本島南部の石灰岩堤

0

    JUGEMテーマ:地域/ローカル

     

    沖縄本島はヤンバルから読谷あたりまでは、右上から左下へ、黒潮の流れに沿った形をしています。ところが、読谷以南はお尻が垂れてると言うか、腰が引けてるように見えます。

     

     

    ヤンバルから読谷までを古島(高島)と呼び、読谷以南を新島(低島)と呼びます。つまり、大陸と陸続きだった頃の名残りが与論、古島、慶良間と連なり、隆起珊瑚の新島は後に形成されました。そのため、古島は山が高く、新島は山が低くなってます。

     

     

    例えば、糸満市南部を拡大してみると、隆起珊瑚らしい地形を観察できます。

     

     

    海岸にはヒシ(干瀬)やイノー(礁池)が形成され、バンタ(絶壁)があります。バンタの上は平地になっていて、集落や畑があります。その背後にある緑の帯が石灰岩堤で、集落を北風から守るクサティムイ(腰当森)の役目を果たします。

     

    石灰岩堤の上部にはグスクや御嶽があり、下部の断層から水が湧き出ています。また、石灰岩堤が人の往来を妨げるので、ワイトゥイ(割取り)が通されてます。

     

     

    こちらは、八重瀬町安里のユムチガー(世持川)。

     

     

    人が捨てたゴミが気にはなるものの、背後の石灰岩堤から澄んだ水が湧き出ています。

     

    人が放流した(捨てた?)魚が泳いでいて、タナガー(手長エビ)が住んでます。グッピーを飼いたい人は、網があれば簡単に穫れますよ。

     

    私はタナガーを見に来たのですが、すぐに岩陰に逃げてしまうので、写真に撮れませんでした。上手く写真を撮った人はエサで誘き寄せてたんですねぇ。それを早よ言うて(^^)

     

     

    井戸を見た後、平和創造之森公園(糸満市山城)の展望台に寄りました。

     

      

    この展望台は石灰岩堤の頂上にあり、地形を観察しつつ、眺めを楽しめます。


    やがて月に到達する車

    0

      JUGEMテーマ:地域/ローカル

       

      スーパーなどで仕入をしていると、色々な人達と頻繁に会うので、お互いの行動パターンが似てるのかなぐらいに思っていたら、その理由が分かりました。

       

      ザ・ビッグエクスプレス号(笑)

       

       

      こいつを駐車場に停めてると「ここにいるよ」と言ってるようなもの。だから皆さん「おっ、Cがいる」と探してくれます(^^)

       

      「車種が同じってこともあるだろ」と思われるかもしれませんが、これほどのオンボロはなかなかいません。走行距離は地球を何周したかという時期は過ぎ、やがてで月に到達するレベル。修理屋のタメグチ女(の子)が、「へぇ〜。車検受けるんだ」と言うはずです。

       

       

      だから、ぶつけようがぶつけられようが、大した問題ではありません。信号待ちをしている時のこと。横をすり抜けようとした原チャリのオバハンが、ゴンとぶつかったことがありました。謝るのかと思えば、「チッ!」て顔で走り去ろうとするじゃないですか。

       

      頭にはきましたが、「追いかけるほどのことでもないし、まあ、ええか」と。乗ってる人を優しい気持ちにする車と言えましょう(笑)

       

       

      エアコンは1から4まで風量を調節できますが、こいつは4に入れるとエアコンが止まります。タメグチ女(の子)に修理を頼むと、「え〜〜っ!!。パネルを全部剥がすから、修理代がすごくかかるよぉ(かけるの?こんな車に)」と言うので、このようにテープを貼ってます。言わば、ターボ(^^)。

       

       

      こちらは、リアのドアにぶら下がっている目ざわりなヒモ。

       

       

      簡単に外せますが、これが無いと相棒のAがドアを閉める時に手が届かないらしく、「じぇったいはずさんでよ」と言うてます。それで私は、荷物を積んだり下ろしたりするだびに、払いのけてるわけよね。

       

       

      皆さん。ザ・ビッグエクスプレス号を見かけたら、どうぞお声がけ下さいませ。


      2010年の今頃

      0

        JUGEMテーマ:地域/ローカル

         

