首里城から延びる道(1) 琉球惣絵図

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    琉球惣絵図は18世紀後半に作成された、沖縄本島ならびに周辺離島の地図です。



    各間切が色分けされている上、主要な集落、建築物、河川、井泉などの名称が書き込まれています。

    また、道路が白く塗られているため、首里城を起点とした宿道のネットワークが一目でわかります。

    も〜、いつまでも眺めていたい(笑)


    こうした宿道は18世紀初頭には整備されていたと思われ、18世紀前半の蔡温による検地(乾隆検地)で精密に測量されています。

    琉球惣絵図は乾隆検地の情報に新たな情報を加えて色付けをしたもので、琉球王朝を知る上で第一級の資料と言えます。


    琉球惣絵図は幾つかの間切をまとめて描かれていて、全部で25枚あったと推定されています。そのうち現存するものは、わずかに6枚。2001年に米国で見つかりました。

    残る19枚も米国の何処かにあるんじゃないかと思いますね。

    「早く返せ!!」と言いたい。

    て言うか、

    「勝手に持ってくな!!」と言いたい。


    現存する6枚に描かれている間切は以下の通りで、冒頭の写真が(1)です。

    (1)首里、那覇、真和志、小禄、南風原、豊見城

    (2)兼城、高嶺、真壁、喜屋武、摩文仁、東風平、具志頭

    (3)大里、佐敷、知念、玉城

    (4)浦添、宜野湾、西原、中城

    (5)北谷、越来

    (6)国頭西半分


    琉球惣絵図によると、首里城から各方面に延びる宿道は次の5本です。主要な経由地を書きましたが、全部は書ききれないので、首里近辺に限りました。宿道はその先も続いています。

    (1)真珠道
    真珠湊碑文、島添ビラ、金城町石畳、金城橋、識名坂

    (2)島尻方西海道
    久慶門、守礼門、綾門大道、中山門、茶湯崎橋、安里橋、長虹堤

    (3)島尻方東海道
    継世門、崎山馬場、下川原橋、ウフジョービラ

    (4)国頭・中頭方西海道
    久慶門、龍淵橋、松崎馬場、当蔵カジマヤー、安谷川御嶽、平良橋

    (5)国頭・中頭方東海道
    歓会門、円覚寺南側、天王寺東側、読谷山御殿西側、久場川ビラ


    宿道ではないものの、魅力的な古道がもう一本あります。それはハンタ道。首里城から弁ヶ岳を抜け、中城グスクに延びています。


    「5本+1。全部歩くつもりか?」と問われれば、その通り。ただし、首里を出るあたりまでね(笑)

    もちろん、新しい道路や宅地により、宿道はあちこちで寸断されています。道を辿れない時は、現代の都市開発に憎しみを覚えます。

    一方で、新しい道路や宅地をマスキングと考えれば、宿道の経路を推測する楽しみが生まれます。途中で途絶えた宿道が離れた場所で復活し、それを発見した時のヨロコビ。

    どうなんですかね。この屈折した、憎しみとヨロコビの調和(笑)


    西原町幸地の刻時森(3) 首里城日影台

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      刻時森で1年8ヶ月を要した古波津里恒の測定は完了し、首里城の漏刻門近くに日影台(にちえいだい)が設置されました。



      日影台が太陽の南中を示すと、里恒の採取した測定値によって時刻が補正され、補正後の時刻が漏刻(水時計)に与えられました。

      もっとも、漏刻の誤差は日に数十秒といったところでしたから、日時計による時刻の補正を毎日行う必要はなく、24節季のタイミング、つまり約2週間に1度行われたと言われています。


      こうして琉球王府は、正確な時刻を手に入れることができました。所定の時刻になると、首里城で漏刻を担当する役人が太鼓をたたき、東西のアザナで鐘が鳴らされたそうです。

      里恒の苦労が報われましたが、前述の通り、太陽の南中時刻のブレは最大で16分30秒です。

      う〜む。そのくらいはいいじゃんって気もします。

      昔のウチナーンチュは時間にうるさかったってことですかね。今と違って(笑)


      8時からの飲み会に9時、10時に平気な顔で現れるウチナーンチュの時間感覚をウチナータイムと言いますね。

      それに比べたら、16分30秒なんて。ねぇ。


      まあ、多少、ウチナーンチュの味方をすると、誰もが飲み会は8時からだとわかってはいるんです。

      そこでAさんは「おっ、8時だ。ヤッベェ急がないと。」と思い、

      Bさんは「おっ、8時だ。そろそろ出かけるか。」と思い、

      Cさんは「おっ、8時だ。そろそろシャワーをするか。」と思う。

      これは、それぞれの行動規範なのでありまして、時間にルーズっていうことではありません。

      あんまり、味方になってない?

