那覇市松山「若松卸問屋街通り」(2) 建物が持つ60年の歴史

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    一つ前の投稿で使わなかった写真を数枚。

    喜納商店



    中央の円筒状のデザインが特徴です。



    三列に並んだ小窓はどんな役割なんでしょう。もしかして、円筒内に強力な光源があって、夜になるとサーチライトみたいに光を放つのか(笑)

    二階と三階の間に滑車があり、左右にワイヤーが張られています。



    最初の写真を見ると、建物の両側にも滑車があるので、全面一杯に横断幕が張れるようです。

    そして、円筒の下部、庇の上部にある横長の凹みも気になります。かつては蛍光灯が入っていて、電飾看板だったのかもしれません。


    城間商店



    角が丸くカーブし、二階の窓には格子が入っています。二階建だけど存在感あり。

    と思ってたら、向かいにホテルが建っちゃって。



    まっ、負けるな!!


    ローソン



    庇の具合が一般的なローソンの店舗と似ていて違和感がありません。



    二階の窓の上部にある帯状のパーツが壁から浮いていて、カーブを強調しています。機能はなさそうですから、デザインですねこれは。


    金城洋酒店



    アメリカ統治下で、洋酒を専門に扱っていたんでしょうか。今は泡盛も売ってます。


    裏通りのアパート



    卸問屋街が賑わい、後に若松公設市場が開場しました。周辺の人口が増え、潮渡川の対岸に映画館もできました。

    当然、住居が必要になるんですが、このアパートは一区間の端から端までの二階建てで、十数部屋が並んでいます。築50年ほどでしょうか。読者のひよこさんの言葉を借りれば「香ばしい」アパート(笑)


    若松公設市場



    今はなき若松公設市場。

    一階が市場で、二階より上が市営住宅でした。

    私は入ったことがありませんでしたが、他のサイトを拝見すると、雰囲気が農連市場に似ていますね。最盛期に歩けないほどのお客さんが集まったことも同じ。

    次の投稿で、公設市場の跡地に行ってみます。

    (続く)


    那覇市松山「若松卸問屋街通り」(1) 卸問屋街の景観形成

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      ここは那覇市松山の若松橋です。妖怪「仲西ヘーイ」の潮渡橋から一本海側。



      1956年に開通した初代の橋が老朽化し、最近、架け替えられました。


      この橋を起点に、松山歓楽街に向かう若松卸問屋街通り。



      初代若松橋と同じ1956年。埋め立て地に卸問屋街が形成されました。


      こちらはインテリアのマルシゲ商会。



      食品卸の喜納商店。



      食器の城間商店。




      どの店にも庇があります。

      もちろん、積み下ろしの商品が雨に濡れないための庇ですが、そのスペースを得るために、店舗の一階部分を後ろに下げています。

      これなら、店舗前に車を停めても、通りの交通を妨げませんし、通りがスカッと見通せます。しかも、庇の高さが同じですから、景観がグッと良くなります。


      ところがですね。

      浦添市西洲の埋め立て地に、卸問屋が次々と移転したため、跡地にマンションやホテルが建ち、空き地は駐車場になりました。通りの統一感は崩れつつあります。

      卸問屋街が形成された当時の写真がありました。



      一見、沖縄戦後の焼け野原に見えますが、ここは戦後の埋め立て地。どの建物も新築ピカピカです。写真奥に初代若松橋とその先に泊港。

      通りの左手、潮渡川沿いに三角形の空き地があります。1967年に若松公設市場が建つ場所ですが、この写真はそれ以前のようです。

      そして、最近のGoogle earth。



      周辺にビルが建った影響もありますが、卸問屋街がまったく目立たなくなりました。て言うか、歯抜けが酷い。建物の数は半分ほどでしょうか。若松公設市場は既に解体されています。


      卸問屋街に戻りましょう。

      ローソンは建物を再利用していて感心です。庇付き。



      このローソンも先ほどの城間商品も角地にありますが、角地の店舗は角地らしくデザインされていますね。

      こちらも角地の玉富さん。



      仲田幸子芸能館も建物再利用で、もちろん庇付きです。




      喜納商店の前で、若松橋方向を振り返りました。



      空がすっきりときれいです。

      電線が無いことに気づきましたか?

