台風24号通過中

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    大型で非常に強い勢力の台風24号が、沖縄本島の西側を通過中です。

     

     

     

    保育園は当然の休園で、私はお休み。明日は日曜日なので、連休になりました。

     

    今日の路線バスは終日運休で、那覇空港の発着便は全て欠航。イオン、サンエーなどのスーパーも臨時休業しています。県知事選の期日前投票所は閉鎖され、明日の投票日はどうなるか。

     

     

    今年の台風は、ビビらせておいて、実はあまり大したことはありませんでしたが、この台風は、数年ぶりの台風らしい台風です。昨夜遅くから、暗闇の中、地の底から湧き上がるような呻き声が。う〜ん、ゾクゾクするぅ(笑)。


    そして今朝、那覇の最大瞬間風速は50mを超えました。雨は真横から降ってます。最初は真東から吹いていた風は、徐々に南に移っています。やがて台風の目に入り、西からの風に変わるはず。私は明日の朝まで外に出れそうにありません。出ても誰もいないし。

     

     

    台風は更に勢力を増しつつ、本土を縦断するようです。

     

    「ナイチの皆さ〜ん。けっこうヤバい台風がそっちへ行きますよ〜。充分に注意して下さ〜い」


    選挙運動中のオバハンと(サキマ淳)

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      オ「サキマ淳でございます」

       

      C「はい」

       

      オ「サキマ淳は携帯料金の4割削減を目指します。ねっ、助かりますよね」

       

      C「ば〜か。沖縄県知事にそんなことができるもんか」

       

      オ「ですから、削減させるではなくて、削減を強力に働きかけるということですよ」

       

      C「ほら」

       

       

      オ「あっ、これはいけませんね。印刷会社に厳しく言っておきます」

       

      C「働きかけるんなら宜野湾市長の時からやれば良かったじゃん」

       

      オ「いえ、そこはやはり、市長と知事では・・」

       

      C「そうだよな。宜野湾市長は辺野古の埋め立てを承認できんから。あっ!!」

       

      オ「なっ、なんですか?」

       

      C「サキマさんが宜野湾市長の選挙で言うてたディズニーランドの誘致はどうなった?」

       

      オ「いえ、それは」

       

      C「ミッキーマウスは宜野湾に来たの?」

       

      オ「いいえ。でも、那覇には来ましたよね。何で来たんでしたっけ」

       

      C「ねえ。貴女、本当にサキマさんの支持者なの?」

       

       

      サキマさんのスローガンは「対立から対話へ」。

       

      対立と対話。日本語として、この二つの概念が「AからBへ」と言えるものなのか。国家間の外交を思い浮かべていただきたい。対立を解消するために対話が必要なのですよ。対立があるからこその対話と言っても良いでしょう。対立の無い時の対話って、何を話すんでしょう。

       

      二つの言葉の概念が揃った例を上げれば、「対立から従属(服従でも可)」。これなら意味が良く分かります。

       

       

      考えてみて下さい。県知事候補が携帯料金を削減しようなんて思いつきますか?。多少、サキマさんのカタを持てば、官邸筋から言わされてるんじゃないかと。

       

      官「サキマ、てめえよぉ。デニーは辺野古反対って言ってりゃいいけどよぉ、てめえは何て言うんだよ。経済振興?。そんな漠然としたことじゃあダメだよ。そうだ、携帯料金を下げますって言いな」

       

      サ「けっ、携帯料金をですか?。県知事候補がですか?」

       

      官「給料の安い、若いウチナーンチュが喜んで投票するだろうよ」

       

      サ「でも、さすがに携帯料金はちょっと」

       

      官「じゃあ、何て言うんだよ。てめえは言われた通りにやればいいんだよ。なっ」

       

      こんな感じと思いますが、これを対話とは言いませんよね。


      選挙運動中のオバハンと(玉城デニー)

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        オ「玉城デニーでございます」

         

        C「おう。期日前でデニーさんに入れたよ」

         

