梅雨明けの比嘉ハーリー

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    梅雨が明けた沖縄は、各地でハーリー開催中。コンニャク屋のオバハンに誘われて、ていうか「来なさいよ」と命令されて、浜比嘉島の比嘉集落に来ました。

     

     

    浜比嘉大橋を渡った右手が浜集落で左手が比嘉集落。浜ハーリーは先週の日曜日に開催済みです。日程をずらしてあるため、二つの集落が相互に参加できるし、来場者の奪い合いにもなりません。

     

     

    準決勝を終えて、疲れ果てた敗者(手前)と勝者。

     

     

    コンニャク屋のオバハンには昼頃行くと言ってあったのに、着いたのは1時過ぎ。オバハンは比嘉集落の「顔」なので、本部席テントにいるだろうと見当をつけました。

     

    いましたいました。あの広い背中は間違い無くコンニャク屋。オバハンがハーリーを見たり、入口のゲート方向を見たりで落ち着かないのは、私が来るのを見逃すまいとしてるんでしょう。一時間もこれをやらせたかと思えば、「都合が悪くなって行けなかった」なんて絶対に許されないことです。

     

     

    私が一般席で応援をしてると、オバハンが「え〜、これを食べなさい」と弁当と冷たいお茶を持って来てくれました。来賓用に用意された弁当をパクッてきたんでしょう。「わざわざ那覇から来てくれてありがとう」の気持ちが伝わります。

     

    そしてまたしばらくすると「え〜、ウチの孫が出るから手前のチームを応援しなさい」(^^)

     

     

    ハーリーは男性の部で決勝に進出したのは、いずれも浜集落のチーム。

     

     

    そして、女性の部で決勝に進出したのは、いずれも米軍チーム。

     

     

    比嘉の皆さんにとっては、いまいち盛り上がらない決勝戦になりました。それにしても、競技を盛り上げる放送係の女性が、立場を忘れて身内の応援を始めたのにはワロタなぁ(^^)

     

     

    比嘉集落の年中行事に参加するのは昨年の豊年祭に続いて二度目です。明日、市場でオバハンに会うと「次はエイサーに来なさいよ」と命令されるはず。

     

    梅雨が明けて青空が広がった沖縄は楽しいシーズンを迎えました。

     

     

    過去の投稿はこちら。

     

    浜比嘉島の豊年祭(1) 

    浜比嘉島の豊年祭(2) 

    浜比嘉島の豊年祭(3)


    今日の相棒A

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      (1)割れたスイカ

       

      C「チッ。今朝、箱の底が割れて、スイカを1個割っちまったで」

       

      A「あぁ、あれな。仕入れた時から柔らかくなってたさ」

       

      C「だったら入れ替えろよ」

       

      A「あれはよ。オマケだったわけさ。だから割れても損にならんさ」

       

      C「はぁ、そうなの」

       

      A「しょれでよ。もったいないからワンがお家に持って帰るって、オカァに言ったわけさ」

       

      C「ダメって言われたか(笑)」

       

      A「アジしてみるとか何とか言ってたけろ」

       

      C「もう忘れてるから、持って帰れ」

       

      A「覚えてたらどうしゅるかな」

       

      C「Cが捨てましたって言え」

       

      A「あっ、そうね。ろーかい、ろーかい」

       

      C「Aさん」

       

      A「なんね」

       

      C「貴方はだいたい二手先しか読んでないはずだが。このスイカに限って、突然、五手先まで読んだってことはないか?」

       

      A「えっ?。なっ、何言ってるかわからんけろ(笑)」

       

      C「ふ〜ん。やればできるじゃん」

       

       

       

      (2)笑われる男

       

      A「Cしゃん」

       

      C「はいよ」

       

      A「さっきよ。隣の八百屋の前を歩いてよ。中をのじょいたら皆んなが笑うわけさ」

       

      C「ギャハハ。笑われたか。何もしてないのに」

       

      A「何が可笑しいのかな」

       

      C「う〜ん。それはちょっと口では説明できんな」

       

      A「そうね」

       

       

      (3)元気を出しなさい 

       

      A「はい、Cしゃん」

       

      C「なんやねん」

       

      A「海苔を食べて元気を出しなさい」

       

       

      C「また、珍しいものをくれるなぁ(笑)」

       

      A「一度に食べると噛めなくなるからよ。一枚じゅつ食べたらいいさ」

       

      C「そらご親切に、どうも(^^)」


      スリムクラブが無期限謹慎って・・

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        沖縄出身だからって庇うわけではないけど、スリムクラブが無期限謹慎って、厳し過ぎませんか?

