JUGEMテーマ:地域/ローカル
ウィキペディアの「ノロ」のページに掲載されているこの写真。
このブログでも何度か使わせてもらってます。写真のノロは比嘉カマトさん。中城村の新垣、泊、添石、伊舎堂の祭祀を担当していました。
そして、この写真を撮ったのは、人間国宝の鎌倉芳太郎さん。1927年(昭和2年)の撮影だそうです。
芳太郎さんは紅型の復興で知られていますが、取り壊し寸前の先代首里城を救出した人でもあります。そのため、芳太郎さんに対する尚家の信頼は絶大で、あの伊波普猷でさえ取材が難しかった中城御殿に、芳太郎さんはフリーパスで出入りができたそうです。
一方、カマトさんは代々ヨキヤノロと呼ばれたノロの家系にあり、先ほどの4集落の祭祀を担当すると共に、琉球国王の世子、すなわち中城王子への祈願を担当していました。
つまり、芳太郎さんはたまたま出会ったノロを撮ったのではなく、カマトさんとは会うべくして会ったということ。
これは私の想像ですが、写真を撮った場所は中城御殿の敷地で、カマトさんは写真を撮らせるために正装し、芳太郎さんの前に立ったのではないでしょうか。カマトさんの表情や姿勢が、私にはそのように見えてしまいます。
余談になりますが、芳太郎さんは中城御殿を写真に撮り、スケッチし、記録を取り続けました。取材ノートは80冊を超え、その内容は解剖学を思わせるような、緻密で正確なものだったそうです。
中城御殿は復興が決まっていますが、その際、芳太郎さんのノートは充分に活用されるはずで、ノートに従って復興されると言っても良いかもしれません。
首里城を守り、紅型を復興させ、没後もなお、中城御殿の復興に貢献する芳太郎さんは、ウチナーンチュにとって恩人と呼んでも差支えないでしょう。沖縄に移り住んだナイチャーってところだけ同じの私にとって、芳太郎さんは神です、神。
(続く)