        今年の9月で、私が沖縄に来て丁度10年になります。10年前の今頃、私は東京にいて、倒産した会社の清算にあたっていました。

         

        2009年の1月末に会社が倒産した後、松尾の弁護士事務所が那覇地裁から破産管財人に指名され、会社を清算することになりました。その際、それを補助する元従業員が3名程必要とのことで、私にも声がかかりました。

         

        条件を聞くと、

         

        (1)雇用期間は4ヶ月間で、その間、日当を支給する。その額はこれまでの給与よりはグッと少なくなるものの、失業保険の受給額よりはグッと多い。

         

        (2)雇用期間の前半は東京で、後半は那覇で勤務する。その間の家賃・ホテル代、旅費・交通費・レンタカー代などの経費は実費を支給する。

         

        (3)勤務はカレンダーの通り

         

        50歳を過ぎて人生初の失業に直面していた私でしたが、条件(2)の特に後半にスバヤク反応し、引き受けることにしました(^^)

         

        東京の作業がほぼ終わり、那覇に移る前に、東京のマンションから大阪の自宅へ引っ越そうとしてたのが2009年の今頃でした。

         

         

        そして、2010年の今頃、那覇の平和通りで私は歓喜の渦の中にいました(笑)

         

        歓喜!全国制覇!! 

         

        帰った来た興南高校 

         

        琉球新報の写真の左端に青いハッピの女性がいて、その右隣でカメラを構えているのが私。で、その時に撮った写真が一枚目(笑)

         

         

        沖縄に来た日から始めたブログ「沖縄の風景」は、この投稿で3959件目です。

         

        沖縄に来るまでの記憶は徐々に失われつつありますが、沖縄の記憶はブログを続けているおかげで失われることがありません。

         

        いつか仕事を辞めて、本格的なオジぃになったら、投稿やいただいたコメントを最初から読み直すつもりです。投稿の内容だけでなく、その時々の私の心のヒダまで蘇るのではないかと、今から楽しみです。

         

         

        話は変わりますが、先日、みやま菓子店のオバハンとこんな話になりました。

         

        み「貴方は沖縄に来て、もう9年になるのね」

         

        C「やがて10年だけど、よく知ってるね」

         

        み「ウフフ、これよ、これ(と、タブレットPCをたたく)」

         

        C「げっ。いっ、いつから」

         

        み「もう、ず〜っと前よ。農連市場の頃から。アハハ」

         

        C「うぇ〜!!。て言うか、ありがとうございますだけど、それを言うのが何で今かな。ちょっと、それは(^^)」

         

        み「(笑)」

         

         

        ひょっとして、何年にも渡ってこのブログを読みつつも、コメントはせず、読んでるとも言わず、その上で毎日のように私と顔を合わせてる人が一人か二人か、下手をすれば三人か四人か。


        いるんじゃないのか?。

         

        スーミーはやめなさいよ。スーミーは(笑)


        今日の出来事

        0

          JUGEMテーマ:地域/ローカル

           

           

          (1)漫湖公園のクジラ

           

          はい。クジラの尾ビレです。

           

           

          前から見るとこんな感じ。ずっと奥の林に尾ビレ。

           

           

          ペンキが剥げて無残な姿を晒してましたが、去年、やっと塗り直してもらいました。以来、時々ミストを噴き出すらしいけど、ちょっと待ってられません(^^)

           

           

          (2)また、やっちまったか

           

          C「もしもし、注文お願いします」

           

          仕入先「あっ、はい。お伺いしてよろしいでしょうか?」

           

          C「あたりまえやないか。注文する言うてんのに」

           

          仕「あっ、はい」

           

          次回からは「はい、どうぞ」、もしくは「はい、伺います」でお願いしたい。

           

           

          (3)植物の名前

           

          道を歩いてて、「あの花は何?」と聞かれた時に、余裕で答えることができる人は素晴らしい。

           

          「さぁ、ヤマブキじゃないか?」ではダメよねぇ。

           

           

           

          (4)脳みそせんべい

           

          ウチナーンチュのネーミングセンスには感心することしきりなワタクシ。が、しかし。「脳みそせんべい」って貴方(^^)

