うちなーぐち朝のラジオ体操

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    知ってる人は知っている「うちなーぐち朝のラジオ体操」。公設市場では使われているものの、農連プラザは(NHKの)原曲のままで申し訳ないです。


     

    「うちなーぐち朝のラジオ体操」は本島各地でロケが行われていまして、こちらは「瀬長島編」。上空を横切る旅客機と、最後に登場するオジィがシュールです(^^)
      

     

    この動画が配信されたのは2012年のことでした。最終回でダイジェストされてるロケ地を全て言い当てることができたら、當山菓子屋の源氏パイをプレゼントしましょう。


     

     

    味のあるナレーション(体操指導)は民謡歌手で介護士の喜屋武均さん。1976年生まれなので、配信時は36歳です。

     

     

    今なら、じゅん選手が担当してたかもしれませんが、同時はまだ無名でしたからね。

     

     

    喜屋武さんもじゅん選手もウチナーグチの使い手ではありますが、二人には私でも分かる違いがあります。

     

    喜屋武さんが使っているウチナーグチは年寄りの言葉で、農連市場の言葉と同じ。オジィやオバァが違和感なく会話ができる言葉と言っても良いでしょう。

     

    一方、じゅん選手は若い人向けのウチナーグチ。私でさえ「ん?」と思うことがあるくらいですから、ウチナーグチのネイティブスピーカーには、かなりの違和感があると思います。

     

    だからって「じゅん選手のウチナーグチはどうなのか?」などとは言いません。民謡歌手のウチナーグチとお笑い芸人のウチナーグチは、聞かせる相手(ターゲット)が違う。そういうことです。


    ウチナー蒲鉾うさがみそーれ

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      ジランバ屋の工場にすり身を貰いに行ったら鯛の(カタチの)蒲鉾が出来上がっていたので写真に撮りました。

       

       

      工場で働いてるオヤジが「へ〜、それが珍しいの?」と(^^)

       

      こいつはバカじゃないのか(笑)

       

      「自分は蒲鉾屋でこいつは八百屋」ってことに考えが至れば、私の行動は至極自然なもの。少しは考えなさいよ。

       

      鯛の蒲鉾は進物用。1キロサイズで1,500円ほどだと思います。お腹にあんこは入っていません(笑)

       

       

      ジランバ屋の名前の由来は創業者の玉城ジラさん(糸満)に、姉さんを意味する「アバー」をくっつけたもの。

       

      那覇市歴史博物館所蔵のこの写真には「糸満のアングヮー」とキャプションがついてました。

       

       

      アングヮーも姉さんで、アバーとの違いは町民と農民でしょうか。士族の言葉で姉さんはゥンミー。

       

      三姉妹ならば、上から「ウフンミー、ゥンミー、ゥンミーグヮー」と呼び、大阪の「とおさん、いとさん、こいさん」にあたります(監修はikokaとおさん)。

       

       

      ジランバ屋の創業は昭和元年で、もうすぐ百年。

       

      蒲鉾工場で働く人達は、余計なことは言わず、約束を守り、優しい笑顔。さっきは悪口を言いましたが、私はこの人達が好きです。

       

      公設市場のジランバ屋 

      丸かまぼこは7時半にできていたか 

       

      それに引き換え、売店のオバハンの厚化粧はどうにかならんものなのか。化粧が風に舞い、蒲鉾に着地することはないにせよ、未包装の食品を扱うんですからね。


      オバハンを売ってるんとちゃうねんから(^^)


      今帰仁グスクの石積み

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        今帰仁グスク、大庭(ウーミヤー)の石垣。

         

         

        この石垣をよく眺めると、少なくとも3世代の石積みがあることが分かります。石垣の根の部分の石積みとその上に古い石積み、さらにその上に新しい石積み。

         

        いずれも野面(のづら)積みではあっても、石積みのスタイルが明らかに異なります。例えば、古い石積みは目地にこだわらずに乱積みされていますが、新しい石積みは目地を水平方向に揃えようとしています。

         

         