        オ「あっ、ありがとうございますm(_ _)m」

         

        C「あと一日、頑張って」

         

        オ「はいっ!!。一緒に基地の無い沖縄を創りましょう」

         

        C「何言ってる」

         

        オ「えっ?。基地の無い・・・」

         

        C「そんなことをデニーさんが言ったの?」

         

        オ「あっ、いえ、それは」

         

        C「貴女がそうしたいのね」

         

        オ「はい」

         

        C「じゃあ、貴女が立候補しないと」

         

        オ「でも、基地は無いほうが・・・」

         

        C「デニーさんは辺野古には反対してるけど、全米軍基地撤去なんて言ってないでしょ」

         

        オ「はい」

         

        C「だから、貴女の考えは言わないよ」

         

         

        沖縄の基地問題を議論する際、まず明らかにすべき立場は日米安保に賛成か、反対か。賛成ならば応分の基地負担を覚悟せねばなりませんし、反対ならば全米軍基地撤去を訴えることになります。

         

        将来はともかく、現在、日本国内で日米安保は広く容認されていて、それは沖縄でも同じです。従って、辺野古に反対する沖縄県民の大半は、沖縄の基地負担の現状はとうてい「応分」とは言えないので、辺野古反対、海兵隊基地撤去(県外移設)を訴えています。

         

        ネトウヨは「沖縄の全米軍基地を撤去したら、中国に侵略されて、チベットやウイグルみたいになってしまうぞ。それでもいいのかっ!!」と、頻繁に叫んでますが、それは、日米安保に反対してる人を探して、その人に向かって叫びなさい。なかなか見つからないようなら、今日のオバハンを紹介してあげましょう。


        隣の八百屋

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          農連市場の再開発により、神里原の仮店舗で営業中の八百屋が二軒。

           

           

          お隣は5人中4人が50代以下。一方の某青果店は6人中5人が60代以上。運動量がまったく勝負にならんのよね。

           

          まあそこで私がチャチャを入れ、それとなく仕事の邪魔をしています(笑)

           

           

          (1)シェロリを2キロ

           

          C「はい、皆さん」

           

          隣「はいっ!!」

           

          C「ウチのAが来て『シェロリを2キロくらさい』とか言うても、相手にしないで下さいね」

           

          隣「えっ?」

           

          C「あいつは『隣に行けばなんとかなる』と考えてるフシがあって、最近、横着になってるからね」

           

          隣「わかりました(笑)」

           

           

          (2)水曜日は定休日

           

          C「皆さん」

           

          隣「はいっ!!」

           

          C「中央市場が休みなのをいいことに、水曜日は当たり前のように休むけど」

           

          隣「はい(笑)」

           

          C「少しは隣の八百屋を見習ったらどうですか」

           

          隣「ギャハハ!!」

           

           

          (3)ハンダマの葉っぱ

           

          C「皆さん」

           

          隣「はい(笑)」

           

          C「先日は、1束100円のハンダマを売っていただいてありがとうございます」

           

          隣「はい」

           

          C「さっそくチャラチャラして食べまして、残った茎をコップに刺したら、そこからまた葉っぱがニョキニョキと」

           

          隣「でしょ!!」

           

          C「これで私は、一生、ハンダマに困ることはありません。ありがとうございました」

           

          隣「どういたしまして(笑)」

           

           

          (4)フェイクニュース

           

          隣の八百屋は早番のお兄ちゃんが帰ったら、男女2人ずつの4人になります。農連プラザの一部で「あれは2組の夫婦である」と言われてますが、それはフェイク。

           

          私が「お前な、男二人は親子やで。親子だから、親子ぐらい年が離れてんねん。で、女性2人は丁度その中間あたりにいるわけよ。はい。どれとどれが夫婦か線をひいてみろ」

           

          と言うと「いや、聞いた話だから」と。

           

