失敗の菜の花畑(^^)

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    豊見城市翁長で菜の花が満開になり、近くの保育園から園児達がやって来て歓声を上げたとニュースが伝えてました。

     

    61歳のオヤジも負けずに歓声を上げたいと思っていたら、偶然、その近くに仕事の用事ができました。これは行くしかありません。

     

     

      

    「ニュースで菜の花畑の詳しい場所までは伝えないでしょ?。豊見城市翁長だけで畑の場所が分かるの?」

     

    と不思議そうな顔をしていただきたい(笑)

     

     

    それが分かるんだよなぁ。自画自賛で恐縮ですが、先日のヒスイカズラもこの日の菜の花畑も、場所を知らない私が最短ルートで到達しています。その能力を土地鑑(勘)と呼びます。

     

    私は以前、ジョン万次郎の足跡を追って翁長集落を歩いてるので、集落の全体図が頭にあり「おそらくあのあたりだろうな」と見当がついてたんです。

     

    私があちこちの集落をウロウロするのは、どうやら、各地で土地鑑を養おうとする行為のようです。もちろん、その時々で石畳や獅子や井戸などの目的物はあるものの「それを探しているだけではないな」と感じていたことがクリアになりました。今更ですが(笑)

     

     

    さて、菜の花畑に到着し写真を撮っていると、顔も体格もポパイのブルートみたいなハルサーがやって来て、

     

    「え〜、何してるぅ」

     

    と嬉しそうにしています。

     

    ブルートにとって私の行為は「可愛いお嬢ちゃんを写真に撮ってもいい?」みたいなもの。

     

    そして、

     

    「こんな失敗した畑を写真に撮ってから(^^)」

     

    と、また嬉しそうです。

     

     

    最初の写真で、菜の花畑の向こうにプレハブ風の建物が見えますね。あそこは昨年秋の豊見城市長選で(当選した)候補者の選挙本部だったそうです。そのため、選挙の告示前から投票日まで、建物の内外に煌々と照明が灯り、消えることが無かったと。

     

    電照"菜の花"はスクスクと成長し、狙っていた収穫(出荷)のタイミングから大きく外れてしまったと。

     

    だからブルートにとっては大失敗だったんです。

     

     

    私が保育園に納品してる菜の花がこちら。

     

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    花を咲かせたということは、収穫(出荷)を諦めたということ。収穫(出荷)時期が外れてしまうと稼ぎにならず、何もしないほうがマシとのこと。花が落ちたら種を集めるそうです。

     

     

    市長選挙が無かったら、菜の花は収穫されて当然花は咲かず、園児達やオヤジ(私)が歓声を上げることはありませんでした。

     

    私が「地域の人達が春の風景を楽しむことができたし、それがニュースにもなった」と慰めると、ブルートは「まあな」って顔でした。

     

    スマホのカメラでは上手く撮れませんでしたが、この菜の花畑周辺には無数の蝶や蜜蜂が集まっていて、その様子はまさに狂喜乱舞。ハルサーブルートの失敗を最も喜んだのは彼らだったと言えるでしょう。

     

     

    場所は国道331号線(糸満街道)の翁長(北)信号を東に入った耕作地です。信号から100mほどで道が二つに分かれ、左に進むと右手に、右に進むと左手に満開の菜の花畑が見えます(^-^)/


    国場の散歩(24)龍舌蘭(リュウゼツラン)

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      読者のmersyさんからコメントがありまして、私の住んでる国場で龍舌蘭という花が咲いてるとのこと。ナイチの人に町内のニュースを知らせてもらえるなんて、妙な話ですね(笑)

       

      何しろ町内なので、場所はすぐに分かりました。

       

       

      見たことも聞いたことも無い花です。龍の舌とは根元の葉っぱのことでしょう。しかし、どう見ても蘭の仲間には見えません。

       

       

      メキシコ原産だそうで、日本では見られないと言うか、私の印象としては地球外生物の雰囲気です。

       

       

      崖地のコンクリート製ポットに7、8株が並んでましたから、どなたかが植えたものでしょう。3株が開花し、そのうち1株は花が落ちてました。

       