      そうですか(笑)

      (終わり)


      西原町幸地の刻時森(2) 刻時森

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        さて、この小さな山が刻時森(ククジムイ)です。アドベンチストメディカルセンターの駐車場から撮りました。



        漏刻(水時計)の誤差を補正するために、琉球王府は日時計の開発に着手しました。国王は第13代尚敬(1700-1751)、三司官は蔡温(1682-1762)の時代です。

        それを任されたのは、数学者の古波津里恒(こはつ りこう:1663-1753)でした。


        太陽の南中時刻は日によって異なります。日時計が正午を示していても、実際の時刻は、例えば11月3日なら16分30秒進んでいて、2月13日なら14分30秒遅れているそうです。里恒が知りたかった数学です。

        これは、地球が太陽を周回する軌道が楕円であることと、周回速度が変化することによります。

        そのため、少なくとも一年間は継続して、太陽の南中時刻を測定する必要がありました。幸地の丘陵地の上にポコッと突き出た刻時森は、周囲に障害物が無く、たいへん都合が良かったのです。


        刻時森に登るには、しま模様のタンクを目指します。



        長い階段の先がフェンスで遮られているかのように見えますが、大丈夫。

        階段を登りきった後、フェンスに沿って歩きます。



        この時点でこの眺望。北谷の海や読谷が見えます。



        フェンス沿いに歩き終わると、刻時森の入口があります。



        登ります。



        登ります。




        おお、頂上が見えてきました。



        頂上には3m四方の平地があると聞いていましたが、

        ありました。




        この場所で、古波津里恒が太陽の南中時刻の測定を続けたのは1740年のことでした。

        抜群の能力の持ち主だったようですが、それにしても苦労の連続だったと思います。また、日照時間が短い沖縄で、肝心な時に太陽が出ないってこともあったでしょう。


        刻時森の頂上まで、病院駐車場から10分もかかりません。樹木が邪魔をして眺望は今ひとつですが、正面に首里城が見えます。



        (続く)


        西原町幸地の刻時森(1) 首里城漏刻門

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          先日、西原町の幸地グスクを訪ねた時に、グスクから延びるハンタ道の先に小さな森が見えました。



          その森は刻時森(ククジムイ)と呼ばれています。

          「はっはぁん。時を刻むんやな。」

          ってまんまじゃないですか。


          琉球王朝時代の時計は中国から伝わった水時計でした。その水時計を漏刻(ろうこく)と呼びます。



          複数の水桶をパイプでつなぎ、先頭の水海に水を溜めます。水桶がいくつもあるのは、水海への流入量を一定にするためです。

          で、水海の水位上昇に伴ってオヤジの人形が浮上し、時刻を指差すと。

          う〜む。オヤジの人形に仕事をさせるところが、いかにも中国な気がします。


          ところが、この漏刻では時間の長さは測れても時刻はわかりません。つまり、ストップウォッチと同じ。ストップウォッチで時刻を知るには、起点となる時刻が必要ですね。

          「はっはぁん。首里城に漏刻門ってのがあって、その奥のテラスに日時計があったけど、それかっ!!」



          正解です。



          漏刻は首里城漏刻門の櫓の中に設置されていたそうです。あの櫓の中でチャイニーズなオヤジが浮いたり沈んだりしていたんでしょう(笑)


          つまり、漏刻だけでは誤差が拡大するので、日時計で正午を測り、それで漏刻の起点となる時刻をセットしたということ。

          で、刻時森の話に続きます。

          (続く)


          組踊「矢蔵之比屋」(4) グスクの歩き方

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            組踊「矢蔵之比屋」の舞台となったグスクは、幸地、棚原、津記武多の三ヶ所です。