           

          まあ、そう見えるけど。

           


          糸満市米須まで配達してきた

          0

            JUGEMテーマ:地域/ローカル

             

            小禄の某保育園の調理師Sさんは、この春、糸満市米須に開園する保育園へ料理長として着任することになり、先週、お別れの挨拶をしたところです。

             

            そのSさんが、今週になっても元の保育園にいたので、

             

            C「あら、何してんの?」

             

            S「今週、新しい園のお披露目会があるのね。その時に食事を出すことになって、その打ち合わせ」

             

            C「へぇ〜。さっそく新しい厨房が使えていいんじゃない?」

             

            って話になりました。

             

            ところが、新しい園と業者との契約が来月からのため、元の園で(私から)食材を仕入れ、それを米須へ運ぶ段取りのようです。

             

            C「じゃあ、俺が配達しましょうか?」

             

            S「えっ、本当?。やったぁ!!」

             

            C「目がそう言うてるやん(笑)」

             

            S「アハハ、気づいてくれた。ありがとう。じゃあ、やっぱり毎日来る?(笑)」

             

            C「だからぁ。8キロ先のお客さんをお断りして、16キロ先は配達しますってどうなん?って話に・・・」

             

            ということで、私は米須に向かうことになりました。

             

             

            住所は大渡(おおど)。国道から少し下がった所に真新しい園舎があり、そこから海に向かってなだらかな斜面が続いてました。

             

            沖縄の風景写真を撮る時のおすすめは、海に向かう下り斜面です。イメージとしてはこんな感じ。青い海が大きく高く見えますね。

             

             

            眺め良し、陽当たり良し、風通し良し。最高の立地です。

             

            そして、保育園の敷地がまあ広いこと。最初は平屋建てに見えた園舎は一部が2階建。土地が広いからこその設計で、那覇ではとうてい無理でしょう。そして広い園庭。ここに通う園児は幸せです。

             

            私がここまで配達するには、昼休みをあきらめるしかありません。(園児と同じ)昼食の提供を条件に配達しようかなとチラッと思いました。

             

            「その園舎を見せろ」になりますが、やはりお客さんではないので、残念ですが自重します。

             

             

            その代わりと言ってはナンですが、こちらは時間調整で寄り道した、糸満市大里の嘉手志川(カディシガー)

             

              

             

             

            これまで一度も枯れたことが無い、水量豊富な井戸です。

             

             

            以前、ここに来た時にはテナガエビがいました。

             

             

            この日は春休み中の子供達が、モリで川蟹を突いてました。「食べるんかい」と思ったら、その川蟹をエサにして鯉を釣るんだそうで。透明な水の中には確かに沢山の鯉が泳いでました。

             

             

            地元ではこの井戸を大川(ウフガー)と呼び、嘉手志川と名付けたのは昭和になってからのようです。

             

            沖縄で最も人気のある漢字は「嘉」でしょう。嘉例(カリー)の「嘉」。「かりゆし」も漢字で書けば嘉例吉です。沖縄で最も多い名字は比嘉さん。他にも名嘉さん、嘉数さん、嘉手苅さん、嘉陽さん。

             

            だから、この井戸に来れば嘉例が付くということ。あっ、来るだけじゃなくて拝まないと(^^)


            農連市場跡の様子

            0

              JUGEMテーマ:地域/ローカル

               

              こちらは農連プラザ3階駐車場。

               

               

              駐車料金は1時間300円で、最初の1時間は無料です。

               

              さて、農連市場跡はどうなっているか。

               

               

              左手が19階建ての分譲マンション。右手が市営住宅。完成するとこうなります。

               

               

               

              駐車場を一周してみましょう。

               

              農連市場跡北側の道路。手前に湧田食品のビル。奥へ進むと開南本通の信号に出ます。

               

               

              大平通り方向へ進んで、当山青果店と佐辺昆布店。

               

               

              道路が拡張されるので両店とも、少し後ろへ下がって建て直し。それまでの間、農連プラザ内の仮店舗で営業中です。

               

               

              農連プラザのネームプレートの裏側に来ました。

               

               

