獅子松尾の獅子

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    松尾は那覇の地名にもありますが、本来の意味は松林。発音はマーチューです。

    那覇市泉崎の周辺はかつての湧田村。そこにあった松林の名が獅子松尾(シーシマーチュー)です。そのお隣の松林は仲里松尾。

    張献功(ちょうけんこう)は高麗出身の陶工で、国場から湧田村に移り窯を開きました。現在の県庁からハーバービューホテル、壷川にかけては、壺屋に移るまでの間、ヤチムンの生産地だったのです。


    ハーバービューホテルの近くに獅子がいると聞き、寄ってみました。







    コンクリート製ですから、どんなに古くても戦後の獅子。獅子に歴史的な価値は無さそうです。


    以下は仮説です。

    湧田村に陶工が集まりヤチムンの生産地となった。そのシンボルとしてヤチムンの獅子が据えられ、獅子周辺の松林が獅子松尾と呼ばれるようになった。その後、ヤチムンの獅子は失われたが、陶工の子孫がその場所にコンクリート製の獅子を据えた。

    だとすれば、獅子の据えてある場所には意味があります。


    獅子は短い階段の上にいて、階段の上り口にこんなことが書いてありました。



    ここが拝所であるとわざわざ書く必要があるんでしょうか。「長命富を司る」や「祈願成就」などの文言も拝所には似合わず、神社と勘違いしているかのようです。

    先ほどの仮説が当たっているとすれば、この壁の文言は場違いな気がしますが、とは言え、それを余計なお世話だと言われれば、まったくその通りでございます。


    志多伯集落の散歩(1) 村獅子と馬場跡

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      八重瀬町東風平の志多伯(したはく)集落に来ました。



      こちらは、集落の南端にあった八重瀬町の看板。



      この獅子舞の獅子が、志多伯の獅子加那志(しーしがなし)。加那志は尊敬の意味を表す言葉で、直訳すれば獅子様です。

      志多伯の獅子舞は300年の歴史があるそうで、その存在はもはや神です。


      志多伯集落の地図を見ましょう。ピンの位置が公民館です。



      集落は南向きの斜面にあり、南北に二本の筋が通っています。おそらく、左がナカミチで右がクシミチ。

      わかりやすいです。

      おおよそですが、根屋、井戸、村獅子などの位置が予想できます。


      志多伯公民館に着きました。



      この裏手に村獅子がいます。午ヌ端の獅子。



      牛(うま)は南ですから、南の獅子。八重瀬岳に向かってヒーゲーシしています。




      集落の西側に馬場跡がありました。今は集落の広場として使われていて、集落の催しはここか、公民館のどちらかで行われます。




      馬場跡の西端にいたのが、酉ヌ端の獅子。酉(とり)は西ですから、西の獅子。



      ううっ。

      ちょっと扱われかたが、南の獅子とは違うのか?

      馬場のフェンスの外にいて、台座は割れています。



      集落の守り神として、実績がイマイチだったか?(笑)

      (続く)


      東方の村獅子

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        与那原と佐敷の村獅子を3ヶ所見て歩きました。