         

         

        吉本興業は次の前提で処分を決めたようです。

         

        「事務所を通さず会合に出演し、報酬を受け取った。さらに、その会合は反社会勢力が主催したものであった。ただし、スリムクラブの二人はそれを知らなかった」

         

        「いや、知っていたはず」という意見もありましょうが、吉本興業は「知らなかった」ことを前提に処分を決めています。それが厳し過ぎませんか?ということ。

         

         

        暴力団員とは言え、普通に社会生活を送っているわけで、なんばグランド花月でお笑いを楽しむことだってあるでしょう。ホールの入口に「暴力団の入場お断り」の掲示があるのかもしれませんが、確かめようが無いので、入場を許しているのと同じです。

         

        吉本興業は「暴力団が(料金を支払って)入場したとは知らなかった」と言うでしょうが、スリムクラブのケースと何が違うんでしょう。

         

         

        スリムクラブの行為を違法とは言えないので、今回の処分は吉本興業の内規によるもの。宮迫博之が「当面の間、謹慎」の処分を受け、その期間は(報道によれば)年内とも年度内とも言われているので、スリムクラブは更に長期間になるでしょう。

         

        闇営業が処分の主たる理由なら、吉本興業は所属芸人を徹底的に調査し、同等の処分を行うべきです。その時、吉本興業には何人の芸人が残るのか。


        そうした事態を避けるために、バレてしまった芸人を必要以上に厳しく処分しているかのように、私には見えます。

         

         

        過去の投稿はこちらから。

         

        突然、沖縄の星になった「スリムクラブ」


        ペリー提督日本遠征記(3)西原〜旗立岩

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          西原町のキャンプペリーで野営を終えた調査隊は東海岸を北上しました。

           

          西原町から中城グスクまでの行程はハンタ道を歩くことになります。一昨年の今頃、私はハンタ道を首里から中城まで歩いているので、調査隊がどのあたりを歩いているのか、おおよその見当がつきました。以下の抜粋は、中城村新垣付近の描写と思います。

           

           

          (遠征記の抜粋)

           

          まもなくわれわれはまた湾をのぞむ分水嶺に達し、壮観な景色を堪能した。

           

          分水嶺は、すでに見たように東海岸にごく近く、そちらへ下る道は西海岸へ下る道よりもはるかに険しい。こちら側の土地はさらによく耕されていて、穀物もずっと豊かである。

           

          下方の山裾は美しい琉球松におおわれ、ところどころに穀物や野菜の段畑があり、麓の平地は約15マイルにわたって稲穂で黄金色になっている。散在する村落を数えてみると12ほどあり、なかにはかなり大きな集落もあった。

           

          北のほうには長い半島があって、われわれが湾の端だと思っていたところよりはるかに先までのび、島の南東に向かって突き出している。

           

          (抜粋終わり)

           

           

          新垣集落の東端にボージャーグヮ(坊主小)と呼ばれてる眺めが良い場所があります。新垣集落の子供達は、そこから崖下に降りるボージャーグヮミチを転がるようにして学校へ通いました。石段さえ無い、草を刈っただけの道でした。

           

          調査隊が気づいたように、このあたりの地形は、東海岸から急激に高度が上がり、西海岸に向かってなだらかに下っています。そのため、新垣集落は東海岸の崖上にありながら、そこを流れているアラカチガーラは普天間川となり、北谷で東シナ海に出ます。

           

          島の南東に突き出している半島は、もちろん、与勝半島です。

           

           

          (遠征記の抜粋)

           

          そこから、やや西に曲がっている道を2マイルほど進むと松林の中にそびえ立つ、奇妙な形の岩に出くわした。

           

           

          その頂は鋭いのこぎりの歯のようで、峰より70から80フィートも高くそびえていた。第二期石灰岩でできたその奇岩は、風化してハチの巣のようになっており、目をみはるようなおもしろい眺めを呈していた。

           