              モノゴトを反対側から見ると、新たな気付きがあると言いますが、何も気付かないこともあります(笑)。大平通り入口の複雑な交差点を見下ろしています。

               

              こちらは神里原の歓楽街(^^)。別名オジぃパラダイス。

               

               

              おでんの六助が移転するそうで、隆盛を誇った神里原は残照どころか消滅間際です。

               

              こちらは桜坂のハイアット。

               

               

              壺屋交差点方面。某青果店はこの先右側です。

               

               

              東側へ回りまして、権利者住宅。

               

               

              農連市場跡地の地権者が住んでます。リバーサイドナントカって名前ですが、リバーって貴方。ガーブ川なんだけど、いいの?(^^)

               

               

              随分前に、マルキン海産の屋上に上がって、市場を見渡したことがありました。今や、あの時のワクワク感がまったくありません。つまんない景色ですみません。


              「ハイビスカスの花が赤く燃える」か?

              0

                JUGEMテーマ:地域/ローカル

                 

                近所を歩いてて見つけたハイビスカスの花。まあ、探さなくてもいくらでも咲いてますが(^^)

                 

                 

                沖縄県の市町村は41ありまして、ハイビスカスを市町村の花に指定しているのは、今帰仁村、沖縄市、嘉手納町、中城村、与那原町、南城市、南大東村の7ヶ所。その人気の高さがわかります。人気が拮抗しているのはブーゲンビリア。

                 

                沖縄を象徴する花ですから、観光客の皆さんが思わず写真に撮りたくなりますね。土産物屋へ行けば、Tシャツからワンピースから、ハイビスカスが溢れてます。

                 

                 

                沖縄ではハイビスカスをアカバナーと呼び、後生(グソー)花とも呼びます。後生花はナイチの彼岸花と同じ位置づけです。

                 

                また、ハイビスカスは一日花なので、目の前で咲いてる花は、明日になると咲いてません。

                 

                そうしたことから、ハイビスカスの花からトロピカルな、情熱的な印象を受けると共に、不憫な(チムグリサン)、淋しい(シカラーサン)印象を受けることもあります。

                 

                 

                このお宅のハイビスカスはキチンと手入れされていて、上等です。

                 

                緑色の固い蕾、ピンク色の柔らかい蕾、明日は咲きそうな蕾、今咲いている花と、上手くバランスがとれていて、見るからに元気です。明日来ても、明後日来ても同じような写真が撮れますね。


                百按司墓と源為朝上陸記念碑

                0

                  JUGEMテーマ:地域/ローカル

                   

                  1929年に京都(帝国)大学医学部が、運天の百按司(ももじゃな)墓から研究目的で持ち出した琉球人の遺骨。

                   

                  琉球人の遺骨は帰って来るのか? 

                   

                  遺骨の返還を求めていた第一尚氏の子孫らは、交渉に応じない京都大学に対して、とうとう訴訟を起こすことになりました。

                   

                   

                  先日訪ねた、運天集落背後の崖上にある運天森園地展望台。

                   

                    

                  そのすぐ近くに百按司墓があります。久しぶに墓マイラーになりました(^^)

                   

                   

                  京都大学は、当時の沖縄行政から許可を得ているとして争う姿勢で、26体の遺骨を保管していることを初めて認めました。

                   

                  この訴訟は、英国がかつての植民地から持ち帰り、大英博物館に保管・展示している文化財を、持ち出された側の国が「返せ」と訴えることに似ているかもしれません。「持ち出したものはさっさと戻せ」とは思いますが、法的にはそう簡単ではないということ。

                   

                  なお、遺骨の一部は台湾大学にも保管されていて、こちらは既に同大学が返還に応じ、先週、63体の遺骨が沖縄県立埋蔵文化財センターに戻されています。

                   

                   

                  墓に葬られている遺骨の持ち出しを、当時の沖縄行政が認めたことについては、時代背景が影響しているようです。ウチナーンチュがヤマトから忠君愛国の精神を叩き込まれていた時期だったということ。

                   

                  偶然か必然か、百按司墓のすぐ近くにあるのが源為朝上陸記念碑。京都大学が遺骨を持ち出した年の7年前(1922年)、国頭郡教育部会という組織(行政ではない)が建立したものです。