      電線は地中に埋めたのです。60年前の街づくり。

      だから、通りを一歩外れるとこうなります。




      使いやすく美しい卸問屋街にしようと、通りの皆さんがルールを決めて街を造ったのです。

      なんとか街並みを残せないものかと思います。

      いや、分かっています。

      商売が繁盛して店舗が手狭になり、西洲に移ることにした。移転資金が必要なので土地を売ったらマンションやホテルが建った。または、土地は売らなかったけど、跡地を駐車場にした。

      ごもっともです。

      まったくおっしゃる通り。その通りなんだけど、なんとか街並みを残せないものかと。


      無理なんでしょうねぇ。

      「黙っとれぃ!!」ですよね。

      (続く)


      伊舎堂の三本榕

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        昨日投稿した伊舎堂の三本榕(ガジュマル)についてもう少し。



        戦前の伊舎堂は綿花の産地で、多くの若い女性が働いていました。三本のガジュマルに囲まれた空間は毛遊びの場で、伊舎堂集落の中心だったのでした。

        上の写真の左端に石碑があります。



        今のガジュマルが植樹された時の石碑で、1955年の日付けが記されています。

        そもそも、このガジュマルは伊舎堂集落が形成された時に、三組の夫婦が植えたものだそうで、現在のガジュマルが三代目。二代目は戦火で焼失したようです。


        戦前の沖縄には、綿、絹、芭蕉布と布を織る原料が揃っていましたが、戦後の復興期は衣よりも食。綿花栽培は衰退し、穀物や野菜の畑となったのです。

        そして、戦後10年が経った1955年に、この場所に若いガジュマルが植えられました。


        そして、冒頭の写真の右端。バス停の横に、こんなものがありました。





        随分厳重に保護していますが、鉄パイプの溶接箇所や土台のコンクリートに手作り感があっていい感じです。


        まったくの想像ですが、この三つの石は、戦後10年間、三本榕の代わりを務めていたのではないでしょうか。

        三本榕は集落発祥の地だったことに加えて、集落が賑やかだった頃の象徴でもありました。早くガジュマルを復活させたかったでしょうが、終戦直後は植樹どころではなく、とりあえず、三つの石を並べておいたのではないかと思います。

        そして、現在のガジュマルが植えられた時、役割を果たした三つの石をこのように保存したと。


        いや、間違ってる可能性大です(笑)

        そんな風に思わせるほど、集落の皆さんがこの場所を大切にする気持ちが伝わってくるって話でした。


        佐敷小谷「ジャンクビリ」

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          佐敷の小谷(おこく)集落から、大里の大城集落へ抜ける道が復活したと聞き、歩いてきました。


          2年前に小谷集落を歩いた時の投稿があります。

          南城市佐敷字小谷の石畳道(1)


          南城市佐敷字小谷の石畳道(2)


          南城市佐敷字小谷の石畳道(3)


          南城市佐敷字小谷の石畳道(4)



          琉球竹を使ったバーキ(竹細工)は小谷の特産品でした。そのバーキを糸満で売るために通った急斜面の道がジャンクビリ。歩く人がいなくなり、草木に埋もれていましたが、地元の人達が復活させたのです。

          かつてのバーキ屋。



          商品を入れるのもバーキ。



          運ぶのもバーキ。



          バーキはいくらでも必要でした。


          ここは小谷集落のタカンリ。毛あしびの場所だったそうです。





          ジャンクビリの入口はその裏手にありました。



          沖縄ではジュゴンをジャンと呼ぶので、ジャンクビリはジュゴンが見える坂道の意味かもしれません(が、たぶん違う)。

          斜面を真っ直ぐに上ります。



          道が分かれました。



          正解は直進のはずですが、左も行ってみたい。



          歩きやすい道です。

          うわっ!!

          何ですかね、これは。



          ガジュマルの根がサキシマスオウみたいになってます。

          その先は、



          お墓でした。



          線香がついたままだったので、さっきまで墓参りの人がいたようです。


          元の道に戻ります。



          しかし、何でこう坂道が好きなのかっちゅうことですわ。特に、これまで歩けなかった坂道が歩けると聞けば、歩かないと申し訳ない。

          話は変わりますが、今日のNHK沖縄はブラタモリ5本立て(笑)

          長崎だけ観ましたが、タモさんが言うには「坂道が大好きで、平らなところには何の興味も無い」と。

          そんな人を「段サー」と呼ぶそうで、先日のikokaさんのコメントがよくわかりました。


          ジャンクビリに戻ります。



          お墓との分岐の後は、やはり歩く人が少ないのでしょう。再度、自然に戻りつつあります。

          地面には石畳のように石が埋まっていますが、これは滑り止めですね。





          おお。大城の歩道橋が見えました。



          坂の上に到着です。



          この歩道橋は、ユインチホテルの前の道を北に1、2キロの所にあり、景色が良いことで有名です。



          ジャンクビリの入口は車道と歩道橋の間を入ったところです。

          そして、歩道橋からの眺め。




          上った坂道は下りないといけません。

          これはあまり楽しくありません。ただ下りるだけ。

          向こうにゴールが見えてきて、



          あと少し。



          到着しました。




          上りが寄り道も入れて15分。下りが5分でした。

          小谷集落と右上に歩道橋。奥にユインチホテル。




          なお、ジャンクビリはくびれてませんでした。


          何処のグスクか?

