました。

                    (続く)


                    会社の寿命(1) 沖縄に来る前のこと

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                      大学を卒業して鉄鋼メーカー(東京)に就職した私は、その会社で45歳まで22年間勤めました。

                      売上高は約6千億円。ピンとこない数字かもしれませんが、沖縄県内企業の売上高ランキング上位5社(首位は沖縄電力)の売上高を合計すると、その数字になります。

                      その会社はこの春、国内首位の鉄鋼メーカーに吸収され、完全子会社となりました。売上高6千億円の会社をよく飲み込めたもんだと思われるかもしれませんが、親会社の売上高は4兆9千億円。「ん?、何か飲み込んだか?」みたいなもんです(笑)。


                      退職後の私はIT企業(大阪)の雇われ社長を3年務め、その後、某ベンチャー企業(那覇)に移りました。

                      東京→大阪→那覇。

                      これは沖縄の引力のなせる技と言えるでしょう。沖縄に住むことだけが人生の目標ってことでもありませんでしたが、大きな流れとしては、そうなっていますね。


                      かつて那覇市西町にあった某ベンチャー企業の本社。



                      沖縄風デザインの外観と開放感のあるフロアー。玄関の上にはバーベキュー用の広いテラスがありました。

                      本社とは言え、ここにあったのは総務と経理だけ。実質的な本社は東京の芝公園にあり、私はそこで企業法務や会計監査を管掌する執行役員を務めていました。

                      芝公園のオフィスは30階建の高層ビル内にあり、最上部の数フロアーは賃貸マンションでした。私が会っただけでもプロ野球の松坂大輔や、俳優の吉川晃司、歌手の前田亘輝らがそこに住んでいて、オフィスもマンションも「結構なお家賃」でした。


                      さて、私が入社して1年後のある日。オフィスに金融庁の職員(証券取引等監視委員会)が段ボールを抱えて入って来まして「はい、皆さん動かないで」と(笑)

                      創業5年で株式を上場させた若い会社でしたから、コンプライアンスの面ではまったくダメダメでした。そこを金融庁に睨まれてしまったということ。以降、私のエネルギーの大半を(金融庁から)会社を護るために費やすことになりました。

                      そして、2年間に及ぶ金融庁とのバトルの後、会社は「おとがめなし」ということになりました。押収されていた書類等が返還されることになり、トラックで霞ヶ関から芝公園まで運びました。会社の地下駐車場で大勢の社員が拍手で迎えてくれて、あの時は嬉しかったなぁ。

                      (続く)


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                      念願の沖縄生活を始めて14年になりました。
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