      英語名はCentury plantで百年に一度咲く花。それほど開花が珍しいとことを意味しますが、正しくは数十年かけて成長し、最後に一度だけ開花するようです。

       

       

      那覇市歴史博物館のライブラリーに、戦前に撮影された龍舌蘭の写真が数枚ありました。沖縄でも知る人ぞ知る花なのかもしれません。

       

       

      龍舌蘭の場所は国場十字路から沖大方面に坂を上る途中のS字。この写真の左手の崖地です。車から降りなくてもよく見えます。

       


      ヒスイカズラのブルー

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        この写真は凄いなぁ。よく撮りましたねぇ。

         

         

        英国人カメラマンが撮った奇跡の(執念の)1枚。ダイブする翡翠(カワセミ)のクチバシが水面に接した瞬間です。

         

        翡翠を「カワセミ」とも「ヒスイ」とも読む理由を知りたくて、それを調べてる途中で偶然見つけた写真でした。

         

         

        昨日、私が見たヒスイカズラ。

         

         

        この花の美しいブルーは、宝石のヒスイよりも、カワセミの背中に近いと思いません?

         

        私の調査によれば(笑)、かつてのヒスイは別の名前で呼ばれていましたが、その色が翡翠(カワセミ)の背中に似ていたので、翡翠を「ヒスイ」と読み変えて(音読みして)改名したと。

         

        そうでしょう、そうでしょう。やはりヒスイカズラのブルーはカワセミの背中なんですよ。

         

         

        昨日の日曜日。私はヒスイカズラを見ようと思い立ち、向かうべき場所を探しました。東南植物園などで咲いてることは知ってましたが、自宅から近くて無料の場所が望ましく、南城市佐敷手登根の某農園に向かったのでした。

         

        それではご覧下さい。

         

          

          

        この動画を農連のオバぁ達に見せたところ、これが大好評で、私はまるで自分が花を育てたかのような顔で説明を加えたのでした(^^)

         

         

        この農園の主は那覇在住の男性で、週に3日、ここへ通っているそうです。この日はたまたま来られてました。

         

        農園主のお話です。

         

        (1)定年退職を機に本格的に農園を始めた

        (2)今、力を入れているのはバナナ栽培

        (3)ヒスイカズラは苗を植えて3年目に開花した

        (4)農園の周辺にはカズラの仲間が数多く自生しているので、ヒスイカズラの栽培に向く場所だと思っていた

        (5)ヒスイカズラの受粉はコウモリが仲介すると聞いたので、コウモリが好物にしているスモモを近くに植えた

        (6)今年、ヒスイカズラの開花のピークは3月20日頃だった

        (7)落花してもなかなか萎えないので、地面に落ちた花もまた美しく、落花が始まるのを待って来る人もいる

         

        ヒスイカズラの花は異形と言えるでしょう。そして勾玉のような形を保つために花は丈夫です。ところがその花の接着面の強度が弱くて、花が元気なうちに落下するのではないかと。地面に落ちた花のカーペットが美しいのはそのためではないかと(私の観察によればね)。

         

         

        農園主は見学者を歓迎している様子でしたが、農園主不在の時、勝手に農園に入って良いのかと問われれば、常識的には駄目でしょう。私は道路から花が見えると思ってましたが見えず、農園主がいてくれてラッキーでした。

         

        私の独り言です。農園入口からすぐ近くの作業小屋を取り囲むように、ヒスイカズラの棚が設えてあります。独り言終わり(笑)

         

         

        この農園は商業施設ではないので場所はヒントだけにします。今シーズン、行ってみたい方は私のメールアドレスへ一報下されば、地図を返信します。次の日曜日なら、まだ楽しめるでしょう。

         

        (ヒント)

        最寄りのバス停は第2手登根。そこから手登根集落を抜け、背後の丘へ続く急な坂道を途中まで登ります。バス停から約1200m先の左手が農園入口で、車2台分の駐車スペースがあります。なお、坂道を登り切った丘の上には、風力発電機や刑務所や自衛隊基地やカフェくるくまがあります。

         

        土地勘があり、探すことが苦にならない人なら、これで行けるはずです。はい(^^)


        「ハイビスカスの花が赤く燃える」か?