        今帰仁グスクは2000年に世界遺産に登録され、その直後に大改修を行ないました。新しい石積みは、おそらくその時のもの。

         

         

        不細工だと思いませんか?。どうして古い石積みに揃えようとしないんでしょ。

         

        何かの理由があるのなら、是非それを知りたいし、特に理由が無いのなら、やりたいようにやったってこと。それならば、呆れるしかありません。

         

        もしかして、石積みの技術を持たない、そこらの業者にやらせんじゃあないでしょうね。

         

         

        野面積みは加工しない自然石を積み上げるもので、プロの石工技術者が積むと大変強固な石垣になり、素人が積むといとも簡単に崩れてしまうとのこと。

         

        こちらは一昨年の台風で崩落した城壁です。

         

         

        「プロに頼んだんでしょうね」

         

        と言いたい。

         

         

        単なる観光施設ならともかく、今帰仁グスクは600年続いたグスクで、その歴史が郷土の誇りのはず。それをたったの15年で崩してしまって(^^)

         

        御先祖様に顔向けできないとはこのこと。「なめてんのか」と叱られますよ。


        今帰仁グスクが地味な理由

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          前回に引き続き、今帰仁グスクの志慶真門(シジマジョウ)郭です。

           

           

          地面に杭が打たれている場所が家臣の住居跡で、復元模型ではこのように。

           

           

          それらしくは見えますが、何しろ資料不足。きっと何かが違うんでしょうね。奥の志慶真門の形状もしかり。

           

           

          今帰仁グスクは首里城に匹敵する規模を誇りますが、世界遺産に登録されたグスク(首里、中城、勝連、座喜味、今帰仁)の中では存在感がイマイチ。

           

          それはグスクに纏わる物語が少ないからではないかと思います。国王の攀安知や家臣の本部平原が北山の主役ではありますが、名前が知られてるとは言えません。

           

          その他のグスクには、主役に護佐丸と阿麻和利がいて、脇役に百十踏揚、大城賢勇、金丸、尚泰久。これではちょっと勝負になりません(^^)

           

           

          今帰仁グスクに纏わる歴史的な事件と言えば、北山王国の終焉(1416年)と、島津藩による琉球侵攻(1609年)でしょう。

           

          1416年。今帰仁グスク落城の大きな要因となったのが、家臣本部平原の裏切りでした。さて、本部平原の行為は善なのか悪なのか。

           

          今帰仁グスク正面には尚巴志が陣取り、志慶真門には護佐丸。このシーンが今帰仁グスクの歴史的ハイライトではないかと思います。

           

          護佐丸の曽祖父は今帰仁グスクの元城主で、攀安知の祖父に討たれています。護佐丸にとっては敵討ちの戦いでもあったんですね。

           

           

          今帰仁グスク落城の時、攀安知に仕えていた乙樽(絶世の美女)は生後間もない世継ぎの子を背負って、東の山へ逃げました。

           

          ウチナーグチで背負うはウッパ。それ以来、その山はウッパ山と呼ばれるようになったと。本当か?(笑)

           

          では、ウッパ山からの眺望をお楽しみ下さい。最初に見えてる丸い島は古宇利島です。

           


          今帰仁グスク「志慶真門郭」

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            今帰仁グスクの交流センター前に置かれているグスクの模型です。

             

             

            7つの郭を持つ大規模なグスクですから、グスクに入る前に、この模型を頭に入れておくと良いでしょう。

             

             

            反対側からも見ましょう。

             

             

            主郭裏側の断崖絶壁の更に外側にも城壁が築かれていて、グスクの守りをより強固なものにしています。

             

            手前の門がグスクの裏門にあたる志慶真門(シジマジョウ)。城壁の内側が志慶真門郭です。

             

             

            主郭から見下ろした志慶真門郭。杭が並んでいる場所からは、家臣らの住居跡が発掘されたとのことです。

             

             

            志慶真門郭から見上げた主郭。

             

             

            今帰仁グスクの撮影ポイントは御内原(ウーチバル)から見下ろした大隅(ウーシミ)の城壁が定番ですが、城壁に囲まれた志慶真門郭も良い撮影ポイントだと思います。

             