          私はそのてっぺんに登ってみたが、頂が尖っていて、足元は極めて不安定だった。

           

          そこは島のこの地区の最高峰だと分かり、両方の海岸をかなり遠くまで見わたすことができたので、私は旗を持ってくるように命じ、岩のてっぺんでそれを翻した。

           

          その間部下達は下で礼砲を撃ち、三度、歓喜の声をあげた。

           

           

          (抜粋終わり)

           

           

          この日、調査隊は中城グスクを経て具志川まで進みますが、私の投稿は、ここで一旦終わります。

           

          中城グスク以北は、私の訪問密度がガタッと低下するので、遠征記を読んでもその場の風景がリアルに思い浮かびません。いつになるかは分かりませんが、訪問密度が上がった時に、投稿を再開することにします。

           

           

          過去の投稿はこちらから。

           

          ハンタ道を歩く(1)首里城〜弁ヶ岳 

          ハンタ道を歩く(2)首里石嶺〜泉小 

          ハンタ道を歩く(3)幸地〜オキコ製パン工場 

          ハンタ道を歩く(4)坂田交差点〜南上原糸蒲公園 

          ハンタ道を歩く(5)東太陽橋〜安里村壱里山 

          ハンタ道を歩く(6)若南原〜新垣集落 

          ハンタ道を歩く(7)ツンマース、根屋、殿 

          ハンタ道を歩く(8)ペリーの旗立岩〜中城グスク 

          ハンタ道を歩く(9)Keep Going


          ペリー提督日本遠征記(2)那覇〜西原

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            ペリーが派遣した調査隊の行程図です。「ペリーの歩いた」とありますが、ペリーは同行しておらず、調査隊は士官4名と水兵4名に中国人クーリー数名を加えた編成でした。

             

             

            調査隊は那覇から東海岸に出て、宜野座村漢那まで北上しています。そこから山越えして恩納村名嘉真に出て、西海岸を南下する6日間の行程でした。

             

            私は石川で折り返したと過去に投稿していますが、私の記憶違いか、間違った情報によるものでした(^^)

             

             

            さて、那覇を出発して東へ向かった調査隊は首里城の横を抜け、弁ヶ岳を通り過ぎた先の丘にいます。


             

            (遠征記の抜粋)

             

            (弁ヶ岳から)半マイルも進むか進まないかのうちに島の分水嶺に達すると、眼下に、東に向かって壮大なパノラマが開けた。

             

            太平洋が水平線をなし、島から突き出している二本の岬の間には広々とした水面が望まれたが、それはバロウ湾らしかった。

             

            われわれのいるところと海との間には、丘が連なって円形闘技場のような形をなし、それぞれの丘は頂の部分まで耕地になっているため、まるで鮮やかな青緑の衣をまとっているように見えた。

             

            斜面には丁寧に段がつけられ、土地の傾斜を利用して灌漑用の雨を集めるようになっている。これらの絵のような丘は、風景の輪郭に多彩な変化を与えながら、約20マイルにわたって広がっている。

             

            西方には、これまで通ってきた郊外の区域がすべて見渡せ、はるか北西にはブロートン岬と思われる半島も見える。

             

            (抜粋終わり)

             


            当時の沖縄はすべての丘の頂まで、棚田(または段々畑)が整備されていました。農民は自分の土地でもない田畑で労働を強いられ、作物を物納していました。不便な場所でも農地にせざるを得なかったのですね。そして、皮肉なことに、そのような農地こそ美しい。

             

            私はこの場所に覚えがあります。弁ヶ岳を抜けて開邦高校の横を過ぎた先にある丘。火立毛です。

             

            私も「お〜、いい眺めだぁ」とは思いましたが、遠征記のように細部まで見ていませんでした。これは見習わないと。

             

             

            抜粋にある「二本の岬」は知念と与勝。バロウ湾は金武湾なので著者の勘違いでしょう。正しくは、もちろん中城湾。ブロートン岬は残波岬です。

             

            それから、冒頭の行程図で1日目の行程が中城までとなっていますが、正しくは西原町小橋川まで。野営の描写を見れば、背後に知念半島が見えてますね。

             

             