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          近所を歩いてて見つけたハイビスカスの花。まあ、探さなくてもいくらでも咲いてますが(^^)

           

           

          沖縄県の市町村は41ありまして、ハイビスカスを市町村の花に指定しているのは、今帰仁村、沖縄市、嘉手納町、中城村、与那原町、南城市、南大東村の7ヶ所。その人気の高さがわかります。人気が拮抗しているのはブーゲンビリア。

           

          沖縄を象徴する花ですから、観光客の皆さんが思わず写真に撮りたくなりますね。土産物屋へ行けば、Tシャツからワンピースから、ハイビスカスが溢れてます。

           

           

          沖縄ではハイビスカスをアカバナーと呼び、後生(グソー)花とも呼びます。後生花はナイチの彼岸花と同じ位置づけです。

           

          また、ハイビスカスは一日花なので、目の前で咲いてる花は、明日になると咲いてません。

           

          そうしたことから、ハイビスカスの花からトロピカルな、情熱的な印象を受けると共に、不憫な(チムグリサン)、淋しい(シカラーサン)印象を受けることもあります。

           

           

          このお宅のハイビスカスはキチンと手入れされていて、上等です。

           

          緑色の固い蕾、ピンク色の柔らかい蕾、明日は咲きそうな蕾、今咲いている花と、上手くバランスがとれていて、見るからに元気です。明日来ても、明後日来ても同じような写真が撮れますね。


          ガジュマルは妖しいのか?

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            壺川東公園近くのガジュマルです。


             

            大きなガジュマルの樹齢は、「うっわぁ〜!!」で200年以上、「うわぁ」だと100年くらい(笑)

             

            市営住宅の中庭でシンボルツリーの役割を果たしている壺川のガジュマルは、戦後生まれだろうと思います。市営住宅にとっては既存木。

             

             

            ガジュマルの大きな傘は広い木陰を作り、陽射しが届かない快適な空間を形成します。

             

            ところが夜になると、ガジュマルは妖しい雰囲気になるのよね。その妖しさは、クネクネと絡み合う幹や根によるものと言えそうです。

             

             

            幹が崖にへばりつくし、根が岩の裂け目に入り込んだり、大きな岩をまるごとグリップしたり、他の大木に抱きついてシメコロスこともあります。まるで、ガジュマルに意思があるかのようです。

             

            あぁ、それからガジュマルは歩きます。(→歩くガジュマル

             

            ガジュマルの枝から垂れ下がった気根は、やがて地面に到達し、地中に根を生やします。そこに地下水が流れていたり、土地が肥えていたら、気根はスクスクと成長し、やがて幹になります。そして、その幹がガジュマルの中心になり、元の幹が枯れたら、ガジュマルは5mほど移動したことになります。だから、ガジュマルは四方に気根を垂らし、より良い環境を求めて歩いてると(^^)

             

             

            夜のガジュマルを不気味とか怖いと言う人もいるでしょう。気持ちは分かりますが、私の感覚とやや違います。唐突ですが、具志頭の夜。大きなガジュマルの下で唄う幸人が良かったぁ。

             

            やえせを楽しまナイト

             

             http://coralway.jugem.jp/?eid=4114

             

            幸人の唄・三線とサトウユウ子さんのピアノと。それらを包み込むガジュマルは神々しくさえありました。

             

             

            畏敬の念をいだかせるような、ガジュマルのたたずまい。だけど、妖しくもある。こうしたガジュマル独特の雰囲気を表現しているのが、妖精キジムナーと言えるでしょう。 

             

            ガジュマルにキジムナーを住まわせたウチナーンチュのセンスは素晴らしいと思います。ガジュマル以外の木にキジムナーは似合いませんからね。あっ、ブナガヤとも呼びます(^^)


            アマミノクロウサギは元気にしてるのか

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              政府は「奄美大島、徳之島、沖縄本島北部、ならびに西表島」をユネスコの世界自然遺産に推薦(再推薦)することを決めました。