          デマを流して追求されると人のせいにするなんて、それじゃあまるで公明党の議員じゃないですか。ダメよそんなんじゃあ。


          知事選期日前投票

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            次の日曜日は沖縄県知事選の投票日。台風が来そうなので、今日、期日前投票を済ませました。

             

             

            雇用主が従業員に対して、特定の候補者への投票を求めることはこれまでも普通にあり、だからこそ、候補者は企業や団体に支援を求めます。

             

            今回の知事選ではそれが更にエスカレートして、投票用紙に候補者の名前を書いたら、それを写真に撮れと命じられる事態になっているとのこと。

             

            総裁選で晋三さんが、国会議員333人に縁起物のカツカレーを振る舞ったところ、議員票が329しか入らず、晋三一派は4人の食い逃げ犯の割り出しに躍起になっているようです。発想はそれと同じ。もはや、腐臭が漂っていますよね。

             

            選管は各投票所に対して、投票所におけるカメラの使用を禁止する旨、通達を出しました。もちろん、スマホのカメラもダメ。今日の投票所にも、その旨の張り紙が掲示されていまして、大変結構なことです。

             

             

            雇用主の義務と労働者の権利は労働法並びに関連法に定められていて、戦後、殆どの法改正は労働者を保護する趣旨で行われています。そして、言うまでもありませんが、雇用主は労働者に対して、法に背く指示は出せないのです。

             

            一つの目安として、労働者が直感的に「ん?」と思うようなことがあれば、その雇用主は法に背いてると考えて良いでしょう。逆説的ですが、雇用主は法の下でがんじがらめになっていて、ほとんど何も言えないのです。

             

             

            私の経験で言えば、沖縄では、そこの理解が本土に比べて遅れています。雇用主も労働者も。

             

            試しに某青果店のお父さん(やがて90)の発言をチェックしてみれば、法令違反と世間話でほぼ百(笑)。本人はそれが当たり前だと信じ込んでるから、もはや修正不能なのよね。

             

            それから、何度も例にあげて恐縮ですが、ハローワークで暇つぶしにビデオを見ていたら「面接の受け方」をやっていて、「給料をいくらご希望ですか?」と問われたら「お任せします」と答えましょうと指導してました。沖縄に来てすぐのことでしたから、私は椅子からずり落ちそうになりました。まあ、今はその程度のことでは驚きませんがね。

             

            こうしたことは、沖縄の失業率や賃金など、労働環境を示す各指標が低いことと、深い関係があると言えるでしょう。

             

             

            今回の知事選で、命じられた通りに、投票用紙を写真に撮る労働者は、普通にいると思います。クビにされたくは無いし、パワハラを受けたくも無いのでね。

             

            SNSでは「それは憲法違反だ」、「公選法違反だ」などの指摘があって、「だから沖縄は駄目なんだ」みたいな結論になってるようですが、沖縄の労働環境を次の日曜日までに改善するって無理なんですよ。

             

            だから、会社から「サキマに投票しろ」と命じられたら、にこやかにハイハイと答えておきましょうとか、学会から「投票用紙を写真に撮れ」と命じられたら、サキマと書いて写真に撮り、しかる後にその名前に二重線を引き、横にデニーと書きましょうとか、そういった実用的なアドバイスが有効だし、愛があると思います。例えばね(笑)


            光の国から僕らのために・・

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              金城哲夫さん(南風原町生まれ)の半生を描いた芝居「光の国から僕らのために」。劇団民藝による本土5都市での公演が終わり、沖縄公演が始まりました。

               

               

               

              9月22日(土)、23日(日)の南風原町中央公民館を皮切りに、沖縄市、名護市、うるま市、浦添市と公演が続きます。

               

              そして、南風原町中央公民館では金城哲夫展(生誕80周年記念企画)を開催中です。金城哲夫資料館(生家の自室)で保管されている写真や脚本などの展示に加えて、彼が脚本、監督を務めた映画「吉屋チルー物語」が上映されていました。

               

               

               