            調査隊はこの野営地を「キャンプペリー」と名付けました。この頃から米国では「キャンプ+人名」の命名法だったようです。探検旅行一泊目の高揚感なんでしょうが、「一泊しただけで名前を付けんなよ」と言いたい。

             

            この夜、調査隊の一行はガジャンの大群に襲われて、ほとんど眠れなかったようです。お気の毒ですね(笑)

             

             

            過去の投稿はこちらから。

             

            青い目が見た「大琉球」 

            ペリーの野営地


            ペリー提督日本遠征記(1)那覇港

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              「ペリー提督日本遠征記」を読んでます。

               

               

              合衆国政府がペリー監修の下、ペリーの日記やノート、公文書などを基に編集した遠征記です。

               

              ペリーは那覇を拠点に、浦賀へ2度、香港と小笠原諸島へ各1度の航海をしているので、那覇への寄港回数は計5回になります。

               

              この遠征記には美しい沖縄の風景が随所に描かれています。それを読むと大変気分が良いので、その一部を抜粋しました。コピペができないので時間がかかるのよ、これが(^^)

               

               

              (遠征記の抜粋)


              (1)那覇入港前

               

              海上から眺めると、この島の海岸は緑が美しく、鮮やかな緑の森や耕地があって彩り豊かである。雨のためにその風景の色彩はなおいっそう輝きを増し、豊かなイギリスの風景を思い起こさせた。

               

              水際からすぐに隆起している丘は島の中心に向かってしだいに高くなっており、ところどころ唐突におもしろい形の岩山が突出していて、かつて火山活動があったことが分かる。

               

              丘陵の頂きに沿って杉か松らしい森が広がり、傾斜地は菜園や穀物畑でおおわれている。丘の北側はさらに高くなっており、また海岸は岬が二ヶ所突き出し、その間が深い湾か入江になっていることを示している。 

               

               

              (2)那覇入港後

               

              艦が島にかなり近づいたので、湾の奥の那覇の町がはっきりと見えた。

               

              その正面にアベイ岬と呼ばれる岬が突き出していた。その岬は樹葉でおおわれ、突端のところに岩山がかたまっていたが、そこにある苔むした小塔と扶壁とがこの岬の名の由来であることは明らかだった。

               

              丘にはところどころ白い斑点が点在していて、はじめは住居かと思われたが、やがて石灰岩の墳墓であることが分かった。

               

               

              (3)那覇上陸後

               

              われわれはしばらく珊瑚礁の岸にもたれ、不思議な海中植物の美しい色や形状に見とれていた。

               

              珊瑚礁は円形の堤のような形を成し、まるで秋の森におおわれた小さな丘の連なりのようで、その中に澄んだ深い水をたたえていた。

               

              青、紫、薄緑、黄、白が華麗なぼかし模様になって波間にひらめき、崖の緑にはさまざまな形状の植物が群生し、海面下を流れる潮流によってできた谷に垂れ下がっていた。

               

              そのような珊瑚の森の間を、まじりけのないラピスラズリの矢のように、青い魚があちらこちらと行き交い、目のくらむようなエメラルド色をし、尾と鰭の間が金色をした魚がアラビアの物語にでてくる緑の鳥のように手をすりぬけていった。

               

              水はその深さを見誤るほどに澄みきっていて、まるで蔓植物の天蓋に腰をおろしているような気がしたり、また、向き合う二つの山頂の間にぶらさがっているような心持になったりするのだった。

               

              詩や寓話の題材となるあらゆる海の脅威のうちでも、この眺めは最も美しいものだった。

               

              (抜粋終わり

               


              突き出した二本の岬のうち、一本は先原崎。ペリーの地図ではアベイ岬と名付けられていて、大修道院を意味するそうです。

               

              現在の那覇空港の北端が先原崎。LCCターミナルの利用経験がある人は、LCCに到着したシャトルバスを思い浮かべて下さい。そのバスの真後ろの方向に先原崎灯台跡があります。

               

              さて、もう一本の岬はどこでしょう。まず波の上が思い浮かびましたが、先原崎と対比するには小さ過ぎますね。私の想像ですが、浮島全体を岬と見なしたのではないかと。

               

               

              波の上には宣教師のベッテルハイムが住んでいて、ペリー艦隊が那覇港に入港した際は、自宅にイギリス国旗を掲げて歓迎の意を示しました。

               

