民謡で今日拝なびら

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    「民謡でちゅーうがなびら」と読みます。

    琉球放送のラジオ番組で、「拝なびら」を直訳すると「お目にかかります」。番組のタイトルとしては「民謡でこんにちは」くらいの意味でしょう。

    1961年に始まった超長寿番組で、放送時間は平日16時からの1時間。

    放送内容は、日替わりのパーソナリティが葉書によるリクエストに応えて、沖縄民謡5〜6曲を流すもの。このシンプルさが長寿の秘訣と言えるでしょう。

    番組開始以来、ず〜っとパーソナリティを務めているのが八木政男(はちきまさお)さん。



    沖縄芝居の役者さんで85歳。八木さんを知らないウチナーンチュはいないでしょう。今も現役で、舞台や映画で活躍されています。

    私が八木さんを初めて見たのは、新春民謡紅白の審査員席。ナマではなく、10年くらい前、大阪の大正駅前で買ったVHSのビデオでした。

    美しいウチナーグチを話す人だなぁ、と思いました。アナウンサーのような発音ではなく、親しみのある暖かな美しさ。


    昨日の独演会。進行役が八木さんでした。出演者が一人ですから演目の間が空きます。その時間に舞台に上がってユンタクし、観客の熱気を「保温」する役目です。

    緊張と緩和。場内は大いにわきました。


    今年の5月、嘉手納町に沖縄演芸学園が開校し、八木さんが学長に就任されたそうです。

    八木さんのコメントです。

    「芸大ができて組踊や琉舞の若手は育っているが、芝居ではウチナーグチの基礎が十分でない。ウチナーグチは沖縄の肝心(ちむぐくる)だ。今やらないと(ウチナーグチの話芸が)なくなってしまう」


    「民謡で今日拝なびら」は、構えて聴くのではなく、何か用事をしながら聴く番組と言えるでしょう。

    日常生活に溶け込む番組。そこから流れるウチナーグチ。

    私は決して熱心なリスナーとは言えませんが、それでもある日、この番組が流れなくなったとしたら、その喪失感は半端ではないでしょう。

    それを想像すると、番組に週2回の出演を続け、ウチナーグチを伝承しようとする八木さんの熱意、あるいは危機感が伝わってきます。


    羽地朝秀の改革(3)

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      羽地朝秀(1617-1676)による「羽地仕置」第4項の内容です。

      4.役人の不正を取り締まり、疲弊した農村の復興をはかるため農民にも開墾を奨励する


      当時の国の財政は極度に悪化し、人心は乱れていました。役人は不法な税徴収を行い、ワイロも横行していたので、嫌気が差した農民達は畑を捨て、その結果、農作物の収穫量が減り、国の収入は減る一方でした。

      朝秀は、従来の地割制度を改め、農民が自ら開墾した土地の所有や売買することを認めたので、農地は拡大し、農作物の収穫量が増えたのです。


      朝秀にとって追い風になったのは、儀間真常(1557-1644)が中国から導入した製糖技術でした。

      サトウキビから抽出した黒砂糖は、高値で売れに売れ、製糖は琉球の基幹産業となりました。その結果、琉球王府は莫大な借金を完済することにができたのです。

      更に、1605年に野国総管が中国が持ち帰ったさつまいもは琉球全土に広まり、農民を餓えから解放しました。


      羽地朝秀の改革は、琉球の基幹産業を交易から農業へ大転換することに成功したのです。

      今、沖縄の各地で見られるサトウキビ畑の風景もまた、朝秀の以降のものと言えますね。


      中山世鑑は、王命により朝秀が編纂した、琉球で初めての正史です。

      その内容は、朝秀が進めた改革のポリシーを色濃く反映しており、日琉同祖論と関係付けられた内容になりました。

      その中に、源為朝(1139-1170)の伝説が記載されたのですね。

      朝秀は500年前に生きた為朝の伝説を誰に聞いたのか知りませんが、琉球の伝統を否定する材料として都合が良かったのでしょう。


      繰り返しになりますが、為朝の伝説は歴史研究者の間では否定されています。付会の説であり、より分かりやすく言えばでっち上げ。

      朝秀の意図を理解せず、中山世艦から為朝伝説だけを取り上げることは、間違いです。

      運天に建てられた為朝上陸の碑。





      どんな意図があるのか知りませんが、史実と異なることを、さも事実であるかのように主張する姿勢はいかがなものかと思います。

      不快感がつのり、とても私は見に行く気にはなれません。

      (終わり)


      羽地朝秀の生家跡

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        羽地朝秀は羽地間切(現在の名護市)の按司の子孫にあたります。ここは首里大中町の生家跡。今は空き地です。