               

              アマミノクロウサギ、ヤンバルクイナ、イリオモテヤマネコ。厳しい環境の中、よく生き抜いてきたものです。

               

               

              奄美大島のマングースは完全駆除が間近だそうです。かつては1万匹はいると言われてたものが、一昨年の駆除数が10匹で昨年が1匹。マングースを持ち込んだ私達人間は、どうにか一つの責任を果たしました。

               

              クロウサギにとって新たな脅威はノラネコと交通事故。ヤンバルクイナと同じですね。ノラネコは人間が捨てたものなので、これらもまた人間の責任です。

               

               

              さて、クロウサギは徳之島にもいるそうです。

               

              徳之島は南北に森があり、それぞれにクロウサギが住んでいますが、最近の研究により、両者が一切交わっていないことが分かりました。しかも過去数千年にわたって。

               

               

              南北の森の端っこはわずか1km離れているだけ。広い道路が通ったり、人間が住んだりで分断されたのなら納得しますが、過去数千年って、どういうことなんでしょ。

               

               

              琉球弧の島々が島になったのが100万年前。島に取り残されたクロウサギは、以来、島の固有種として生き延びてきました。人間はと言えば、沖縄本島で1〜3万年前の骨が発掘されている程度ですから、クロウサギにとって、人間が現れたのつい最近のことです。

               

              沖縄の古代史に縄文時代や弥生時代は無く、両方合わせて貝塚時代。農耕を始めたのは、アマミキヨが沖縄に降臨した(?)以降なので、2千年ほど前のことです。だから、数千年前の徳之島には、南北の森を分断するような畑はありませんでした。

               

               

              貝塚時代の沖縄で、人間は狩猟で生活をしていました。貝を装飾品としてヤマトと交易していたそうですから(貝の道)、それなりの社会は形成されていたんでしょう。黒潮に乗って貝を運ぶのはいいとして、帰りはどうしたんでしょうね(^^)

               

              結局、私の知識では徳之島のクロウサギが南北に分断された理由は見当もつきません。でもまあ、100万年も島で暮らしているクロウサギを絶滅危惧種に追い込んだのは人間です。数千年前にクロウサギにとってよくないことが起きたのなら、それは人間が何かをやらかしたような気がします。


              大宜味村の猪垣(2)

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                猪垣に切れ目があると、そこから猪が侵入します。だから、猪垣の先端は海に突っ込ませるか、延々と繋げるかのいずれか。ヤンバル西海岸の猪垣は、大宜味村から国頭村の辺戸岬近くまで繋がっていたようです。総延長距離は40km。

                 

                驚きますねぇ。広い畑に何を植えていたんでしょう。

                 

                 

                1605年に中国へ渡り、沖縄にサツマイモの苗を持ち帰ったのは野国総管でした。総管は進貢船乗組員の役職名です。

                 

                サツマイモの栽培はまたたく間に、沖縄全島に広まりました。ヤンバルに猪垣が築かれたのはその頃だと言われています。今から400年も前のことです。

                 

                ウチナーンチュはサツマイモを気に入り、以降、それを主食にしました。て言うか、それ以前は何が主食だったのか思いつきません。そして、ウチナーンチュ以上にサツマイモを「たまらん美味い」と思ったのは猪でした(笑)

                 

                 

                今、大宜味村に残る猪垣は、その頃に築かれたもの。以降、何度も改修を受けていますから、石はほとんど入れ替わったでしょう。最後の改修は、戦中、戦後の食料難の時期でしたから、今の猪垣は80年ほど前のものと言えます。

                 

                 

                私が沖縄に来た頃、新聞に載った100年前の猪垣

                 

                 

                この猪垣は国頭村奥集落の山中に現存しています。何とか場所を特定して、次の機会に訪ねるつもりです。

                 

                 

                猪垣に満足し登山口に戻ったら、そこに立っていたのは夫婦喧嘩した奥さんでした。

                 

                C「あらまぁ、大変でしたね(笑)」

                 

                奥「私、夫に捨てられちゃいました」

                 