            いずれも小規模なグスクで、城壁などの遺構も(そもそも)無いため、中城グスクや勝連グスクのような世界遺産級のグスクをイメージしていると、がっかりするでしょう。

            次の写真は、幸地グスクの入口です。



            この階段を上った場所が主郭跡ですから、入口から30歩(笑)


            三ヶ所のグスクは、小さな集落を統治した領主の住まい跡です。集落付近で最も高い丘陵地を選んではいますが、城壁を築く財力は無く、城壁が必要になるほどの戦を想定することも無かったでしょう。

            幸地の按司(熱田子)が、棚原や津記武多の按司を討った時の兵力はどのくらいだったのか。私の勝手な想像では数十人。武器(農具?)も大したものでは無かったはず。


            以前の投稿した上間と津嘉山の石合戦を思い出したので、その投稿の一部を抜粋します。

            かつて、上間と津嘉山の間で、土地の領有権をめぐる争いが起こり、石合戦となりました。ただ石を投げるだけではなく、手拭いで包んだり、ハンマー投げのように紐で結んだりして、遠心力を使う工夫をしたので威力は充分です。男性が石を投げ、後方支援の女性が石を集めました。

            この戦、て言うか喧嘩は、領地をめぐる争いでしたが、王府に納める年貢を減らすために、領地の押し付け合いをしたことが原因だったと言うから笑います。

            そして、石合戦に勝利した上間が、

            「お〜い。領地が広くなって良かったさ。ちゃんと耕しなさいよ〜。」

            と言い放ち、悔しい想いをしたのが津嘉山でした(笑)

            この時代の最新兵器は、尚巴志が所有していた石火矢でした。それは火薬で石をぶっ飛ばすもの。豊見城市高安にある、石火矢橋(イシビャーシ)の名前の由来です。


            話が逸れましたが、規模の小さなグスクを訪ねる際は、まず、集落の公民館に行くことをお勧めします。公民館前に集落の案内板が設置されていたり、館内で文化財を紹介するペーパーが置いてあったりします。

            そこで、そのグスクにまつわる伝承などを知れば、グスクを訪ねる楽しみが増すでしょう。


            例えば、幸地グスクから棚原グスクや津記武多グスクを眺めると、組踊「矢蔵之比屋」の物語がグッとリアルになります。

            次の写真は、幸地グスクを抜けているハンタ道。奥に見える丘は刻時森(ククジムイ)と呼ばれています。



            この道を、幸地グスクから脱出した乙樽が走ったのです。そして数年後、成長した虎千代が、部下を引き連れてこの道を戻って来ました。

            集落の伝承や、組踊、沖縄芝居などの物語は史実とは異なると思います。一方で、この時代に乙樽や虎千代のような母子が実在したとしても、ちっとも不思議は無いのです。


            あっ、それから。このサイズのグスクは、ほとんどが集落の御嶽になっています。グスクを訪ねる際は、御嶽に入る心構えでよろしくお願い致します。

            (終わり)


            西原町の内間御殿

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              第二尚氏王統の始祖である尚円王(1415-1476)は、第一尚氏王統の尚泰久王(1415-1460)に仕えた王府高官でした。即位前の名は金丸。

              尚泰久王からの信頼が厚く、金丸は順調に出世しましたが、尚泰久王の次に即位した尚徳王(1441-1469)とは、まったくウマが合わなかったようです。

              やる気を失った金丸は、1468年(53歳の時)に、西原間切の内間に隠遁してしまいます。

              ところが、その翌年に尚徳王が28歳の若さで急死したのです。尚徳王には世継ぎがいましたが、王府には金丸を王位に推す声が強く、それで金丸が、

              「一度は隠遁した身だし、尚家の血筋でもないが、そこまで言われたらしゃあないわな。」

              と言って、尚円王になりました。

              「いや〜、さぞかし人望があったんでしょうなぁ、金丸は。」

              ってことになっていますが、とてもそうは思えませんよね。

              そもそも、隠遁した翌年に28歳の王が死ぬか?ってこと。これは金丸によるクーデターだったと考えるのが自然です。


              前置きが長くなりましたが、金丸が内間領主として暮らし、後に隠遁した屋敷跡が西原町嘉手苅に残っています。

              クーデターによるものであっても、王は王。第二尚氏王統は400年以上も続き、沖縄の重要な一時代を形成したことは間違いありません。

              琉球王府では、時が経つにつれ尚円王を神格化する動きが出てきました。そして、尚円王(金丸)の没後190年を経て、琉球王府は金丸の屋敷跡を神殿とみなし、内間御殿(ウチマウドゥン)として整備したのです。