        生家までの道順と、付近の様子を紹介します。

        首里城から龍潭池の脇を抜けて、安谷川坂(アダニガービラ)を下ります。

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        安谷川は井戸の名前。井戸は今も残っています。

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        井戸に降りる石畳。

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        坂道の途中にある安谷川御嶽。

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        生家跡へは、玉那覇味噌醤油工場の角を左折です。

        工場の玄関と、

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        石垣。

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        この工場の隣が生家跡で、そこを通り過ぎると松山御殿です。

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        生家跡は空き地になっていますが、古都の景観が残る首里大中町は、散歩する価値がある町です。


        あっ、この劇場(映画館)も町内にあります。

        __.JPG

        (続く)


        羽地朝秀の改革(2)

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          羽地朝秀(1617-1676)の改革は「羽地仕置(はねじしおき)」に表現されています。それは、薩摩に支配されてしまった、琉球国のありかたを示したものでした。

          「羽地仕置」

          1.王家をはじめ庶民にいたるまで贅沢を禁じ、倹約を奨励する
          2.遊女あそびを厳禁し、風紀の粛正をおこなう
          3.神女や女官の政治的影響力を排除し、伝統的な宗教上の慣例を改める
          4.役人の不正を取り締まり、疲弊した農村の復興をはかるため農民にも開墾を奨励する
          5.士(サムレー)階層に諸芸を学ばせ、薩摩と交渉するには教養が必要であることを説く



          「羽地仕置」の第3項は政教分離。

          聞得大君を頂点とする神女組織を政治から遠ざけると同時に、不要と思われる祭礼を廃止しました。また、経費削減の観点から、国王の久高参拝などの行事も廃止しました。

          羽地の狙いは「神の国」から「近代国家」への変革。当然、守旧派からの抵抗がありましたが、それを抑え込むために羽地が持ち出したのが日琉同祖論でした。

          つまり、

          「ヤマトと琉球の祖先は同じ。琉球独自の伝統にこだわることはない。」

          と言うもの。

          羽地自身には、日琉同祖に対するこだわりは無かったと思いますが、従来の慣習を破壊し、国の制度を変える上で、都合が良かったのでしょう。


          話は少しそれますが、羽地の改革は一見、琉球の伝統破壊に見えますが、例えば、私達がイメージする琉球の伝統芸能は、そのほとんどが羽地以降のものです。

          例えば、組踊。

          玉城朝薫(1684-1734)は、1718年に踊奉行に任命され、中国からの冊封使をもてなすために、組踊を創作しました。「二童敵討」など、朝薫の五番はあまりにも有名です。

          また、組踊の始まりは、組踊を構成する古典舞踊や古典音楽の始まりでもありました。

          古典音楽の始祖と言われているのは、湛水流の幸地賢忠(1623-1684)。首里節、諸鈍節、作田節、揚作田節などは幸地の作で、野村流、安富祖流などは湛水流の分派にあたります。

          次に、エイサー。

          エイサーの原型に最も近い形式を継承しているのが平敷屋エイサーで、300年の歴史を有します。その300年前と言えば、丁度この時期にあたりますね。


          「羽地仕置」の第5項にある、士族が身につけるべき教養とは、ヤマトの教養を意味しています。

          これは、積極的にヤマトの文化を取り入れようとするもの。朝薫の組踊はヤマトの歌舞伎や能から強い影響を受けていますが、それは朝薫の嗜好だけではなく、琉球国の方針でもあったわけです。

          朝秀の改革は伝統破壊ではなく、リビルド。国の立場に合った伝統を新たに構築したと言えるでしょう。


          朝秀は「士族」の身分を再定義しています。それまでの士族が、自分の部下を勝手に士族に任命したことなどから、士族と平民の区別が曖昧になっていたのです。

          朝秀は全ての士族に系図を求め、琉球王府がその系図を認めた者を士族としました。つまり、琉球王府に仕えるのは個人ではなく家ということ。

          沖縄の門中制度はこの時に始まったもので、ウチナーンチュが系図を大切にする所以でもあります。


          軍事力ではまったく歯が立たないヤマトに統治された琉球国が、その国のありかたを考える時、日琉同祖論を持ち出し、ヤマトの伝統を積極的に取り入れ、一見、ヤマトに対する迎合とも見える姿勢をとるしかありませんでした。

          話は飛躍しますが、その行き着く先が、琉球併合や沖縄戦とするならば、あまりにも不条理と言うほかありません。

          (続く)


          羽地朝秀の改革(1)

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            JUGEMテーマ:地域/ローカル