                   

                  日琉同祖論の象徴とも言える源為朝が運天に上陸したことを記念する石碑で、刻字は石碑の権威づけを目的に東郷平八郎(1848-1934:元薩摩藩の武士で、日清・日露戦争の海軍軍人)に書かせたそうです。

                   

                   

                  国頭郡教育部会とは、沖縄教育会(当時)の下部組織で、ウチナーンチュの愛郷心を愛国心に昇華させる活動をしていました。ヤマトからの指示があったとは言え、活動の主体はウチナーンチュです。

                   

                   

                  この記念碑は百按司墓のすぐ近くにありますが、気分が悪くなるだけなので寄りませんでした。

                   

                  先日、遺骨返還訴訟のニュースを聞き、思いついたことがあります。それは、この石碑を為朝の上陸を記念したものではなく、約百年前に盛んに行われた沖縄同化政策の痕跡と見なせば、それなりに存在意義があるのではないかということ。

                   

                  この次、近くを通りかかった時には「ケッ!!」と思いつつも、寄ってみようかと思います。

                   

                  寄らんかもしれんけど(^^)


                  中江裕司監督作品「盆唄」を観ました

                  0

                    JUGEMテーマ:地域/ローカル

                     

                    「盆唄」観てきました。

                     

                     

                    やまやの餅を食べて「盆唄」を観ると言ってた読者のひよりさんが、この日、桜坂劇場にいらしてたとのこと。ところが、お互いに顔を知らないので気づきようがありません。リュックを背負い劇場左手前方に座った男性が、ひょっとしたらひよりさんだったかと思いましたがいかがでしょ?(^^)

                     

                     

                    さて、映画「盆唄」からは、先祖、移民、伝統、魂、唄、3.11、望郷、家族など、様々なテーマが次々と投げかけられ、私がそれを一生懸命、時間をかけて咀嚼している間に、映像はクライマックスの「やぐらの共演」に。

                     

                     

                    そこで私は軽いトランス状態に陥っていたと思います。作品が何を訴えているのかを考えるよりも、ラストの20分、盆唄に包まれて何を考えたか。それを自ら観察してみれば面白いと思います。外見上は、涙が止まらない人もいれば、私のように口を半開きにして呆然としてる人もいるでしょう。

                     

                     

                    江戸時代、福島を領地としていた相馬藩は天明の飢饉により、人口の2/3を失ってしまいます。一方、越中(富山県)では浄土真宗の教えにより(子供の)間引きが厳禁されていて、相馬とは逆に人口に見合う農地がありませんでした。

                     

                    富山は「おわら風の盆」で知られているように盆唄が盛んな所です。一万人近い越中の人達が盆唄と共に相馬へ移住しました。

                     

                    相馬藩の復興に大いに貢献した越中の人達でしたが、相馬では「越中もん」と呼ばれ冷遇されたようです。働いて、働いて、孫の代になってようやく盆踊りに招かれたと。

                     

                     

                    時代は変わり、さとうきび産業が盛んになったハワイでは海外からの移民を積極的に受け入れるようになりました。まず広島、山口から、次に福島、沖縄から、多くの人達がハワイへ渡りました。そして、故郷に錦を飾るはずが、日本に帰ろうにも帰るお金が無い生活を強いられることに。

                     


                    このドキュメンタリー映画の主人公は太鼓の名手である福島双葉町の横山久勝さんでした。双葉町は帰還困難区域に指定されていて、横山さん達が故郷へ帰る目処が立たず、これまで継承してきた盆唄の消滅を覚悟しかけていました。

                     

                    岩根愛さんはハワイと福島を撮り続けている写真家です。私が盆唄を観た日に、今年度の木村伊兵衛写真賞の受賞が決まったとのこと。彼女は映画「盆唄」の企画を中江監督に持ち込んだ人です。映画の封切りと写真賞。彼女の頑張りが評価された日になりました。

                     

                    その岩根さんの誘いで、横山さんら盆唄のメンバーがハワイに渡り、福島の人達が伝えた盆唄に出会います。

                     

                     