                C「アハハ。二人で同じこと言ってる(笑)。旦那さんは塩屋富士に向かわれましたよ」

                 

                奥「笑味の店でお昼ご飯の予定なんですけど、どうなっちゃうんでしょ(笑)」

                 

                C「うわっ、携帯が繋がってる間に待ち合わせ場所を決めないと。旦那さんはイギミハキンジョウに出て来ますから、そこで待つか、こちらへ戻って来いと言うか」

                 

                奥「そうですね。まったく何であんなに一生懸命なんだか」

                 

                C「(笑)」

                 

                 

                イギミは大宜味。ハキンジョウは猪垣を抜ける時の門です。

                 

                 

                イギミハキンジョウにも展望台があり、大宜味村の海岸からオクマビーチあたりまでの眺めが得られます。

                 

                (終わり)


                大宜味村の猪垣(1)

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                  休みを取ってヤンバルに来ています。

                   

                  写真は、塩屋湾北岸の斜面中腹にある六田原展望台からの眺め。手前が塩屋湾で、奥に本部半島。その右手に古宇利島、古宇利大橋の先に伊江島が見えます。

                   

                   

                  展望台の裏山には古い猪垣(シシガキ)が残っていて、その猪垣に沿って散策道が整備されています。

                   

                  森の入口に設置された案内板と手前にイノシシ。

                   

                   

                  森に入りました。

                   

                   

                  階段が急なこと。キツいわぁ、これ(^^)

                   

                   

                  20、30分登った所で、私と同年代の夫婦が喧嘩してました(笑)。気まずい空気の中、夫婦を追い越し、休憩所で水筒のコーヒーを飲んでいると、旦那が一人で登って来ました。(入口からここまで600m)

                   

                   

                  旦那「いやぁ、捨てられちゃいました」

                   

                  C「あらぁ、奥さんは引き返されたんですか」

                   

                  旦那「ええ。でもせっかく来たんだから、もう少し歩きたいし」

                   

                  C「塩屋富士まで、ここで半分くらいですよ」

                   

                  旦那「そうですか。じゃあ、そこまでは行こうかな」

                   

                  気楽な森の散歩を予想していた奥さんが「話が違うじゃないのっ!!」。で、旦那が「じゃあ、お前は引き返せっ!!」(笑)

                   

                   

                  延々と続く猪垣。大宜味村ではヤマシシガキと呼ぶようです。

                   

                   

                  「よく築いたなあ」と言うほかありません。先人の苦労には頭が下がります。

                   

                   

                  大宜味村の猪垣は塩屋湾の最深部を起点に、西海岸の根路銘まで約4キロ続いていました。その大半は開発などにより失われましたが、塩屋富士周辺の山中に、やや崩れながらも残っています。

                   

                   

                  ところで皆さん。山奥に築かれた猪垣を見て、「こんな山奥じゃなくて、もっと畑の近くにあればよかったんじゃないの?」と思われたかもしれません。それでは発想が逆。ここまでが畑だったんです。

                   

                   

                  次の写真はヤンバル西海岸の風景。

                   

                   

                  このあたりの集落は次のような要素で構成されています。

                   

                  海から順に、リーフ、イノー、浜、防風林、集落、道路、水田、畑、段々畑、焼畑、猪垣。猪垣の向こうを奥山と呼びました。

                   

                  琉球王朝の時代。王府(その背後の薩摩)から酷税を課せられたため、農民はできるだけの作物を植え、収穫するしかなかったということ。

                   

                  上の写真の尾根のやや下に、延々と猪垣が築かれました。猪垣までが畑だった頃、海から見ると山の尾根に連なる猪垣が、万里の長城のように見えたそうです。

                   

                  (続く)


                  そもそも珊瑚って移植できるのか?(3)

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                    JUGEMテーマ:地域/ローカル

                     

                    投稿が長くなってしまったので、そろそろ私の結論に入ります。

                     

                    「そもそも珊瑚って移植できるのか?」

                     

                    この投稿はNHKの日曜討論で、「辺野古の基地建設について、沖縄県民の理解をどう得るのか」の問いに対して、安倍首相が、普天間飛行場の危険回避を述べると共に、土砂が投入されている辺野古の映像を示しつつ「あそこの珊瑚は移してる」と発言したことが発端です。