              ペリーはベッテルハイムの名前を知っているばかりか、彼が島民に嫌われていることまで知っていたようです。琉球に渡航した西欧諸国間で琉球の情報が共有されていたんですね。

               

               

              ペリーの艦隊は那覇港沖に停泊し、そこから小舟で上陸しました。私はその上陸地点を、上陸碑のある泊港と思っていましたが、士官達が乗った小舟がベッテルハイムが掲げたイギリス国旗を目指したため、最初の上陸地点は波の上になりました。

               

               

              過去の投稿はこちらから。

               

              泊港の風景(2)ペリー来航 

              ペリーの航海 

              テンペストの登場人物(1)ベッテルハイム(上) 

              テンペストの登場人物(1)ベッテルハイム(中) 

              テンペストの登場人物(1)ベッテルハイム(下)


              ヤンバルに猪はいないのか(^^)

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                登場人物は隣の八百屋のコーちゃんとKさんです。

                 

                (1)土曜日午後2時

                 

                C「コーちゃん。アンタんとこのオヤジがニッコニコして何処かへ出かけたな」

                 

                コ「ヤンバルへ猪を獲りに行くって言うてました」

                 

                C「えっ!!、そらええな。来週は焼肉パーティじゃん」

                 

                コ「ウリ坊だったら店で飼いましょうね(笑)」

                 

                C「おぉ、八百屋だけに餌には困らんな」

                 

                 

                K「キャンプは本当だけど、猪の話はそんなこと言ってるだけみたいです(^^)」

                 

                C「アハハ。猪が住んでる山の近くでキャンプしましょうねみたいな」

                 

                K「そうそう(笑)」

                 

                 

                (2)翌週月曜日午前10時

                 

                C「おいコーちゃん。さっきオヤジに『猪はどうなりました?』って聞いたら、『いなかった』ってよ」

                 

                コ「ちゃんと探してないんですよ」

                 

                C「コーちゃん、あのな。アンタのお父さんは『いなかった』って言うてはんねん。いないモンを探せとか捕まえろとか言うても、そら無理やろ」

                 

                コ「アハハ。ずっと大雨でテントから出てないのに、電話したら『ハーハー』言うてるんですよ」

                 

                C「ギャハハ、笑わすなぁ。それは、猪を追いかけてるところか」

                 

                コ「いなかったのにね。ヤンバルクイナはいたみたいです」

                 

                C「焼き鳥かぁ。ほんなら俺はいいわ」

                 

                コ「(笑)」

                 

                 

                こちらがリュウキュウイノシシ。

                 

                 

                「ベルクマンの法則」に従って、哺乳類は北へ行くほど大型化します。栄養を蓄えたり、体温を保つためですね。例えば、南から順にツキノワグマ、ヒグマ、グリズリー、ホッキョクグマ。

                 

                リュウキュウイノシシは南に住んでいる上に島育ち。ナイチの猪の半分くらいのサイズで、牙も短めです。とは言え体重が50キロはありますから、こいつが突進して来たら、原チャリと衝突するくらいの覚悟は必要でしょう。

                 

                 

                猪は野生の豚ですから、知念(精肉店)に頼んだら、ロースやらバラやらミミガーとかにキチンと捌いてくれたはず。焼肉パーティやりたかった(^^)

                 

                まあ、いないものは仕方がないか(笑)

                 

                大宜味村の猪垣(1) 

                大宜味村の猪垣(2)


                ゴーヤージュースに感激する八百屋のオヤジ(^^)

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                  この時期、沖縄でよく聞く「ゴーヤーが余ったからジュースにしました」。

                   

                  ハルからアタイから、スクスクと育ったゴーヤーがダブつく時期は確かにありますが、これは受け取る側への配慮の言葉。

                   

                  昨日の夕方にいただいて、今朝10時のゴーヤージュース。もう、美味くて美味くて美味くて(^^)。身体がゴーヤーを求めている気がします。

                   

                   

                  ゴクって飲んだ後に、喉から鼻腔にかけてフワッと広がるゴーヤーの苦味。いやぁ、美味しいわ。

                   

