模合の会費が足りない時は・・・

0
    JUGEMテーマ:地域/ローカル

    模合(もあい)は休むわけにはいきません。もし、模合の日を忘れたり、当日ドタキャンしたりすると、仲間の誰かが会費を立て替えすることになり、大変に申し訳ないことになります。

    家賃を滞納しようが、安次嶺のおっさんへの払いが滞ろうが、そこは会費優先です。私の友人のウチナーンチュは飲み過ぎをカミさんに怒られて、財布から現金、カードを没収されましたが、模合の会費だけはもらえてるようです。信用問題ですからね。


    ところで先週、私は月末の支払いなどでスッカラカンになり、ナントカ機構から支払われる給与の入金を待っていました。昨年末に倒産した会社の未払い給与を、国が立て替えてくれてるのですね。ありがとうございます。

    ところが、沖縄の労働基準監督署の書類不備だとかで、支払いが数日遅れると連絡があり、「アッホ〜!!身内のチョンボを押し付けてどないすんねん!!」と抗議しましたが、相手はお役所、結果は同じでした。


    こんな時を待っていたかのように、今夜は模合で、やっべー、会費が足りません。

    3秒考えて、模合仲間の弘ちゃんに電話し、「お〜い、今夜貸しといて」と頼んだら、彼女もまたキビシイ状況下にあり「無理、無理。今日はいっちゃんが取る日だから、彼女に頼んだらいいさ〜。」と言っております。

    「なら、エエわ!!」と電話を切った一時間後、弘ちゃんからこんなメールがきました。

    20120403134208_0.jpg

    ウチナーンチュですねぇ。

    まあ、ナイチの感覚だと、電話を切ればそれで終わり。会った時に「ごめんね〜」くらいのもんです。ところが、この弘子おばちゃんは、一時間、どうしたものかと考えてくれていたんですね。

    で、自分がいっちゃんから借りるから、自分の会費をお前が使えと言ってくれてるわけです。

    ゆいま〜るだなぁ。

    琉球文化の伝承 鎌倉芳太郎さん(6)

    0
      JUGEMテーマ:地域/ローカル

      戦前既に、紅型の職人は減り、琉球王朝以来の文化は消滅の危機にありました。鎌倉芳太郎さんは工房を訪ね歩き、秘伝の技を聞き、型紙や色見本を収集していました。

      そして、鎌倉さんに大事件が起きました。東京空襲で自宅が全焼してしまったのです。幸い、彼の貴重な記録は、東京美術大学に保管していたため、戦禍を逃れることができました。

      その時鎌倉さんは、これまでの人生をリセットして、紅型の型絵染を極める決心をしました。この時、彼は46歳。終戦の前の年のことでした。


      沖縄戦で紅型は壊滅的な被害を受けましたが、鎌倉さんが東京で保管していた記録や型紙が役にたちました。そして、鎌倉さん自身も紅型の職人として、戦後の紅型復興の一員に加わったのです。

      1973年、鎌倉さんが75歳の時、型絵染技術が認められ、彼は人間国宝に認定されました。

      鎌倉さんが人間国宝に認定されたことは、もちろん素晴らしいことですが、沖縄の文化伝承に貢献したのは、彼の残した記録でした。首里城の再建も紅型の復興も、その記録が無ければ、実現しなかったかもしれません。

      鎌倉さんの記録(写真、資料、メモなど)は、国の重要文化財に指定されました。それは鎌倉さんにとって、人間国宝の認定よりも嬉しいニュースだったかもしれません。

      (終わり)

      琉球文化の伝承 鎌倉芳太郎さん(5)

      0
        JUGEMテーマ:地域/ローカル

        ところで、この記事の最初にくるるんしーさんがコメントをくれたように、沖縄における鎌倉芳太郎の知名度は、今ひとつの感があります。私が沖縄に来て2年半、彼の名前を聞いたのは一度だけです。

        言い方を変えると、ウチナーンチュは首里城をどう思っているのか、ということになります。

        鎌倉さんが解体を阻止した後、沖縄戦で首里城は完全に焼失しましたが、終戦後、跡地には琉球大学が建設されました。そして、中城御殿跡地には県立博物館が建ちました。それから1992年までの50年近く、首里城は再建しようにもできない状態にあったのです。