             


            尚巴志が今帰仁グスクを攻めた時の北山王は攀安知(ハンアンチ)。難攻不落のグスクを攻めあぐねた尚巴志は、北山軍大将の本部平原(モトブタイハラ)を寝返らせ、志慶真門から兵をグスク内に送り込みました。

             

            こちらが志慶真門跡。

             

             

            この門から真っ先に突入してきたのが、若き日の護佐丸だったと言われています。

             

            護佐丸は首里軍の大将格でしたし、北山王国崩壊後の北山守護職に就きましたから、今帰仁グスク攻略に貢献したことは間違い無いでしょう。

             

            そして、今帰仁グスクに真っ先に突入したのが護佐丸であって欲しいと思う護佐丸ファンは多いはず。


            だったら、先頭は護佐丸でいいんじゃないでしょうか(笑)


            沖縄に著作権は無いよ!

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              「音楽は人類の共有財産である」との信念の下、護得久栄昇先生が「沖縄に著作権は無い」と仰っています(笑)

               

               

              新しい曲が生まれた時、その曲の作者に著作権が生じます。どこかに登録するとか、誰かが認めるとかではなく、自動的に生じる権利。

               

              だから、いくら栄昇先生が仰っることではあっても「著作権が無い」なんてことはあり得ないわけで、古くからの民謡など著作権保護期間を終了した曲を除けば、すべての曲に著作権者がいます。

               

               

              ところがねぇ。沖縄でいくらCDが売れたとしても数千枚で、あの「島唄」でさえ一万枚。作者が手にできる著作権料には限界があるんですよ。

               

              もちろん、民謡酒場などで歌われた場合にも著作権料が発生していて、JASRACが使用料を回収して作者に分配しています。



              民謡酒場のステージでいかにもありそうな曲順がこちら。

               

              (1)涙そうそう

              (2)芭蕉布

              (3)安里屋ゆんた

              (4)島人ぬ宝

              (5)童神(リクエスト)

              (6)ハイサイおじさん

              (7)オジィ自慢のオリオンビール

              (8)島唄

              (9)唐船どーい

               

              使用料が分配される先は、概ね、BEGIN、喜納昌吉、宮沢和史。て言うか、ほぼBEGIN。歌うほうも聞くほうも、よくまあ飽きないものだと思います。

               

               

              つまり、著作権料ではさほど稼げず、使用料はほぼBEGINに持って行かれる中、自ら歌ってギャラを稼ぐ方向に向かうのが自然。

               

              だから、栄昇先生が仰ってるのは、著作権なんて稼ぎにならない権利は、あっても無くても同じだねってことなのよ(^^)


              山芋勝負(ヤマンムスーブ)

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                うるま市石川庁舎で山芋勝負(ヤマンムスーブ)が開催されていました。

                 

                 

                山芋勝負は山芋一株の総重量を競うもので、優勝株ともなれば、300kgを超えることがあります。

                 

                 

                この山芋は大薯(ダイジョ)。とろろ(山かけ)にして食べる自然薯(ジネンジョ)や長芋とは種類が異なります。

                 

                 

                大薯の芋の断面は紫色と白があり、紫色の芋を紅芋と呼びます。つまり、お菓子の「紅芋タルト」の原料がこれ。

                 

                自然薯に比べると大薯の商品価値は低く、流通量も少なめでしたが、「紅芋タルト」のおかげで、活躍の場が与えられました。

                 

                なお、紅色のさつま芋を誤って紅芋と呼ぶことがありますが、正しい呼名はむらさき芋です。

                 

                 

                山芋勝負に出場する大薯を、私は山中で自然の芋を探すものと思ってましたが、ちゃんと栽培してるんでした。山芋勝負の上位に毎年入るような人は、独自の栽培法を確立してるそうで、それは当然に秘密。

                 

                中には、一枚の畑の中央に山芋一株だけを植え、肥料も水も、その株だけのために与えると。そして、肥料の内容や水やりのタイミングにこだわりにこだわると。

                 