                    確かな技術と共にハワイで継承されていたボンダンス。移民の4世、5世達は、仮に双葉町の盆唄が絶えることがあっても、自分達(あるいは子孫)が将来、双葉町に戻った人達に必ず盆唄を伝えると、横山さんに約束します。

                     

                    日本に戻った横山さんは、各地に避難している仲間達に声をかけ、震災以来初めて「やぐらの共演」を復活させました。当日は8つのチームが仮設住宅の広場に集ってやぐらを組み、ラスト20分が始まります。

                     

                     

                    越中から相馬への移民から230年。

                     

                     

                    もう、万難を排して観ていただきたい。


                    ヤンバルの小学校はどうなっているのか(3)

                    0

                      JUGEMテーマ:地域/ローカル

                       

                      ここで、国頭村の小学校のおさらいです。

                       

                       

                      西海岸の国頭村役場の近くに村内唯一の中学(国頭中学校)があり、その近くに100人規模の辺土名小、奥間小があります。

                       

                      そこから時計回りに、西海岸の佐手小と北国小はこの春から辺土名小に統合されます。東海岸に回って、奥小、安田小、安波小。計5校は児童数は多くて10名程度のヘキ地校です。

                       

                       

                      児童数5人の北国小学校は、ヘキ地校の問題を解消(緩和)するための取り組みを続けてきました。

                       

                      (1)合同授業

                       

                      毎週2日、佐手小学校に児童を集めて授業を行い、その日は複式学級を解消した。

                       

                      (2)遠足と研究発表会

                       

                      毎年の遠足と研究発表会は、ヘキ地5校が合同で開催した。

                       

                      (3)集合学習

                       

                      毎年6月の5日間、北国小、佐手小、奥小の3校が集まり、合同授業を行った。

                       

                      (4)交流学習

                       

                      年に1度、ヘキ地5校の児童を、辺土名小と奥間小にそれぞれ1日集め、交流学習を行なってた。つまり、中学校入学時のギャップ解消。

                       

                      (5)修学旅行

                       

                      毎年、北国小、佐手小、奥小の3校が合同で修学旅行を行なっている。修学旅行先は那覇(^^)

                       

                      いやぁ、充分じゃないでしょうか。この取り組みを続けて、学校を継続させることはできなかったんでしょうか。

                       

                       

                      日本は教育熱心な国のようでいて、教育関連予算のGDP比は先進国で最低水準です。豊かな国でありながら、教育にお金をかけません。

                       

                      教育関連予算を増やすことはせず、コスト削減のために学校の統合を進めて、それを財源にしているということ。その結果、小学校の1クラスあたりの児童数は世界で1、2位を争うほど多くなりました。小さな学校を目指している世界のトレンドに逆行してるんですよ。

                       

                      市会議員から国会議員まで、選挙の際には教育重視を公約しますが、その公約はどのように実現されているんでしょう。

                       

                       

                      那覇市の約5倍の面積の国頭村に中学が一校だけって少な過ぎませんか?。そもそも、ヘキ地5校にはも中学校が併設されていたんです。その全てを国頭中学校に統合したのは2004年のことでした。そして、いよいよ小学校の統合が始まったということ。

                       

                      小学校も中学校も無い集落に若い夫婦が住み着くとは思えませんから、国頭村の過疎化、高齢化は更に加速することになるでしょう。

                       

                       

                      次回ヤンバルへ行く時には、ぐるっと一回りヘキ地5校訪ね、写真に残しておきたいと思います。

                       

                      (終わり)


                      calendar
                           12
                      3456789
                      10111213141516
                      17181920212223
                      24252627282930
                      31      
                      << March 2019 >>
                      プロフィール
                      profilephoto


                      念願の沖縄生活を始めて14年になりました。
                      沖縄の生活、文化、風土、音楽、政治などの話題を投稿しています。 (y_mizoguchi@yahoo.ne.jp)
                      Twitter
                      お勧めの本と映画
                      selected entries
                      categories
                      archives
                      recent comment
                      recent trackback
                      profile
                      search this site.
                      others
                      mobile
                      qrcode
                      powered
                      無料ブログ作成サービス JUGEM