        今の首里城が完成した時、「首里城再建は県民の悲願だった。」と言われていますが、本当にそうだったのか、やや疑問です。那覇に住みながら、1992年以来、一度も首里城に行ってないウチナーンチュは普通にいますからね。

        沖縄の行政が文化財を大事にしないことは、もう私の中では決着済です。次の疑問は、それがウチナーンチュの意志に反しているのか、反していないのかということ。その辺は微妙です。


        首里城の北、ハンタン山の斜面に、日本軍司令部の地下壕入口があり、鉄格子で厳重に塞いであります。首里城の地下には、今も縦横に地下道が通ってるはずです。首里城に来た観光客は、地面の下にそんなものがあることも知らないでしょう。

        私は沖縄戦の戦跡として、地下壕の一部をきちんと保存すべきだと思いますが、今は、まったくその気配がありません。

        (続く)

        琉球文化の伝承 鎌倉芳太郎さん(4)

        0
          JUGEMテーマ:地域/ローカル

          首里城の解体を阻止した、鎌倉芳太郎さんの沖縄研究は続きます。


          鎌倉さんの研究を加速させる、二つのことがありました。

          一つは、鎌倉さんは那覇に着任して2年の間に、ウチナーグチを完全にマスターしていたことです。沖縄の長老たちが徐々に心を開き、色々なことを彼に話し始めたのです。本土から著名な学者達が、沖縄へやって来ましたが、ウチナーグチを使える人などいません。このことで、鎌倉さんは大きなアドバンテージを持つことになったのですね。

          二つ目は、前の記事にある首里城救出です。このことで、鎌倉さんは尚家から絶大な信頼を得ました。沖縄学の父と言われた伊波普猷(いはふゆう)でさえ、尚家への取材は難しかったようですが、鎌倉さんは、ほぼフリーパスで中城御殿に出入りができたようです。

          鎌倉さんは、中城御殿で写真を撮り、スケッチし、記録を取り続けました。彼の取材ノートは80冊を超えました。また、そのノートの内容は、解剖学をおもわせるような、緻密で正確なものだったそうです。

          沖縄戦で全ての記録が失われた中、東京で保管されていた鎌倉さんの記録が、どれだけ貴重だったか容易に想像がつきますね。

          (続く)

          琉球文化の伝承 鎌倉芳太郎さん(3)

          0
            JUGEMテーマ:地域/ローカル

            鎌倉芳太郎さんの話に戻ります。

            鎌倉さんの沖縄に対する興味は、建築、彫刻、絵画、工芸など多岐にわたりました。そして2年の任期を終え、一旦東京に帰り、母校である東京美術学校の教官となります。

            鎌倉さんの熱心な活動に感銘を受けた、東京美術学校校長が東京帝国大学の伊東教授(建築学の重鎮)を紹介し、以降、二人は共同で沖縄研究を進めることになります。

            1879年の琉球処分後、首里城は荒廃が進んでいました。尚家が中城御殿に移った後、首里城に残っていた物はすべて持ち去られ、内装の板まで外され、正殿内などは見るに堪えない状態になっていたようです。

            昭和の始めころ、とうとう首里城の解体が決まり、工事が着手されました。それを知った鎌倉さんは、伊東教授に連絡し、伊東教授の働きかけにより、首里城正殿は解体直前で、難を逃れることになります。

            そして、その翌年、首里城は一転して国宝の指定を受け、今度は修復工事が施されることになりました。鎌倉さんと伊東教授の連携が、首里城を危機一髪のところで、救ったことになったのです。

            次の古い写真は、当時の修復工事の様子を撮影したものです。

            20120218213041_0.jpg

            正殿に向かって右側、南殿に隣接した場所に、長方形の穴が見えます。ドラマ「テンペスト」で、寧温が御庭から御内原への抜け道に使っていた、暗しん御門(うじょう)です。今の首里城では、まだ復元されていません。

            (続く)

            琉球文化の伝承 鎌倉芳太郎さん(2)