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            ここは那覇市内某所。初めて見る城壁です。



            城内への入口。



            正面から。



            城壁が描くカーブ。



            さて、ここは何処?




            これはグスクの城壁ではなく、金城ダムの展望広場です。




            オーバースペックとちゃいますか?

            金城ダムは堰堤の上を歩くことができて、その先には展示室があります。ダム湖を一周する遊歩道があり、東屋風の展望台が数ヶ所。

            それで充分でしょ。


            そこに城壁風の展望広場を造る必然性がありません。かつて、この場所にグスクがあったなんて、聞いたことがありませんからね。



            こんなお金があるのなら、ヒジ川ビラの石畳道を補修するとか、ヒジ川橋の除草をするとか、ヒジ川橋から識名園までの道を整備するとか、元からあったものを維持することに使っていただきたい。

            ほんまに、沖縄の行政は破壊と新築が大好きで、今あるものを維持しようとしません。

            この城壁風展望広場を訪れた人に何を語ればよいのか。私は何も思い付きませんよ。


            佐敷のテラス

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              南城市佐敷に絶景ポイントがありました。その場所に立ち、思い付いた言葉が「Terrace」。ホテルの名前みたいですが、そこはまさに、テラスと呼ぶに相応しい場所でした。

              Google earthで見た南城市。



              知念半島が、グッと中城湾に突き出ていますから、半島の見晴らしのきく場所であれば、写真の範囲の海が一望できるのです。

              その場所の一つがここ。



              北側が佐敷平野。南側が丘陵地で樹木帯が斜面です。その丘陵地の北端に丸い広場が小さく見えてますね。

              そこが「Terrace」。

              パノラマ写真を撮りました。



              しょ、ショボッ!!

              なんですかねぇ、これは(泣)。

              あの素晴らしい眺めが、なんでこんなことに。

              カメラがショボいと言うよりは、人間の眼の性能がいいんだはず。信州を旅行し、美しいアルプスをパチパチ撮影し、それをプリントした時の絶望感に似ています。

              では、左手から4枚の写真に分けてみましょう。

              与那原



              中城



              北中城



              勝連



              あかんわぁ。て言うか、もう写真はエエわっ!!


              道順を説明しますから、だまされたと思って行ってみて下さい。

              県道86号線をニライカナイ橋に向かって走ります。右手に沖縄刑務所が見えたら、ややスピードダウンして下さい。

              県道が大きく右にカーブします。その先を右折したら「カフェくるくま」です。くるくまに入る道の少し手前に左に下りる道があります。



              そこを佐敷に下りるとみせかけて、左斜めに入ります。つまり、風力発電の風車に向かうのです。

              こんな道を進みます。



              すると広場に着き、こんなテーブルが設置されています。



              お待たせしました。このテーブルの向こう側が「Terrace」です。


              ここは手登根の「アカバンタ」。

              ウチナーンチュでも、この場所を知ってる人はごく僅かでしょう。

              かつては知念から佐敷に向かう近道として往来があったそうですが、交通が便利になるにつれ放置され、つい最近まで草木が茂り、人が入れなかったようです。

              それを手登根集落の皆さんが、かつての絶景ポイントを復活させようと、整備されたとのこと。


              ううっ。

              だっ、誰か連れて行って、この感動を共有したい。

              「あら、いい景色ね。じゃあ、くるくまに行きましょ。」

              って言われたらショックだけど(笑)


              ガジャンビラの歌碑(2)

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                ガジャンビラ公園にある、美空ひばりさんの歌碑。



                「花風の港」って言われても、聞いた覚えが無い曲だなぁ、と思ってたら貴方、いきなり美空ひばりさんが歌い始めたので、腰をぬかしそうになりました。

                ありゃ、何だこれは。



                ここに立つと音楽が流れます。

                「いっ、いや、そんな。私はたまたま立ってしまって。わざわざ歌っていただかなくても。あっ、ちょっと横にズレましょうね。」

                と左に半歩動きましたが、始まってしまったものは止まりません。

                まあ、私が歌ってくれと頼んだカタチですから、最後まで聞きました。


                せっかく、美空ひばりさんに歌っていただいたのですが、知らないものは知りません。

                そこで、いつ頃の歌なのか調べてみました。

                1967年から1976年にかけて、美空ひばりさんは「歌こそ我が命」というアルバムをシリーズで毎年発売していて、「花風の港」はその第七集「歌こそ我が命 『ふるさと』」に収録されていました。

                美空ひばりさんの「ご当地ソング」を集めたアルバムで、その中に、沖縄の曲を作って収録したのですね。発売は1973年。沖縄の本土復帰の翌年ってことが関係している気がします。これまで聞く機会が無かったのは、シングルでは発売されてないからのようです。