              金城哲夫は7歳で終戦を迎えました。沖縄芝居が大好きな少年だったそうです。那覇の劇場に侵入しヌギバイ(ただ見)を繰り返していたところ、劇場従業員に可愛がられ、無料で入場を許されるようになったと(笑)

               

              高校進学で上京し、大学卒業後、円谷英二氏と出会い、脚本家の道を歩むことになります。脚本家として脚光を浴びたウルトラシリーズが始まる前の一時期、24歳の彼は一旦沖縄へ帰り、映画「吉屋チルー物語」を製作しています。

               

              沖縄の一流役者(島正太郎、清村悦子、瀬名波孝子ら)を揃えた映画の製作費を捻出したのは、料亭(現存)を経営していた彼の母親でした。戦後初の沖縄映画でしたが、県内で上映する映画館は無く、この作品が高い評価を得たのはずっと後のことでした。

               

               

              そして、ウルトラシリーズの放送開始。

               

              ウルトラセブンのモロボシ・ダンと。

               

               

              ウルトラマンのイデ隊員、アキコ隊員と。

               

               

              ウルトラシリーズにより人気脚本家の仲間入りを果たした金城哲夫でしたが、沖縄戦で深刻なダメージを受け、今なお米軍占領下にある沖縄を何とかしたいという想いから、円谷プロを辞め、沖縄に帰る決心をします。沖縄本土復帰の3年前、彼が31歳の時でした。

               

               

              沖縄に帰り、沖縄芝居の脚本家として精力的な活動を始めましたが、彼はウチナーグチを上手く脚本に乗せることができないことに悩んでいました。芝居の場面ごとに、ベストなウチナーグチを選べているのか。それが確信できなかったんですね。

               

              さらに、沖縄海洋博開(閉)会式の演出を引き受けたことにより、悩みが増すことになりました。海洋博に対する自分の想いと、地元住民の想いとのギャップを解消できず、「お前はそれでもウチナーンチュかっ!!」と罵倒されることに。

               

              愛してやまない沖縄で、自らのアイデンティティを問われてしまう事態に、酒の量が増えました。

               

               

              金城哲夫は37歳でこの世を去りました。死因は自宅2階からの転落による脳挫傷。泥酔状態だったそうです。

               

              自宅の鍵が見当たらず、鍵のかかってない窓に外階段から移ろうとして、誤って転落したと聞いてますが、訃報を受けた金城哲夫の妹は、兄の自殺を直感したそうです。

               

              もちろんこれは事故死なんでしょうが、窓枠にぶら下がり、「もういいや」と自ら手を離すシーンを、私もつい思い浮かべてしまいます。

               

               

              「沖縄のために」と思えば思うほど、上手くいかないのが沖縄。それが何故かなんて、私ごときでは説明できません。「吉屋チルー物語」はYouTubeにアップされてるようなので、近々観ようと思います。


              シュワッ!!


              首里汀良町の十五夜獅子舞

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                昨年に続いて、首里汀良町の十五夜獅子舞に出かけました。

                 

                (昨年の投稿はこちら)

                首里汀良町の十五夜獅子舞(1)

                首里汀良町の十五夜獅子舞(2)

                 

                場所はクンディ森の首里汀良町ふれあい館。屋根の上からシーサーが見下ろす広場で獅子舞が始まりました。動かない獅子と動く獅子。

                 

                 

                この週末、県内各地で行なわれている獅子舞の中で、首里汀良町の獅子舞が最古と言われています。

                 

                 

                沖縄(琉球)最古を名乗る上で重要なことは、それを学術的に証明でるか否かはではなく、その獅子舞に(沖縄最古の)歴史を感じさせる品格があるか否か。

                 

                首里汀良町の獅子舞は、その点において申し分なく、他の保存会が異論を唱えることは無いし、できないでしょう。

                 

                 

                私の中で、エイサーは平敷屋、獅子舞は首里汀良町。もう、ちょっと、これは動かし難いのよね。


                 

                twitterにアップした動画です。演目は大廻り(ウーマーイ)。仁王立ちになった後の睨み(ガンチキ)が効いてます。

                 