            羽地朝秀(1617-1676)は、琉球王府最高位にあたる摂政の地位にあり、その任期は1666年から1673年までの7年間でした。


            羽地朝秀が政治、経済の大改革を断行した時代。琉球が置かれていた状況を整理しましょう。

            日本が鎖国し、明が海禁(自由貿易の禁止)していた時代、両国と通商が可能な琉球は、地の利を生かし、大交易時代を迎えていました。その交易範囲は東南アジア全域に及びました。まさに琉球王国は黄金時代を迎えていました。

            その権益を奪うために薩摩藩が琉球に侵攻したのは1609年のことでした。

            薩摩藩は3千人の兵を琉球に向かわせ、古宇利島に上陸したのが3月25日。翌26日、琉球軍との戦闘が行われましたが、実戦経験の無い琉球軍は完敗し、27日(あら、今日か!!)、運天港から上陸した薩摩軍に今帰仁城を占領されました。

            そして、4月3日。首里城に攻め込んだ薩摩軍に、琉球は降伏することになったのです。尚寧王はヤマトに連れ去られ、以降、琉球は薩摩から様々な圧力を受けることになりました。


            もう一つの重要な出来事は、明の滅亡でした(1644年)。

            明と良好な関係を築いてきた琉球は、その権益を失い、琉球の大交易時代は終焉を迎えたのです。

            交易による稼ぎを失い、薩摩に搾取され、琉球は踏んだり蹴ったりでした。

            国の財政は極度に悪化し、人心は乱れました。役人は不法な税徴収を行い、ワイロも横行していたので、嫌気が差した農民達は畑を捨て、都市部に逃亡しました。国の収入は減る一方でした。


            そんな状況の中、羽地朝秀はどのような改革を行ったか。

            結論を先に言えば、改革は成功し、琉球は国力を回復させたのです。

            (続く)

            「の」書きますか?

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              JUGEMテーマ:地域/ローカル

              「『の』書きますか?」と言われて。

              ウチナーンチュならば、すぐに連想するのが、あのお饅頭ですね。

              作家の平松洋子さんが、「まるでお日様に干したやわらかい布団のようななつかしさ」と表現した、あのお饅頭。

              材料は小麦粉と餡子。調味料は砂糖と塩だけです。

              もちろん、合成保存料なんて使いません。そのかわり、饅頭を蒸す時と包む時に、殺菌作用のある月桃(サンニン)の葉を使います。懐かしい優しい香りです。

              CIMG4202s.jpg

              の〜まんじゅうの「の」は熨斗(のし)の「の」。おめでたい時には欠かせないお饅頭です。「の」を書かないで、法事に使うこともできます。


              儀保まんじゅうを創業した名嘉眞ハルさんが、先月、お亡くなりになりました。私はそれを今日、知りました。享年90歳だそうです。

              お嬢さん(72歳)やお孫さんが店を継がれているので、お饅頭は健在です。

              賑やかなことが大好きだったハルさんのために、仏前には大きく「の」と書かれたお饅頭が供えられたそうです。

              ここ数年、このような話にワタクシ、涙腺が緩みっぱなしで、本当に困ったことです。


              教育者 志喜屋孝信さん(3)

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                JUGEMテーマ:地域/ローカル

                沖縄諮詢会の設置期間は1945年8月から1946年4月まででした。

                その間に、沖縄県内各地の収容所は徐々に縮小され、県民はそれぞれのシマ(つまり市町村)で生活を始めました。収容所の自治を担った諮詢会はその役割を終えたのです。

                そして、新たな行政機構として沖縄民政府が発足し、志喜屋孝信さんが初代知事に就任しました。



                戦前の沖縄県知事は官選知事で、日本政府が任命した本土の官僚が赴任していました。つまりこの時初めて、ウチナーンチュの知事が誕生したのです。


                荒廃した沖縄の復興を、志喜屋孝信さんや、かつての教え子達が担いました。

                沖縄戦直後の最も過酷な時期、多くの県民に「沖縄のリーダーは、志喜屋孝信先生をおいて他にはいない。」と言わしめた志喜屋孝信さんは、よほどの人望があったのですね。そのような人材に恵まれた沖縄県民は幸せでした。

                そして、戦後の沖縄を彼に託した米軍の判断が素晴らしい。ウチナーンチュでなければ、知事は務まらないと考えたのです。


                1950年に知事を退任した志喜屋孝信さんは、沖縄初の大学として開学した琉球大学の初代学長に就任し、その5年後にこの世を去りました。

                沖縄諮詢会委員長や沖縄民政府知事は、彼が望んだ役割ではなかったでしょうから、終始一貫、教育者として生き抜いた生涯だったと言えます。

                (終わり)


                教育者 志喜屋孝信さん(2)

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                  JUGEMテーマ:地域/ローカル