              ですから、内間御殿は金丸の住居跡ではあるけれど、今は琉球王朝の聖地。私達は、首里城や識名園ではなく、斎場御嶽を訪れるつもりで程よいと思います。


              内間御殿を形成する東江御殿(アガリーウドゥン)と、



              西江御殿(イリーウドゥン)



              フクギを中心とした植栽も、敷地を取り囲む石塀も、神殿として整備されたもので、金丸が暮らしていた時代のものではありません。

              東江御殿の建屋と、



              西江御殿の建屋は、神殿の拝所です。



              建屋を貧弱だと思われるかもしれませんが、これは御嶽の拝所と同じですから、豪華にすれば良いというものではありません。斎場御嶽の岩の前に置かれた香炉を貧弱だと思う人はいないでしょう。


              敷地内のフクギや石塀が、神聖な雰囲気を形成しています。予想以上に気持ちが良い空間です。





              石塀の痛みが目立ちますが、修復が進んでいるようですから、数年後にはきちんとしたものになるでしょう。




              聖地に余計なものは必要ありません。植栽と石塀、そして拝所があれば充分で、できる限り元のままの空間を維持していただきたい。

              その点で、以下の事柄に苦言を少々。

              (1)御殿入口にあるコンクリート製の鳥居は似合いません。

              (2)案内板が目立ち過ぎです。





              (3)西原町は勝手にフクギを伐採しないように。(琉球新報の記事はこちらから

              どうも一部に勘違いしてる人がいるんですよね。


              今日は金丸で昨日はペリー。年代がまったく違います。それが、関係無いようで少し関係してる話を明日(笑)。


              首里の古地図

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                このブログで時々使用している首里の古地図は、こちらのサイトにあります。

                沖縄県立図書館「貴重資料デジタル書庫」



                1700年代の首里の地図をデジタル化したもので、重要箇所を拡大表示することができます。

                例えば、首里汀良町付近を見れば、



                9の枠が聞得大君御殿と記されていて、さらに拡大すると建屋の配置までわかります。



                縮尺が正確で、首里の中心部は現在の地図とピタリと重なります。(周辺部はややラフ)

                地図の作者や製作時期は不明ですが、琉球王府が実際に使用していた地図に間違いありません。


                この地図の優れている点が、もう一つあります。それは、数十年程度の幅で、意図的に地図情報を交錯させていること。

                例えば、現在の那覇の地図を300年後の人が見るとしましょう。そして、その地図に国際通りの沖縄三越と若狭の龍柱が記されていたとします。

                正確に言うと、沖縄三越はハピナハと記すべきで、若狭の龍柱はまだ完成していません。しかし、300年後の人は、ハピナハよりは沖縄三越の場所を知りたいでしょうし、若狭の龍柱があった場所も知りたいはず。

                だから、矛盾を承知の上で、沖縄三越も若狭の龍柱も記してあるのです。


                「あのね。龍柱が完成した時には三越は無かったの。両方が書いてあるなんて、この地図は間違いよっ!!キッ!!」

                などと言う人は、そのありがたみが理解できない「バ〜ロ〜」です。


                いやぁ、見れば見るほど上等地図ですよ、これは。


                八重瀬町新城「新城グスク」

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                  八重瀬町新城の「新城(あらぐすく)グスク」を訪ねました。