                 

                 

                最後に苦言を呈すれば、この日、来賓の元教育長さんや、校長さんが挨拶されて、こんな事を言ってました。

                 

                「地元の皆さんが集まって、舞台で演じられる獅子舞を観るのは初めてです。いやぁ、いいですねぇ」

                 

                寝てんのか?と思いますね。もしそうでも、それを言うなよぉとも思います。教育者ならばね。


                沖縄料理「ウサチ小(グヮ)」

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                  ある保育園の今日のメニューは次の5品。私が納品した食材と合わせて紹介します。


                  (1)あわご飯

                  米、あわ


                  (2)沖縄風煮付け

                  豚肩ロース、冬瓜、人参、板こんにゃく、厚揚げ、チンゲン菜、砂糖、醤油


                  (3)ウサチ小(グヮ)

                  きゅうり、ところ天、かに棒、酢、三温糖


                  (4)みそ汁

                  巻麩、ネギ、煮干し、みそ


                  (5)デザート

                  青切みかん


                  どれも美味しそうで、大変結構なメニューです。



                  この日のメニューで楽しく目をひくのが「ウサチ小(グヮ)」。沖縄では、酢の物や和え物の呼び名です。


                  写真はモーウイ(赤瓜)ウサチ。暑い季節でも食が進みます。



                  これが何で小(グヮ)なのかは、小鉢にチョンな感じだからでしょうか?


                  煮付けも「煮付け小(グヮ)食べなさい」などと言うので、単純に量によるものではなさそうです。


                  でもまあ、上の写真を見れば、見た目からして小(グヮ)(笑)



                  この保育園を担当している栄養士は、沖縄料理に精通しているようで、好んでメニューに組み入れます。そして、料理の名前も由緒正しい沖縄名。


                  だから、園児達は一年を通して、季節ごと、年中行事ごとの沖縄料理を、ひと通り口にすることができます。お母さんが作ってくれなくてもですね(笑)


                  今日で沖縄生活9年(^-^)/

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                    私が沖縄に引っ越して来たのが、2009年9月20日でしたから、今日で沖縄生活が9年になりました。

                     

                    那覇に到着!

                     

                    小学校入学から中学校卒業までの期間と思えば、長いように思えます。

                     

                    ところが、これがあっと言う間(笑)

                     

                    9年前の投稿が、ついこの間のようです。

                     

                     

                    オジぃになって、やることが無くなったら、自分のブログを最初から読み直すつもりです。色々な記憶がよみがえるでしょうから、楽しみです。

                     

                    そんな楽しみができたのは、読者の皆様のおかげです。誰にも読まれてなければ、ブログは続きませんから。

                     

                    本当に、ありがとうございますm(_ _)m


                    西表島の仙人は自由だったのか?

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                      JUGEMテーマ:地域/ローカル

                       

                      砂守勝巳さんの写真集「漂う島とまる水」に載ってるオジぃは砂川恵勇さん。

                       

                       

                       

                       

                      もう亡くなったと聞いてますが、西表島の船浮集落から西に向かって船で30分ほどの網取湾ウダラ浜で、自給自足の生活をしていた人です。

                       

                      廃材で建てた小屋に住み、小屋の側には湧き水がありました。食料は猪、大ウナギ、自家菜園の野菜、自生のパパイア、魚や貝など。猪や大ウナギを売ったお金で、調味料、酒、タバコなどを揃えていたとのこと。

                       

                      那覇市ほどの広さの無人地帯があって、その真ん中に一人で暮らしている感覚。不便さの代償に得られたものは「自由」。

                       

                      でも、「本当に自由だったのか?」とは思います。

                       

                       

                      恵勇オジぃのような人は、西表島に常に2、3人はいるようです。外離島のフリチンオジぃはテレビで紹介されたことで人気者になり、島に観光客が押し寄せたため、島の地主に追い出されてしまいました。今はどうか知りませんが、崎山集落跡にもオジぃが一人で住んでました。全員がオジぃ(笑)