        本島南部の東海岸は東方(あがりかた)と呼ばれ、ニライカナイの方角に向くことから、古くから多くの聖地があります。

        ところが、沖縄戦の初期。この海に米国の大艦隊が押し寄せ、各集落は無数の砲弾を浴びてしまいます。鉄の暴風の中、形のあるものが残っていることが不思議です。


        先日投稿した「よーんなあ道路」の近く。板良敷集落の村獅子です。



        広い国道が開通すると、集落が分断されるばかりか、国道に沿った街づくりが行われるので、集落の形が曖昧になります。

        この村獅子の立つ場所が、かつての集落入口だったのか。あまり居心地が良さそうには見えません。



        石灰岩が朽ちることは仕方ありませんが、この村獅子は顔の左側に何かの衝撃を受けていますね。

        足を見れば、後にコンクリートで整形された形跡がありました。



        こんな内股にしなくても(笑)。

        まったくの想像ですが、この村獅子は沖縄戦で左方向から何らかの衝撃を受け、倒れてしまったのではないでしょうか。

        地面に転がった(あるいは地中に埋まった)村獅子が後に整形され、この場所に置かれたように見えました。


        次に向かったのは、佐敷冨祖崎の村獅子です。



        このあたりの村獅子はちゃんと獅子の形をしていますね。ウェストがありますからね(笑)。



        足に指がある獅子は珍しいなと思ったら、



        どうやらこの足も、後から整形されたようです。


        最後は、冨祖崎獅子のすぐ近くにいる、外間集落の村獅子です。



        ああ、こいつも左足をケガしていますね。



        そして、左の首筋に銃弾の跡が二つ。


        私の勘違いもあるでしょうが、どの村獅子も、戦火をくぐり抜けてきた様子がうかがえました。

        村獅子は、集落の守護神として、その場所に立ち続けることが役目です。その役目を果たそうとして、酷い目に合いました。


        板良敷から冨祖崎までの間で、私は他の村獅子を知りません。この日の村獅子達は、転がされたり、銃で撃たれたりはしましたが、粉々になることは免れたわけです。

        つまり、多くの村獅子が跡形もなく消えてしまったのだと思います。


        何しろ、村獅子は動くわけにはいきませんからねぇ。

        「よく頑張ったな。」って気持ちになります。


        大里平良集落のプライド(4) 平良の村獅子

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          さて私は、字平良の東入口から南入口へ向かうことにしました。そこには平良の村獅子がいるはずです。

          以前投稿した、お隣、南風原集落の村獅子がこちら。



          かなりユニークな獅子ですよねぇ。またこんなのが現れるんじゃないかと、楽しみです。


          いました(笑)。



          (笑)

          _| ̄|◯

          (笑)

          「おまえ、子供にボールをぶつけられたりするやろ。」

          「八重瀬岳のヒーゲーシか?」

          「で、返したことはあんのかいな。」



          「大里按司は八重瀬按司に討たれてしもたやん。おまえ、何してた。」

          「まだ生まれてなかったんか。ふ〜ん。」

          「おっ、そうや。平良の字昇格おめでとう。」

          「おまえは字平良の獅子や。良かったな。」

          「じゃあな。またゆっくり来るわ。」


          海の見える家

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            那覇で暮らしていると、海を眺めることがありません。

            相棒のAに付き合って、中央卸売市場の岸壁で弁当を食べる時か、その帰りに泊大橋を渡る時か、普段はそんなもんです。

            その代わり、たまに海に出ると、旅行者の気持ちになれるので、それはそんでエエやんって気もします。


            一方、本土の仕事をリタイヤするなどして、沖縄移住を決心した皆さんは、これはもう、何が何でも海の見える家が欲しいところ。

            沖縄本島のあちこちで、海の見える家が建売りされています。


            今、私は南城市大里の某所に立ち、知念の海を眺めています。



            毎朝、目を覚ましてカーテンを開けるとこの景色。海の見える家としては最高の立地と言えるでしょう。

            と思ったら、斬新なデザインのお宅がありました。



            ちょっと角度を変えると、このお宅が平屋建てだとわかります。抜群の採光が望めそうです。庭は芝生が良いと思いますが、コンクリートになってますね。まあ、掃除が楽でいいか(笑)。



            玄関に回ります。



            う〜む。堂々としています。間取りは1LDKでしょうか?

            窓が少ないところが気になりますが、こんな家で、海を眺めながら暮らすのもエエなぁ、と思いました。

            アハハ(笑)。


            糸数村獅子、カマンカジ、糸数樋川(1)

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              南城市の糸数集落に来ています。