                  一本のゴーヤーから200ccの絞り汁がとれるとすれば、既に8本分を飲み干し、残りが2本分。昨日、沖縄の各地で開催されたゴーヤースーブの優勝ゴーヤーは50cmを超えたそうです。そこで惜しくも4位くらいのゴーヤーを分けていただけないものかと(^^)

                   

                   

                  「カルピスは初恋の味」。カルピスの社員が創業者に「初恋の味ってどんな味かと問われたら何て答えたら良いですか?」とたずねたそうです。そしたら創業者が「カルピスの味だと答えなさい」と。

                   

                  「ゴーヤージュースは初恋の味」と思ってるウチナーンチュが沢山いるかもしれません。苦味があればこそ、初恋の味。甘いだけではダメなのよ(笑)

                   

                   

                  話はトマトジュースに変わります。

                   

                  私が沖縄に来るきっかけとなった会社(倒産済み)の元同僚がデザインの会社を興して、絶賛大繁盛中です。こちらは彼がデザインしたトマトジュースのパッケージ。

                   

                   

                  パッケージを並べたら、トマトが繋がる繋がる。イオンが採用してくれたそうで、これが商品棚にズラッと並んだら壮観でしょうね。琉球イオンは扱ってくれるのかな?

                   

                  彼の作品はこちらから→ グッズストアドットネット 

                   

                   

                  沖縄でゴーヤージュースを売ろうとしてる人は、このパッケージデザインをパクったらどうでしょう。ゴーヤーが繋がる繋がる(笑)

                   

                  デザイン会社の社長には、私からよろしく伝えておきます。

                   

                  「おまえが社長に叱られてションボリしてた時にヨシヨシしてあげただろ。なっ、だから、なっ。いいじゃん、売れるのは沖縄だけなんだから。なっ」


                  とか言うてですね(笑)


                  領収書崇拝の不思議

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                    某青果店の顧客保育園が代金を支払う方法は銀行振込と現金払いが半々。現金払いの保育園へは、私が集金に伺います。

                     

                    何故、現金払いなんですかねぇ。

                     

                    その理由を保育園の経理担当に聞いてみたいものですが、それをやっちゃうと「集金が面倒だ」と言ってるみたいなので、聞くに聞けずに幾年月(^^)

                     

                    振込手数料は受取人払いなので、保育園の経費節減にはなりません。もしかして、某青果店の経費節減に協力してくれてんのかとも思いましたが、銀行の振込手数料って108円でしょ?。集金に必要な私の人件費やガソリン代のほうがよほど高くつきます。いくら私の給料が安いからって、108円には勝ちますからね。

                     

                     

                    それは良いとして。

                     

                    銀行振込にもかかわらず、領収書を求める保育園があるんです(^^)

                     

                     

                    領収書であれ何であれ、支払いの証明ができればいい訳なので、銀行通帳で充分なのよ。その上に領収書が必要な理由が、意味くじ分からんわけよね。

                     

                    「領収書ぐらい渡してあげればいいじゃない」と思うでしょうが、収入印紙はウチが貼るのでね。弱小零細企業の某青果店に振込手数料を負担させた上に印紙代も払わせるなんて、誰かが勘違いしてるとしか思えません。

                     

                     

                    まあ、それも良いとして。

                     

                    スーパーのレジで客のオバハンが、何とか小銭を使おうとして、財布から一枚一枚小銭を出すのが困ったものです。そして最後の最後に10円足らないと。それで、小銭を財布に戻して一万円札を出すと。

                     

                    「ハーッシ!!」と言いたい。

                     

                    そんなオバハンに限って「あっ、領収書をお願いね」って言い出すから、も〜、イライライライラ。

                     

                    スーパーの支払いで領収書が必要な理由を150字以内で述べなさい。と言いたい。

                     

                     

                    そもそも、レシートなんて英語を使うからこんなことになるんです。レシートと呼ばずに領収書と呼びなさい。

                     

                    レジ「いつもありがとうございます。お釣りと領収書でございます」

                     

                    オバハン「あっ、領収書をお願いね」

                     

                    こんなの、おかしいでしょ(笑)

                     

                     

                    それも良いとして(笑)

                     

                    「領収書を下さい」と言えば、きちんとしてる雰囲気があるのよね。几帳面と言うか。これは日本人の領収書崇拝主義、もしくは領収書信仰の表れと言って良いでしょう。

                     