                ともかく、美空ひばりさんの持ち歌の中で、沖縄に関係する曲は「花風の港」だけだそうで、だから、歌碑を作りましたってこと。

                それが何でガジャンビラ公園なのかと言えば、港が見えるからなんでしょうね。

                なんだか、唐突感がありますよね。


                元歌になった「花風節」の現場は三重城ですから、美空ひばりさんは対岸のガジャンビラってことで、まあいいかってことにしておきましょうね。


                あっ、集金に行かないと(笑)


                小学一年生の標語

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                  大里北小1年、いは ゆうき君。



                  はやね・はやおき・あさごはん・あさうんちで ぱわーぜんかい!!!


                  素晴らしい!!

                  ”あさうんち”のひと言が無ければ、この作品が陽の目をみることは無かったでしょう。


                  市場で働く私は、朝4時半に起床します。早起きなので、ほっといても早寝です。

                  そして、”朝ご飯”と”あさうんち”のどちらを重視するかと言えば、それはもう圧倒的に”あさうんち”。その成果でその日一日が決まります。


                  「早寝・早起き・朝ご飯」は文科省(厚労省だったか?)が推進している、国民啓蒙活動の標語でしたね。


                  「え〜、ゆうきぃ。あさうんち〜、ギャハハ〜。」

                  と笑う生徒達の声に挫けず、伝えるべきことを伝えたゆうき君は立派です。

                  一方、そうした声を気にして、伝えなかった文科省(厚労省だったか?)。

                  直ちに南城市大里嶺井に来て、ゆうき君に学びなさい(笑)。


                  おもろまちの高層マンション

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                    おもろまちの高層マンションが完成しました。



                    既に入居済みの西棟と、今回完成した東棟。いずれも30階建で、両棟合わせて676戸。

                    地上げとハコモノ建設がライフワークの那覇市長さんは、市長室からこの景色を眺め、ウットリなさってることでしょう。


                    さて、この高層マンションはおもろまちの南端、シュガーローフのすぐ横にあります。



                    地面にいても眺めの良い場所ですから、低い階でも眺望は良さそうです。

                    高台の標高を階数換算すると10階分に相当するそうで、最上階なら40階並の眺望が得られるということ。那覇市街の美しい夜景はもちろん、西には東シナ海から慶良間、東には首里城が見えることでしょう。

                    おもろまち駅から徒歩5分で、サンエーメインプレイスが目の前。利便性も申し分ありません。


                    販売価格は2千万円から1億2千万円で、坪単価は160万円。価格の高い部屋ほど人気で、最上階の競争率は3倍だったそうです。そして、お金持ちでクジ運の強い人は何戸も買い、販売即完売だったとか。


                    確かに、誰もが住んでみたいでしょうね、と思ったら、オーナーの約4割が本土在住者だそうです(笑)。

                    本土在住のオーナーの大半と、沖縄在住のオーナーの何割かは投資目的でしょうから、空き家にしておくか、賃貸するんでしょう。

                    つまり、自分は住まないってこと。

                    一度に672戸も住宅が増えましたが、沖縄の住宅事情には影響を与えない、数百億のお金が右から左へ動いただけって話でした。


                    エーキンチュの邸宅

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                      このお宅は、糸満市兼城の大城家。糸満市の文化財に指定されています。



                      100年前に建築された住宅は、今も現役です。使われた建材は総ヒノキではなくて、総チャーギ。

                      チャーギは家具や仏壇に使用される高級木材ですが、それで家を建てたんですねぇ。もちろん、釘はなし。

                      チャーギは硬くて湿度にも強く、シロアリにも負けません。そりゃあ、100年経っても人が住めるはずです。

                      そして、見事な石垣。




                      玄関に回ってみます。石垣とその奥にヒンプンが。いずれも重厚感があります。



                      と思ったら、これはヒンプンではありませんね。



                      奥へ進むと、あぁ、やっぱり。石垣が二重じゃないですか。



                      これじゃあ、まるでグスクです。


                      そして、内側の石垣が精緻なこと。



                      石の表面を削り、接着面の隙間を無くす工法ですが、よく見れば、わざわざデコボコを残して接着させています。

                      100年前と言えば、藁葺き屋根の時代です。大城さんはイシゼーク(石大工)に、いったいいくら払ったんでしょうね。余計なお世話ですけど。


                      糸満と聞けば、西崎の埋め立て地あたりを思い浮かべますが、元はと言えば、そこは海。

                      いまや内陸部となった兼城集落ですが、実はそこが糸満の中の糸満。大城家のようなお金持ち(エーキンチュ)を生み出す繁栄が、かつての糸満にはあったと言えるでしょう。


                      またいずれ、このあたりをじっくり散歩してみます。


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