                そんな人が優勝して、インタビューで「山芋を大きく育てる秘訣は何ですか?」と問われても、「いやぁ、たいしたことは特にやってませんが、よく育ってくれました」と応えるわけですね。

                 

                 

                この日は読者のおもろさんと飲み会。

                 

                パレット久茂地のXmasイルミネーションから、

                 

                 

                泉崎「ちんまーやー」のコースです。

                 


                若く見られればいいってものではないの

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                  (1)惣菜屋のトミさん

                   

                  農連プラザで惣菜屋を営むトミさん。

                   

                   

                  読者のへそまがりさんには、このオバハンが吉永小百合に見えるらしいのよね(笑)

                   

                  トミさんは美形だし、若く見えるのも確か。へそまがりさんとトミさんは若い頃から、毎年、同じように歳を重ねてきたってこと。つまり、へそまがりさんにとって、彼女は永遠のマドンナなんですね。

                   

                   

                  ところがねぇ。私が豆腐の注文に来て、

                   

                  「明日の注文、ここに置いとくで!!」

                   

                  と声をかけたら、

                   

                  「はいよっ!!。オッケー牧場!!」

                   

                  とか、

                   

                  「毎日、ラブレター、ありがとっ!!」

                   

                  とか返事されてごらんなさい。彼女が私の中で吉永小百合になりきれないのはそのあたりなのよ。で、へそまがりさんにとってはそこがまた可愛いと(^^)

                   

                   

                  (2)保育園のベテラン調理師

                   

                  どの保育園にも、長年勤めて「主」みたいになってる調理師が必ずいまして、私との付き合いは早や7年。その一人とこんな話になりました。

                   

                  調「Cさん、お子さんは?」

                   

                  C「娘が二人。30と26」

                   

                  調「えっ、え〜っ!!。まだ中学生くらいかなと思ってた」

                   

                  C「それはつまり若く見えるってこと?。もう62やで」

                   

                  調「えっ、え〜〜〜〜っ!!。私より年下と思ってた。本当なの?」

                   

                  そこで「俺もやわ」と言いかけたものの、相手はお客様。

                   

                  C「ありがと〜」と(笑)

                   

                  若く見られて私が喜んでいたのは2、3年前までのこと。今は、年相応か、願わくば若い人達に「あんな60代になりたい」と思われたいのよね。褒めるのなら、もっと早く褒めてちょうだい。

                   

                   

                  (3)ゆたかはじめさん

                   

                  投稿が長くなりますが、これを投稿するまで今日は終われません。

                   

                  浮島通りで仕入れを済ませた私は、開南方向に左折したところで車を停め、仕入れ代金の計算をしてました。そしたら、運転席のすぐ横を一人のご老人が通ったんですよ。

                   

                  一瞬考えて、どうやら今の方はゆたかはじめさんだと思い、後を追いかけて声をかけました。

                   

                  C「すみません。失礼ですが、ゆたかはじめさんでしょうか?」

                   

                  ゆ「はいそうです。私をご存知なんですか?」

                   

                  C「そりゃあもう。ゆたかさんの著書はほとんど読ませていただきました。沖縄の軽便鉄道に興味がある人なら、ゆたかさんを知らない人はいませんよ」

                   

                  ゆ「そうでしたか。それはありがとうございます。貴方のお名前は?」

                   

                  C「Cと申します。沖縄に来て10年になりますが、琉球王朝時代から、戦前、復帰前あたりまでの沖縄に興味がありまして、軽便鉄道の遺構は残らず見て歩きました」

                   

                  ゆ「そうでしたか。Cさんの仰ることは良く分かりますよ。私と同じですからね」

                   

                  C「お住まいが沖縄だってことは知っていましたが、まさかお会いできるとは」

                   

                  ゆ「私もお会いできて良かったです」

                   

                  C「あの。写真を一枚撮らせていただいても構いませんか?」

                   

                  ゆ「どうぞ、どうぞ。せっかくですから一緒に写りましょう」

                   

                   

                  どうでしょう。私の嬉しそうな顔。

                   

                  まったく偉そうにせず、私と同じ立ち位置で会話を続けるゆたかさん。

                   