                    あっ!!。領収書が欲しくて現金払いにしてんのか(^^)


                    頭を使えば使うほど、仕事は進まない

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                      ふと気がつけば、私はもう40年近く働いてるじゃありませんか。お疲れ様と言うほかありません(笑)

                       

                      今日は仕事の話でお退屈さまです(^^)

                       

                       

                      私の勤務時間は5時半から14時半まで。自分が定めた手順で定常業務を消化し、すべての手順が完了すれば、その日の仕事は終わりです。

                       

                      一つ一つの手順の所要時間を合計すると時間が足らなくなるはずが、余裕で終わってしまうのは手順の性能が良いから。

                       

                      自画自賛ですが、これが実によくできた手順で、仕事の効率は上がるしミスもしません。ベテランと新人の違いがそこにあります。能力の差ではなくて、仕事に対する「備え」の差。

                       

                      「そうは言うけど、手順を飛ばしちゃうことだってあるんじゃないの?」って、その通り。だから、手順の抜けをチェックする手順があります。


                      数年前、今の仕事の手順が完成したと感じた時期がありました。頭を使わずに済むようになったんですよ。渡り鳥や回遊魚は脳を半々に使って、眠りながら飛んだり泳いだりできるそうですけど、まさにそんな感覚。頭を使わなくても仕事は進みます。

                       

                       

                      さて、朝8時50分のサンエー壺川店前。私は「開店時刻を待つ」という手順を実行中(笑)

                       

                       

                      出勤から3時間半。その間に一度だけ頭を使うことがありました。

                       

                      ある保育園で園児のお母さんが寄ってきて「車が新しくなったんですねっ!!」と我が事のように喜ぶんですよ。どうしてあんなに喜んでくれるのか、「きっといい人なんだろうなぁ」と思った直後。彼女の気持ちがわかりました。

                       

                      私はこれまでの長きにわたって、あのオンボロワゴンで園児に食材を届けてきました。車にゴミが溜まってるわけでもなく、蜘蛛が巣を張ってるわけでもないけど、見た目がそんな(笑)

                       

                      それをお母さんが苦々しく思っていたとしても無理はありません。それがある朝、八百屋がピカピカの新車に乗ってるじゃないですか。それは喜びますよねぇ(^^)

                       

                      仕事のことで頭は使わないけど、仕事と直接関係のないことは考えてます。そしてそれをブログに投稿すると(^^)

                       

                       

                      「そうは言っても、色々(予期せぬことが)あるんじゃないの?」って、ありがとうございます。非定常業務ってやつね。

                       

                      そうした予期せぬ事態に対応するのが「if-thenルール」です。もし〜ならば〜する。

                       

                      私の脳内には「if-thenルール」が無数に並んでいて、予期せぬ事態が起きたらそれに対応するルールが「発火」します。発火はFireの直訳で、丁寧に訳せば「瞬間的に光る」、「ひらめく」。

                       

                      仕事上の「ひらめき」は、一見、その場で思いついたように見えますが、脳内の「if-thenルール」が発火したものなんですよ。言い換えれば、あらかじめ答えが用意されていたってこと。

                       

                      「考える」のではなく「発火する」。


                      同時に複数の「if-thenルール」が発火することがあります。無造作に保管されてるルールですから、発火した複数のルールが相反することもあります。


                      「考える」のではなく「選ぶ」。



                      「if-thenルール」の数が多ければ多いほど優れた対応が可能で、そのことを「仕事の引き出し」が多いとも言います。


                      予期せぬ事態となって、発火するルールが無い場合、一から対処法を考えることになります。そんな焦った状況で対処すると、新たなトラブルをひき起こすことになり、対処は後手後手に回ります。


                      一方、予期せぬ事態と言いながら、発火するルールがあるのなら、それは予期していたことと同じです。

                       

                       

                      「それは貴方の仕事が肉体労働って言うか、単純労働だからよ。私がやってるような知的な仕事には通用しないわ」というご意見もありましょうが、同じですってば。投稿が長くなるので、そのあたりはまたいずれ(^^)


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                      念願の沖縄生活を始めて14年になりました。
                      沖縄の生活、文化、風土、音楽、政治などの話題を投稿しています。 (y_mizoguchi@yahoo.ne.jp)
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