              古くからの集落に必ずいるのがこいつ。



              昔、糸数集落に住む男性が、フーチゲーシの村獅子四体を彫り、集落の各入口に配置しました。

              こいつはそのうちの一体で、集落の南口に立っています。



              昔はキリッとした男前でしたが、寄る年波には勝てず、体型もメタボです。




              私は集落を散歩する際に、そこの村獅子に「はい、ちょっとお邪魔しますよ。」と挨拶する意識があります。

              ところが最近、少し気に入らないことがあります。どの集落も口を揃えて村獅子に救われたと言うが、それはホンマかいなということ。

              火事が多かったのがピタッとやんだとか、疫病が流行ってたのに全員が治癒したとかですね。

              糸数集落の場合は、赤ん坊の死亡率が高かったところ、獅子のおかげで、みんな元気に育つようになったと。

              これが、ど〜も嘘くさい。


              私は、何十ヶ所も村獅子を訪ね歩いているのですから、たまには、

              「干ばつが何年も続くので村獅子を彫ったけど、ちっとも雨は降りませんでした。この役立たずっ!!」

              みたいな獅子が、いても良さそうなものです。

              集落の伝承は、その集落にとって良い話になりがちです。役所の文化財課の皆さんは、それを鵜呑みにせず、獅子が彫られた時代背景を、きちんと調べて欲しいものです。


              さて、村獅子に挨拶が終わりましたので、井戸に向かいましょう。


              琉球五偉人、羽地朝秀の墓

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                一つ前の投稿で、私と浦添市教育委員会との会話(作り話です)を紹介し、そこで私は、『中山世鑑』を編纂した羽地朝秀(1617-1676)を日琉同祖論の始祖だと言いました。

                羽地朝秀は儀間真常(1557-1644)らと並び、琉球五偉人と讃えられている人物です。薩摩支配直後の琉球で数々の改革を断行し、その後の琉球・沖縄の基礎を築いたと言われています。


                ではまず、羽地朝秀に会いに行きましょう。

                ここはモノレール儀保駅の近く、平良バス停です。



                そこで西を向けば、以前は首里平良郵便局があったのですが、移転したのか、建物を新築中でした。



                その右奥に緑色の看板があり、細い坂道が右手に分岐しています。



                ネットにぶつかりそうな細い坂道です。



                右手の森は通称「チャーギ山」。沖縄ではチャーギの葉をヒヌカンにお供えします。

                どこにチャーギがあるのか探していたら、坂道が石畳道になりました。



                細っそい坂道とバカにしていたら、実はこの道、末吉宮の参道なのでした。琉球国王が末吉宮に参拝する際に通った道です。それならそうと言ってほしいものです。

                やがて参道は三叉路となり、末吉宮へは左の道を進みます。



                そこを右に進むと、突然、大きな墓が現れました。



                で、でかっ!!

                ここが羽地朝秀の墓。正確には羽地家の墓だそうです。亀甲墓の雰囲気がありますが、亀甲墓が広まる少し前のスタイルです。

                墓所内に石碑がありました。



                読み辛いのですが、「贈正五位 羽地朝秀之墓」とあります。

                大正11年に建てられた石碑で、この年、羽地朝秀は大正天皇から官位を与えられたのですね。


                大里南風原集落の散歩(1)

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                  おい。



                  バス待ってんのか?


                  南風原集落の村獅子か。初めまして。



                  姿勢はキリッとしてるようやけど、も少し男前にしてもらえば良かったのに。なんやねんその口は。



                  まあ、他の村獅子のように「途中でやめました。」みたいな感じが無いのはエエな。脚もちゃんと彫ってもろうてるし。


                  おっ!?



                  この角度だと、なかなか凛々しいか?


                  で、何処に睨みを効かせてんのかいな?



                  あっちの山か。

                  ほ〜、尻尾もあるんやぁ。

                  あっちの山には何かいるのか?

                  行ってみるか(笑)



                  背後の丘の上が島添大里グスク。

                  斜面に南風原集落があって。一番低くなった前面に獅子がいると。



                  集落の古老が「西の山に対するケーシ」と言うたそうやけど、山には何もおらんで。

                  やっぱり、邪気を集落内に入れないことが役目じゃないの?。立ってる位置が集落の玄関やし。

                  バス停の位置がそこに決まったのは、便利がいいからやろ。それが獅子のすぐそばってのは、偶然じゃないと思うわ。


                  じゃあ、集落に入らせてもらうで。俺は邪気じゃないから通してな。

                  (続く)


                  南城市大里の大城グスク(3)

