会社の寿命(3) 子会社の切り離し

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    某ベンチャー企業の子会社に小さな航空会社がありました。沖縄の離島便(粟国、慶良間、波照間など)を運行していましたが業績はイマイチ。そのまた子会社にヘリコプターの運行会社がありまして、こちらは利益を上げていました。


    例えば、沖縄の放送局や新聞社には自前のヘリがありません。そのため、空撮が必要になる都度、ヘリをチャーターしています。辺野古から那覇マラソンまで、空撮の仕事はいくらでもありました。また、離島で事件があれば、記者をその島まで運びました。

    ヘリを必要とするのは報道機関に限りません。沖縄電力はヤンバル山岳地帯の架線点検をヘリで行いますし、ある調査会社は防衛省から委託されてジュゴンを追跡してました。


    ヘリ会社の社長は、親会社は倒産したけれど、なんとか事業を続けたいと考えてました。そして私に、会社を独立させるまでの仕事を手伝えと言ってきたのです。

    期間限定とは言え、私が沖縄の仕事を断るはずがありません。私は2009年9月に古波蔵のレオパレスに入居し、その日から沖縄生活とこのブログを始めました。


    親会社の某ベンチャー企業は倒産し、子会社の航空会社は休業状態。その下にヘリ会社がぶら下がっている構造です。

    ヘリ会社を独立させる手順としては、まず、親会社である航空会社を清算し、ヘリ会社を切り離します。ヘリ会社は親会社に多額の債権があったため、親会社の清算により債務超過となりました。

    次に、沖縄の企業として事業を継続させるために、沖縄で出資者を募りました。また、当面の運転資金を調達するために、銀行に融資の申請をしました。

    普通は、債務超過の会社に出資をする会社はありませんし、融資をする銀行もありません。そこを、ヘリ会社がこれまで黒字を継続していることや、親会社の倒産による債務超過には解消の見通しがあることなどを訴えたわけです。

    結果として、沖縄の数社が出資に応じてくれ、社長を筆頭にバランスの良い株主構成となりました。そして間も無く、銀行が融資を決めてくれました。

    たいへん結構な結末となり、社長も私も大いに喜びましたが、私の仕事が終わってしまうのが困ったものでした(笑)


    次の写真は、那覇市内の遊覧飛行に便乗した時のものです。その日の投稿は (→こちらです)


    会社の寿命(2) 会社の倒産

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      某ベンチャー企業と金融庁のバトルは終結したものの、信用を失った会社の営業部門は惨憺たるありさまでした。金融庁が捜査に入ったことをメディアが大々的に取り上げ、その影響で既存の顧客は去り、新規営業は難航しました。

      創業5年で上場を果たし、利益率の伸びで世界ランキングに名前が載った会社でしたが、完全に失速し、創業10年目の2009年に倒産しました。



      当時、会社は弁護士と公認会計士からなる調査チームを編成していました。能力が高い(報酬も高い)先生方にお集まりいただいたため、その報酬総額は軽く10億円を超えました。国家権力に立ち向かうには、それなりのコストがかかるってことです。

      後になって考えたことですが、金融庁は会社が死に体になったことを見極めたのだと思います。消滅が決まっている会社を手間をかけて罰する必要は無く、だから捜査を終了したのでしょう。


      私はその会社で、なかなかタフな3年を過ごしましたが、もちろん良いこともありました。四半期ごとの会計監査や社内会議などで、毎月、一週間ほど沖縄本社に来る必要があったのです。

      「沖縄に来なくてはいけない」

      なんて素晴らしい響きなんでしょう。

      出張ですから、交通費や宿泊費はもちろん、日当まで支給されて、

      「沖縄に来なくてはいけない」(笑)

      しかも、沖縄に一週間出張するわけですから、前後の週末は当然沖縄にいますよね。

      金融庁の影に怯えながら、弁護士や公認会計士と議論を続ける昼間が「陰」とすれば、平日の夜と週末は「陽」。そのバランスの中で私の精神ならびに体力は維持されていたと言えます。

      更にそのころ、私が沖縄に転勤する雰囲気が醸成されていて、これがまた明るい未来を予感させました。

      「沖縄で働かなくてはいけない」(笑)

      ナイチの上場企業の給与レートで、しかも私は執行役員。当時の月給を今の私が稼ぐには半年以上かかります。その沖縄生活を「薔薇色」と言わずして、何と言えばよいのか。

      だから私は頑張ったと(笑)


      さて、頑張った甲斐もなく会社は倒産しましたが、一応は上場企業ですから、破産手続きには結構な手間がかかります。那覇地裁が松尾の弁護士事務所を破産管財人に指名し、財務担当の取締役と私の二人が、その業務を手伝うことになりました。

      かくして私は、債権者集会で社長が「ごめんなさい」と頭を下げた日までの数ヶ月を、那覇地裁から日当2万円を支給されつつ、過ごすことになりました。

      (続く)


      会社の寿命(1) 沖縄に来る前のこと

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        大学を卒業して鉄鋼メーカー(東京)に就職した私は、その会社で45歳まで22年間勤めました。

        売上高は約6千億円。ピンとこない数字かもしれませんが、沖縄県内企業の売上高ランキング上位5社(首位は沖縄電力)の売上高を合計すると、その数字になります。

        その会社はこの春、国内首位の鉄鋼メーカーに吸収され、完全子会社となりました。売上高6千億円の会社をよく飲み込めたもんだと思われるかもしれませんが、親会社の売上高は4兆9千億円。「ん?、何か飲み込んだか?」みたいなもんです(笑)。