                       

                      船浮集落の池田米蔵さんは、島の動物の生態に気をつけていて、イリオモテヤマネコがエサ場にしていた浜で、その姿が見えなくなると「あら、どうしたかな?」と思う人。だから同じように(笑)オジぃ達のことも気になって、定期的に船で巡回し、様子を見ていたそうです。頼まれた訳ではないのに。

                       

                      恵勇オジぃにとって、米蔵さんは一回り年下の「友達」。恵勇オジぃが獲った大ウナギは米蔵さんが買い取っていました。

                       

                      子供の背丈ほどもある大ウナギは、本物(?)のウナギに比べるとかなり味が落ちると聞いています。それを買い取って米蔵さんはどうしていたのか。米蔵さんに会う機会があれば聞いてみたいと思いますが、私の予想では、恵勇オジぃに現金を渡すための口実だったのではないかと。

                       

                      米蔵さんは、船浮の自宅に恵勇オジぃを招くこともあったそうです。それを恵勇オジぃに言わせれば「友達だから」。米蔵さんも恵勇オジぃを友達と思っていたでしょうが、それよりは、たまには腹一杯食べさせて、布団に寝かせてやろうという気持ちだったのだと思います。

                       

                       

                      恵勇さんの話が続きます。恵勇さんが住んだ浜から、山を越えて西表島の南岸に出たところが鹿川浜。道路終点の南風見田の浜から海岸を歩いて来れるので、大学の探検部みたいな人達がキャンプをします。長距離の海岸線を歩くのは大変と思いますが、ハブのいるジャングルを歩くよりは安全だし、道に迷うことがありません。そして、恵勇さんは探検部の人達と話をしたいがために、鹿川浜に向かうのでした。

                       

                      うまく探検部と会えたら、酔っ払った恵勇オジぃは家に帰れません。また、浜に誰もいなかったら翌日まで待とうとします。そんな事情で、恵勇オジぃは鹿川浜に別宅(?)を建てました。そして、探検部に相手にしてもらえず「シッシッ」とされた時は、そこに引きこもりました(笑)

                       

                       

                      恵勇オジぃは仙人とかターザンとか呼ばれていたそうですが、多分、そんな人ではなく、そこら辺の普通のオジぃなんですよ。

                       

                      米蔵さんの好意を受け入れたり、人恋しくなって山を越えたりする人が「俺は自由だ」と言うのは、少し違う気がします。「自由でいいですね」と言われるから、「そうだ」と返しただけのことかもしれません。

                       

                       

                      私が、西表島西部の崎山、網取、鹿川の集落跡に興味を持つきっかけになったのは、パーシャクラブのデビューアルバムに収録された崎山節でした。

                       

                      三つの兄弟集落は、琉球王府が波照間島の住民の一部を強制移住させたもの。

                       

                      「せめて島を見たいと思い山に登ると、そこに懐かしい生まれ故郷が見える。同時に、自分と島を隔てる海によって、決して島には戻れないのだということを気づかされてしまう。悲しくて、涙がどんどん流れて止まらず、せっかく山に登ってきたのに、涙で島が見えなくなってしまう」

                       

                      この悲しい唄に、新良幸人の声と三線がピタッと合うんです。そして、つらい境遇にありながらも、生まれてきた名曲達。

                       

                      崎山節・崎山ゆんた・ミナトーマ 

                       

                      そこに立つことが私の長年の夢で、言わば憧憬の地。まあ、そんなことがあり、この地域の情報は気をつけて集めてる訳です。それで、昨日、今日とまるで見てきたかのような話を投稿しています(^-^)/


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                      念願の沖縄生活を始めて14年になりました。
                      沖縄の生活、文化、風土、音楽、政治などの話題を投稿しています。 (y_mizoguchi@yahoo.ne.jp)
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