JUGEMテーマ:地域/ローカル
南風原文化センターの企画展へ行って来ました。
「わったー畑(はる)や、ちゃーなとーが?」
復帰前は那覇から城岳を越えたらもう田舎。そこから与儀、国場、仲井真の丘を越えた、そのまた先が南風原ですからね。それはもう絵に描いたような田舎(笑)
南風原にアパートを建てたら「えっ、誰が住むの?」と笑われ、国道沿いに喫茶店を開いたら「こんな所までお茶を飲みに来る人がいるの?」と呆れられた時代があったんです。
ところが今や、南風原は那覇のベッドタウン。
こんな風景が、
こんなになりました。(本部、照屋、喜屋武)
今でも南風原はナーベラーやカボチャの産地ではありますが、畑は南風原の中心地から周辺に押し出され気味。
先日、テレビで南風原のカボチャ畑が紹介されてました。甘くてホクホクの南風原カボチャは、ナイチの料亭などに出荷される高級品。南半球から1万km近くを運ばれて来たカボチャよりも高価なカボチャを、私は保育園に納めたことがありません。
さて、この企画展は田舎だった頃の南風原を写真や資料で振り返るもの。展示品が少ないことは否めませんが、まあ、無料ですから(^^)
入場者のアンケートを紹介するコーナーがありました。
「生産する土地活用ではなく消費ばかりの生活で、このままでいいのかと思うことがある(40代女性)」
「これ以上発展しない事を願う(60代女性)」
よう言うた!!
まったく、その通り!!
とは言うものの、この問題意識のある人達がこの企画展に来るのよ(^^)
琉球王朝の時代、沖縄の人口は約20万人。それが明治、大正、昭和と増え続け、戦前の人口が約60万人。戦争で人口が減ったものの、直ちに盛り返して、今や140万人が沖縄に住んでます。
増えた120万人の皆さんに、何故沖縄に住んでるのかをお聞きしたい。沖縄で生まれた人は、何故、ナイチに行かないの?。ナイチで生まれた人は、何故、沖縄に来たの?
沖縄はナイチから遠く離れた離島ですからね。人口がどんどん減って、過疎に悩むのが自然な気がします。120万人も増えた理由って何でしょう。
「それをお前が言うな」って、いや、ごもっともではありますが、釈然としないのよね。
「わったー畑や、ちゃーなとーが?」って、つまりそういうことではないでしょうか。