        退職後の私はIT企業(大阪)の雇われ社長を3年務め、その後、某ベンチャー企業(那覇)に移りました。

        東京→大阪→那覇。

        これは沖縄の引力のなせる技と言えるでしょう。沖縄に住むことだけが人生の目標ってことでもありませんでしたが、大きな流れとしては、そうなっていますね。


        かつて那覇市西町にあった某ベンチャー企業の本社。



        沖縄風デザインの外観と開放感のあるフロアー。玄関の上にはバーベキュー用の広いテラスがありました。

        本社とは言え、ここにあったのは総務と経理だけ。実質的な本社は東京の芝公園にあり、私はそこで企業法務や会計監査を管掌する執行役員を務めていました。

        芝公園のオフィスは30階建の高層ビル内にあり、最上部の数フロアーは賃貸マンションでした。私が会っただけでもプロ野球の松坂大輔や、俳優の吉川晃司、歌手の前田亘輝らがそこに住んでいて、オフィスもマンションも「結構なお家賃」でした。


        さて、私が入社して1年後のある日。オフィスに金融庁の職員(証券取引等監視委員会)が段ボールを抱えて入って来まして「はい、皆さん動かないで」と(笑)

        創業5年で株式を上場させた若い会社でしたから、コンプライアンスの面ではまったくダメダメでした。そこを金融庁に睨まれてしまったということ。以降、私のエネルギーの大半を(金融庁から)会社を護るために費やすことになりました。

        そして、2年間に及ぶ金融庁とのバトルの後、会社は「おとがめなし」ということになりました。押収されていた書類等が返還されることになり、トラックで霞ヶ関から芝公園まで運びました。会社の地下駐車場で大勢の社員が拍手で迎えてくれて、あの時は嬉しかったなぁ。

        (続く)


        農連市場の再開発進行中

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          農連市場の母屋側からガーブ川対岸を写しました。



          鉄骨が組まれている建物が、新農連市場(見取り図の三角形)。右手奥の高層は桜坂のハイアットです。



          三階建てと聞いてますから、近々、内外装の工事に入るでしょう。


          農連市場の濃厚な雰囲気が、スーパーやコンビニのような軽薄なものになりますね。私がまったくワクワクしないのも無理はありません。

          那覇の市街地全域がおもろまちのような街になる日も近いでしょう。


          水曜朝の某青果店

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            昨日夕方のこと。相棒のAが「あっ、Cさん。明日は6時に来(こ)よ〜ね」と言うので、「そうしましょ」ってことになりました。

            水曜日は卸売市場が休みで、Aは店にいます。いつもは私一人でやってる配達の準備(農連市場の仕入れ、仕分け、積込み)を二人でやれるので、30分遅く出勤しようということ。


            ところがねぇ。これまで私がその言葉を間に受けて6時に出勤しようものならこのアンポンは、

            「あっ、バナナが足りんさ。Cさん、バナナ組合へ行って来(き)ょ〜ね」

            などと言い出すのよねぇ。そしたら私は7時までの1時間で、90分の仕事をせなあきまへんやん(泣)

            あのね。歩いて15分の距離を10分で行くのは走ればよろしい。じゃあ、走って15分を10分で行くにはどうすんの?

            私が死にもの狂いで配達の準備をしている頃、Aの車はとまりん前あたりを浦添方面に走行中。折れた右手でハンドルを固定し、ラジオを聴き、左手でタバコを吸ったり、コーヒーを飲んだり。そして、配達の準備が万端整った頃、店に帰って来ます。

            「ハーッシ、めんろうくしゃいね。バナナ3ケースで、うらしょえまれってよ」

            私はこいつの奇妙な日本語を理解できることさえ腹立たしい。「何でそれを昨日の夕方、気付きませんか?」と言いたい。


            そして、今朝のこと。何度も煮湯を飲まされている私は、用心して5時45分に出勤しました。もちろんAは6時です。

            Aは農連市場のネェネェに野菜を注文することがありまして、そのネェネェは某青果店まで台車で野菜を運び、お母さんから代金を受け取ります。

            本来は、これだけのことなのよ。

            ところが今朝。ネェネェに優しい男だと思われたいAは出勤前に野菜を受け取り、店まで運んで来ました。

            そして、「お金を払って来(き)ょ〜ね」とお母さんから代金を受け取り、ネェネェの店に向かったのです。

            入れ違いで集金に来たネェネェ。そしたらお母さんが「代金はAに渡してあるからね〜」と。

            ネェネェは代金を受け取らないまま自分の店に帰りまして、入れ違いで戻ってきたA。お母さんが代金を払ってないと聞き、再びトロトロとネェネェの店へ(泣)

            「え〜いっ!!。どいつもこいつも、ええかげんにせいっ!!」ちゅうの。


            さて、話は変わりまして、こちらは名護のアグーです。名護はアグーの里。愛きょうがあってなかなかよろしいと思いますね。



            ところが、女性の名護市議から「アグーのキンタマが見苦しい」と抗議があったそうです。その市議は「あんなキンタマは切り落としなさいっ!!。何でメスにしなかったのっ!!」と叫んでるそうですが、メスって貴女(笑)

            いやぁ、見苦しいとは言わないけど、それはちょっと恥ずかしいのとちゃいますかね。

            対応に苦慮した名護市でしたが、色々考えた末、植木屋に頼んでキンタマを植栽で隠してしまいました。



            辺野古への基地移設で緊張感が高まる名護市ですが、市議さんも市職員さんも優雅な仕事をしてはりますねぇ。


            配達に遅れたからって、命まで獲られるわけじゃなし。私も皆さんを見習ってユーユートゥ生きていくべきか、と思った水曜日の朝でした。


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            念願の沖縄生活を始めて7年になりました。
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