                  沖縄諮詢会は沖縄県民の声を米軍に伝え、一方で米軍の意向を県民に伝える役割を担います。したがって、諮詢会の委員長は、住民の信望が厚く、かつ米軍のよき相談相手になりうる人物が望まれたのです。

                  米軍のイエスマンでは困りますし、委員長の立場を利用して私利私欲に走るなんて論外です。

                  そこで、

                  「それなら、政治家は駄目だ。」

                  ってことになったそうです(笑)。

                  笑わしてくれますね。

                  諮詢会の役割は、本来、政治家の役割そのもの。それを最初っからはねられたのでは、政治家の面目丸潰れです。


                  米軍は諮詢会委員長を選ぶにあたり、多くの県民から意見を聞きました。その中で、県民から圧倒的な支持を得たのが、志喜屋孝信さんでした。

                  15人の諮詢会委員が選任され、委員互選の結果、満場一致で志喜屋孝信さんの委員長就任が決まりました。


                  沖縄諮詢会の事務所は、美里村石川(現在のうるま市石川)の民家が使われました。前の記事にも掲載した、この建物です。



                  そして、それは現存しています。



                  場所は琉球銀行石川支店の裏手です。

                  (続く)


                  教育者 志喜屋孝信さん(1)

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                    JUGEMテーマ:地域/ローカル

                    農連市場最寄りのバス停は「開南」。町の名前ではなく、開南交差点一帯の通称で、かつてこの地にあった開南中学校に由来します。

                    沖縄県立第二中学校(現在の那覇高校)の校長を務めた志喜屋孝信(しきやこうしん:1884-1955)さんが、同校を退職後、私立開南中学校を設立したのは1936年。沖縄戦の9年前のことでした。

                    つまり、「開南」の名付け親は志喜屋さんってことになりますね。

                    残念ながら開南中学校は沖縄戦で失われ、その跡地は那覇市立開南小学校となりました。


                    沖縄戦の終結後、沖縄県を統治下に置いた米軍は、県内に12ヶ所の収容所を設置しました。米軍は占領後に沖縄県民が必要とする食料を、あらかじめ準備していたんですね。国力の違いを感じます。

                    沖縄占領後、本土攻撃の準備に取り掛かった米軍は、沖縄県民の管理に兵力を使う余裕がありません。そこで、その業務を沖縄県民に任せることにし、発足させた組織が沖縄諮詢会(しじゅんかい)です。

                    沖縄諮詢会は15人の沖縄県民により構成され、その委員長に選ばれたのが志喜屋さん。前列中央。米国人の隣に座っている方(黒のパンツ)です。




                    *諮詢
                    参考として問い尋ねること。意見をきくこと。


                    (続く)


                    常盤なるうむい

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                      JUGEMテーマ:地域/ローカル



                      常盤なるうむい
                      日々毎に響ち
                      御真人の心
                      藍に染ら



                      う〜む。わかるような、わからんような。

                      組踊の立方で、国の重要無形文化財。赤嶺正一氏からいただいた琉歌です。
                      (赤嶺氏の過去記事は、こちらと、こちら

                      古波蔵の居酒屋「エール」のカウンターで、私の横に座った赤嶺氏が、すらすらと書いて下さり、意味を問う私に、氏は「そのうちにわかる。」と。


                      常盤は、盤石の意味から転じて「変わらない」。

                      うむいは「思い」。

                      御真人は御万人(うまんちゅ)。

                      「変わらない思いは、日々、広まってゆき、周囲の理解を得られるものだ。」

                      ってことですかねぇ。

                      だとすれば、普天間問題でパタパタと寝返ってる、沖縄の政治家諸氏にも教えてあげたいですねぇ。


                      さて私は、昨日、今日の二日間。引越しに備えて、不要品の大処分中です。

                      「この一年。一度も使わなかった物は処分。」の基本方針で臨みましたが、いきなり天袋から電気ストーブが出てきました。

                      お〜、危ない危ない。あやうく新品を買うところでした。去年の冬は使っておらず、その存在を忘れていたんですね。私の基本方針は、早くも崩れ去りましたね。

                      さっそくストーブをつけると暖かく、「じゃあ、ビールでもノムカ(^-^)/。」と、大休憩になりました。


                      気をとりなおして、書類の選別を始めたところ、この琉歌が出てきて、「こりゃあ、ブログに書かないと。」と考え、またしても大休憩になりました。

                      う〜む。そろそろ、腹が減ってきたが、どうするか。しゃあない。ビールでもノムカ(^-^)/。


                      「仕事は明日の午後からだ。まだまだ時間はある。」

                      のだ(笑)。


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                      念願の沖縄生活を始めて10年になりました。
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