                  北西方向からのグスク全景です。



                  ウージの海に浮かぶ舟。

                  いい感じですねぇ。いかにもグスクを築きたくなる地形です。


                  グスクの入口に着きました。



                  _| ̄|◯

                  グスクや御嶽を神社と呼び、鳥居を建てる。私は嫌いなんですよ、こういうの。

                  「御嶽と神社は違うやろっ!!」と言いたい。

                  実は、沖縄のあちこちの御嶽に鳥居が建っています。戦前、国家神道を唱える日本政府の方針に、一部のウチナーンチュが同調してしまったんですよ。

                  アホくさ。

                  こちらが、鳥居の奥にある拝殿。新城集落の御嶽を、ここに合祀したそうです。




                  そして、鳥居の周りには、こいつや、



                  こいつ。



                  何でしょうねぇ。

                  そらまあ、グスクに滑り台や水飲み場があっても構いませんが、て言うか、もはやこの場所はグスクと見なされていませんね。

                  そして、拝殿の裏手には展望台。



                  昇ると危ないそうで、手前のロープから立ち入り禁止です。


                  八重瀬町議会か新城自治会か、何処か知りませんが、グスクを公園にしようって話になって、予算も付いた。

                  で、滑り台やら展望台やらを造ったはいいけど、保守費用が無い。なので、傷んだら立ち入り禁止。


                  私はグスクに来たのであって、展望台に昇りたいわけではありません。

                  展望台を立ち入り禁止にするのは勝手だけど、それじゃあグスクに入れないじゃない。


                  私は、グスク周囲の地形を観察し、城壁の痕跡を探し、在りし日のグスクを想像してみたい。

                  まあ、ここでは無理ってことですから、帰りましょう。


                  待てよ。拝殿裏手の大きな岩。あの岩はグスクと共にあったはず。



                  登ってみました。



                  おかげ様で、少しはいい気分です。


                  岩から降りると、展望台の脇にこいつが。



                  「おい、お前は新城の村獅子だろ?。まさか、公園の遊具じゃないよな。昔からここにいたのか?。」


                  ちょっと、やり過ぎじゃないですかね。
                   

                  島添大里のギリムイグスク(4) 島添大里グスクの復興

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                    島添大里グスクは眺めの良い場所にあります。グスクの北側は断崖絶壁で、勝連城、中城城、浦添城、首里城が見渡せ、グスク東側のミー(新)グスクからは中城湾が一望できます。



                    グスクの規模は島尻最大級ですから、世界遺産のグスク群と比べて、決して見劣りしません。

                    島添大里グスクは2012年に国指定史跡に格上げされました。南城市などの行政機関は、グスクを復興し、世界遺産登録を目指していただきたい。


                    島添大里グスクの想像図をもう一度見ましょう。



                    グスクの手前に、現在の大里西原集落が描かれています。そして、そのすぐ側にはギリムイグスクがあります。

                    大里西原集落や大里南風原集落の皆さんが合意することを前提に、世界遺産には、両集落とそこに残る史跡を含めた「古都島添大里」の登録ができないものかと思います。


                    島添には「島々を支配する」という意味があるそうですが、その名前の通り、島添大里はかつての南山王国の首都です。

                    大人がゆっくりと散歩しながら、歴史に思いを馳せる場所にしていただきたい。私は何度もこの一帯をウロウロしていますが、充分な環境にあると思えます。そして、史跡巡りの道に石畳道を復活できれば素晴らしい。


                    北山や中山には、世界遺産に登録されたグスクがいくつもあるのに、南山には一つもありませんからね。

                    どうかよろしくお願い致します。

                    (終わり)


                    島添大里のギリムイグスク(3) 周辺の御嶽

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                      ウサチュヌウトゥーシに戻り、祠をよく見ると、この祠が三角形の屋根と宝珠、両脇の石積み、そして石灯籠で構成されていることがわかります。




                      この形式には見覚えがあります。

                      こちらは大里西原集落のお隣、大里南風原集落の聖地、食栄森(イイムイ)御嶽の石門です。木製の屋根に隠れて宝珠。両脇の石積みと石灯籠。



                      拝所にも宝珠と石灯籠がありました。



                      つまり、これが島添大里スタイル。


                      ギリムイグスクの近くに、ウサチュヌウトゥーシによく似た遥拝所があると知り、探しました。

                      道路から見えるはずですが、これがなかなか見つかりません。何度か行きつ戻りつしながら、ようやく見つけた入口がこちら。



                      これでは見つからないはずです。ウサチュヌウトゥーシに比べると、やや冷遇されているのか?。

                      ここは松尾御嶽。大里南風原集落の北側に位置します。



                      私はこの場所が御嶽と知って入って来たので、やっと見つけて嬉しいのですが、知らずに来た人は「これは何か?」と驚くことでしょう。

                      ウサチュヌウトゥーシより一回り大きな遥拝所ですが、構成はまったく同じです。

                      ところが、この遥拝所。何を遥拝しているのか、誰も知らないそうで困ったものです。そのため、遥拝所でありながら、松尾御嶽の拝所みたいになっています。

                      (続く)


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