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                    大城按司の墓は大城グスクの近くですが、佐敷から新里ビラ(県道137号線)を登るとわかりやすい場所にあります。

                    県道からユインチホテルに入る道に右折し、ホテル前を直進(通過)します。右手に老人ホームが見えたら、そのすぐそばに墓の案内板があります。

                    案内板前の路上から眺めた大城グスクです。



                    いい眺めです。

                    グスクの背後に、八重瀬や糸満の広大な平地がのぞめます。大城按司は、このすべてを手中にしたいと思ったことでしょう。


                    大城按司が討たれた(もしくは自害した)場所はグスク近くの稲福集落あたりで、かつてはそこに墓所があったようです。

                    後に、按司の子孫(つまり、麻氏門中)が現在の場所に墓を移したのですね。大城グスクが良く見える立地を探したのでしょうが、いい場所が見つかったものです。


                    それでは、墓所に入ります。

                    木立ちに囲まれた空間があり、そこに墓があるようです。



                    「うっわー!!」と歓声があがりました。ワタクシ一人ですがね(笑)。



                    墓マイラーの私が、見たことの無い形です。



                    約100年前に建てられた墓で、立方体に見える墓室は琉球石灰岩をくり抜いたもの。前面に切石が積まれています。

                    上部のドーム型の石積みは、かつての墓をイメージしたものだそうです。つまり、稲福にあった墓は、塚のように石を積んだ形だったわけです。


                    先祖崇拝の意識が高い沖縄ですが、これほどの墓はなかなかありません。

                    墓の中で大城按司が喜んでいるのはもちろんですが、麻氏門中の皆さんも、この場所で一族の誇りを感じることでしょう。


                    さて、墓参りが終わりまして、ユインチホテル前から続く道をさらに進みますと、右手にこんな歩道橋がありました。



                    車道にも歩道があるのに、何のための歩道橋なのか、よくわかりませんね。歩道橋を架けた後に、新しい道路が通ったのかもしれません。

                    その歩道橋からの景色です。

                    佐敷が一望でき、勝連半島から、



                    知念までが見渡せます。



                    このあたりは風の通る場所として有名ですが、実にいい気持ちです。


                    大城按司の没後、佐敷按司の尚巴志が三山を統一しました。

                    大里按司との戦で、旗手が旗を倒さなければ(笑)、大城按司が尚巴志の立場になっていたかもしれません。

                    確かにそれは残念でしたが、子孫が600年も続き、立派な墓を建ててもらったのですから大城按司は幸せです。

                    尚巴志の墓は読谷の山中にあり、それはひっそりとしたものでしたからね。

                    (終わり)


                    糸満の村獅子(3) 大里獅子

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                      糸満の村獅子。三体目は大里の獅子です。

                      三山時代、大里は南山王国の首都でした。王の居城は南山グスク。グスク跡地は高嶺小学校となっています。

                      南城市にも大里があり、両者を区別するために、南城市大里を島添大里、糸満市大里を島尻大里と呼ぶことがあります。

                      初代の南山国王は承察度(うふさと)。居城は島添大里の大里グスクでした。

                      20121016135233_0.jpg

                      そして、二代目国王の汪英紫(おうえいじ)が、首都を島尻大里へ移したようです。


                      その島尻大里集落の獅子がこちらの方です。



                      「やる気あるのか!?」と言いたい。

                      かつての首都の村獅子としてはいかがなものかと。

                      色々なアングルを試して、一番男前に撮ったのがこれ。



                      昔はもっと男前だったでしょうが、歳を取りすぎました。

                      まあ、本来の役割(八重瀬岳へのケーシ)は今でも果たしているので、そこはよくやってます。




                      材料が琉球石灰岩ですから、獅子が徐々に朽ちることは仕方がありません。

                      が、しかし、村の守護神ですからね。集落によって、扱いの差があることは残念です。

                      獅子を丁重に扱い、崇拝している集落とそうでもない集落。それは、集落の信仰心の深さと相関するのか、しないのか。

                      これまであちこちの獅子を訪ねた私の感想としては、相関があるように見えます。

                      (終わり)


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