                     

                     

                    「あそこの珊瑚は移してる」の後は、口にはしませんでしたが「だから(珊瑚は)大丈夫」と続くのだと思います。

                     

                    植え付けした養殖サンゴの生存率は30%。これを基に「珊瑚は移植できる」と言えるか否かは議論の内容によりますが、少なくとも「大丈夫」とは言えない数値です。

                     

                    安倍首相は「あそこの珊瑚は移した」と間違った発言をした上に、移植によって「珊瑚は大丈夫」と重ねて間違いを犯しました。つまり、「沖縄県民の理解をどう得るのか」という問いに答えようとせず、適切・適法に埋め立てを進めているということを、間違った説明で、自分の支持者達にPRしたってこと。

                     

                     

                    なお、植え付けと移植は異なります。植え付けは育成施設で養生した珊瑚を海に戻すもの。一方、移植は、やむを得ず珊瑚の場所を移動させるもので、珊瑚を増やしたり珊瑚礁を修復することではありません。

                     

                    菅官房長官は「環境監視等委員会の指導、助言を得ながら自然環境や住民の生活環境に最大限配慮し、工事を進めている」と述べましたが、これも「だから(珊瑚は)大丈夫」。

                     

                    埋め立ての免罪符になる水準で、珊瑚を移植することは無理なんです。

                     

                    (終わり)


                    そもそも珊瑚って移植できるのか?(2)

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                      JUGEMテーマ:地域/ローカル

                       

                      幻想的な珊瑚の産卵。運良く目撃できたダイバーは思わず涙ぐんでしまうそうです(^^)

                       

                       

                      初夏の満月の夜(の前後)、シュノーケルで海面にプカプカ浮かんでるオヤジは想像できませんから、私には縁が無い光景でしょう。

                       

                      このブログでは、私を「Cさん」と呼んでもらってます。これはハンドルネームであるcoralway(珊瑚の道)のC。琉球王朝時代、主要な街道には珊瑚(の死骸)が撒かれ、石畳道の次に上等な舗装が施されました。

                       

                       

                      産卵されたバンドルは、卵と精子のかたまり。海を漂う数日の間に、同種の珊瑚のバンドルと出会って受精し、プラヌラ(幼生)になります。DNAの調査により、沖縄本島に生息する珊瑚の多くは、慶良間の珊瑚から産まれたプラヌラが着床したものだと判明しています。慶良間の海が珊瑚の供給装置になっているんですね。

                       

                      海を漂うプラヌラは、単にプカプカしてるのではなく、珊瑚が暮らせる環境を認識し、そこへ着床するそうです。最近の研究で、着床すべき場所を知らせるシグナルが、自然界に存在することが明らかになっています。

                       

                       

                      遠い昔に、珊瑚はイソギンチャクから分岐し、これまでタフに生きぬいてきました。台風に揉みくちゃにされようが、鬼ヒトデに食われようが、相手が自然ならば珊瑚が減ることはありませんでした。

                       

                      現在、珊瑚がどんどん減少しているのは、人間から直接(赤土の流出など)、間接(温暖化など)に、ダメージを受け続けていることによります。

                       

                       

                      さて、沖縄では珊瑚の養殖が盛んに行われています。珊瑚の断片、または珊瑚の幼生を採取し、育成施設で養生した後に海に植え付けます。その時、珊瑚の生存率は30%程度とのこと。現在の方法で珊瑚の減少に歯止めをかけることができると考える研究者は一人もいないそうです。

                       

                      では何の為の養殖かと言えば、まず、珊瑚が生息するメカニズムを解明し、植え付けた珊瑚の生存率を上げること。次に、植え付けた珊瑚が活発に産卵し、珊瑚自らが増殖する環境を作ること。ところが、それを邪魔しているのが人間です。

                       

                      結局、珊瑚にダメージを与えている人間の行為を改めない限り、珊瑚は増えないのです。

                       

                      (続く)


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                      念願の沖縄生活を始めて10年になりました。
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