                  91歳。元東京高等裁判所長官。

                   

                  私が90歳まで生きられるものなら、ゆたかさんのような90代を目指したいと思いましたよ。


                  那覇の(私的)三大トックリキワタ

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                    那覇市内のトックリキワタ(徳利木綿)が満開です。

                     

                    こちらは開南バス停のトックリキワタ。

                     

                     

                    トックリキワタが南米から沖縄にやって来たのは1964年のこと。おもろまちで原木(天野株)が健在です。そこから挿し木などにより沖縄各地に植えられたので、この人達は天野さんのクローンです(^^)

                     

                    なので、開南バス停のトックリキワタの樹齢はせいぜい50年。復帰前に撮られた開南バス停の写真にこの木は写っていませんでした。

                     

                     

                    続きまして、私の自宅近く。堂々とした姿は国場のトックリキワタ。

                     

                     

                    トックリキワタはスペイン語ではパロボラッチョ(Palo Borracho)。意味は「酔っ払いの木」です。この幹の膨らみが徳利に見えたり、オヤジのビール腹に見えたりするわけですね。

                     

                    私は朝夕、この木の下を通るので、満開のタイミングを逃さないはず。ところが「明日こそ、明日こそ」と思ってるうちにピークを過ぎてしまうと(^^)

                     

                     

                    最後は豊見城城址の近く。石火矢橋のたもとのトックリキワタ。沖縄では南米桜とも呼ばれていて、これなら確かに桜と呼んで良さそうです。

                     

                     

                    ところが、近寄ってみると桜とは似ても似つかぬ花弁にガッカリすることになるので、適度な距離から眺めるのが良いでしょう。

                     

                     

                    トックリキワタの開花期は2、3ヶ月ほど続き、その間、開花を楽しめますが、木によって時期がズレるので、街路樹が一斉に咲かないのが難点です。

                     

                    今年、与儀の「トックリキワタ祭り」は開花の最盛期には早過ぎて、まばらに咲いてる木の下で行われていました(^^)


                    広島の対馬丸学童慰霊碑

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                      JUGEMテーマ:地域/ローカル

                       

                      私の故郷広島を旅行中なのは読者のおもろさん。

                       

                      彼が比治山の広島現代美術館へ行くと言うので、時間があれば数枚の写真を撮って欲しいとお願いをしました。

                       

                       

                      広島駅の近くにある小さな丘が比治山。

                       

                       

                      太田川の三角州の上にある広島の街。比治山は瀬戸内海の島でしたが、川砂に飲み込まれ、今は比治山公園として整備されています。

                       


                      その比治山公園の一角に旧日本陸軍船舶砲兵部隊の慰霊碑があります。

                       

                       

                      船舶砲兵部隊は、陸軍が徴庸した輸送船などに乗船し、船を護衛することを任務としていました。

                       

                      慰霊碑の銘板に記されているのは、

                       

                       

                      船舶、船員、船舶砲兵・部隊将兵、乗船将兵、そして、対馬丸乗船沖縄疎開学童。

                       

                       

                      対馬丸には41人の船舶砲兵が乗船していました。その中で生還し、唯一存命だった元兵士が、慰霊碑建立にあたり、是非、銘板に対馬丸疎開学童と記載して欲しいと働きかけたもの。

                       

                      それは、対馬丸の子供達を守りきれなかったことへの懺悔の気持ちであったと。

                       

                      沖縄の対馬丸記念館はこのことを知り、以来、慰霊祭に花束を送るなどして、戦没者遺族との交流を深めているようです。

                       

                       

                      おもろさん、わざわざ慰霊碑に寄ってくれてありがとう。来週、沖縄に来るんでしょ?。お礼に一杯奢りますから、予定を知らせて下さい。

                       

                       

                      それにしてもこのおもろさん。「天気がいいようだから島へ渡ってはどうか」と言われればフェリーで江田島に渡り、「写真を撮ってこい」と言われれば慰霊碑に向かい。どんだけ素直な男なんだろ(笑)


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                      念願の沖縄生活を始めて14年になりました。
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