            0
              JUGEMテーマ:地域/ローカル

              鎌倉芳太郎さんは、1921年、沖縄県女子師範学校と沖縄県立第一高等女学校の教師として、那覇に着任しました。

              着任早々、鎌倉さんは、沖縄の文化に魅せられました。時間があればあちこちをうろうろするので、「何にでも興味を持つ芳太郎先生」として、すぐに有名になったそうです。

              女子師範学校と第一高等女学校は、現在の那覇市安里にありました。県の財政難で両校が併設され、教師は掛け持ちをしていたようです。

              話は逸れますが、ひめゆり学徒隊はこの二校の生徒で編成されました。女子師範学校の広報誌の名前が「乙姫」、第一高等女学校の広報誌の名前が「白百合」で、両方を合成した「姫百合」が両校併せた通称になっていたそうです。

              与儀から安里へ抜ける国道330号線をひめゆり通りと呼び、安里川に架かる橋を姫百合橋と呼びます。

              名前の由来は上記のとおりで、花のヒメユリではないのでした。

              また、糸満にある「ひめゆりの塔」は、近くにあった第三外科壕で、ひめゆり学徒隊の多くが命を失ったことから、建立されたものです。

              (続く)

              琉球文化の伝承 鎌倉芳太郎さん(1)

              0
                JUGEMテーマ:地域/ローカル

                紅型の型絵染技術(型紙を用いて絵画的な文様を染めること)で人間国宝に指定された鎌倉芳太郎さん(1898-1983)は、香川県生まれの高校教師でした。

                首里城の再建や紅型の復興は、この方がいなければ難しかったのではないかとさえ、言われています。

                沖縄戦で首里城は焼失しましたが、同時に建物の図面も失われてしまいました。鎌倉さんは、首里城の図面を克明に記録しており、そのノートを本土で保管していたのです。

                また、鎌倉さんは、紅型の型紙も数多く記録しており、戦後、琉球紅型を復興させた知念貞男氏は「芳太郎先生が紅型の価値を見いだし、型紙を丹念に収集・保存してくれていなかったら、紅型の復興はなかった」と言っています。

                そもそも、「紅型」という言葉を使い始めたのは、鎌倉さんだったのです。

                (続く)

                沖縄の手巾(手拭)

                0
                  JUGEMテーマ:地域/ローカル

                  一つ前の記事で、女の子が頭に巻いていた手巾(手拭)。

                  内地の読みでは、しゅきん、てぬぐいになりますが、沖縄では「てぃさーじ、てぃーさーじ」と呼び、いい響きの言葉になります。

                  織物の端布を手巾にするのですが、昔の沖縄では、好きな男性への贈り物でした。内地で、女性がマフラーを編むのと似ていますね。


                  八重山民謡の名曲「月夜浜」を翻訳すると、

                  「島の斜面に広がる綿畑に、夜、月明かりがあたると、まるで砂浜のように見えますね。私は、その綿で、愛する貴方のために布を紡ぎます。貴方はそれを受け取って、私のことをもっと好きになってくれますか?」


                  「いやぁ〜〜ん!!」みたいな歌詞ですが、この布は手巾のことですね。

                  例えば、読谷が産地の布を花織(はなうい)と呼びますが、花織手巾は「はなういてぃさーじ」となり、品物も呼び名も上質感アップです。

                  20120217231501_0.jpg

                  沖縄の民芸品売場などで売っています。今は、男性から女性へのプレゼントに向くかもしれません。値段はまったくピンキリで、用途に合った価格の物が選べます。

                  ちなみに、上の写真の花織手巾は一枚3万円でございます。

                  20120217235907_0.jpg

                  して、こちらはお求めやすく、一枚千円です。

                  「袖結び」と「たすき掛け」

                  0
                    JUGEMテーマ:地域/ローカル

                    疑問に感じることは大切で、ともかく一度、疑問に感じておけば、後日、何かの拍子に正解が分かることがあります。

                    そんなたいそうな前振りをするほどの話でもないのですが、小さなことが、わかりました。


                    昨年の夏、勝連で平敷屋エイサーを見た時の写真です。

                    20110815001302_0.jpg

                    背中にタオルが結んでありますね。汗取りだろうと思います。タオルは緩く結んであるだけなので、着物にはピン留めしてあるんでしょう。

                    で、このタオルの下で、着物の袖がどんな風に留まってるかを、知りたかった。ワタクシは。


                    さっき、劇場版テンペストの評判はどうなのか調べていると、原作者の池上永一さんが「大河ドラマ『琉球の風』では袖がたすき掛けで留めてあったが、テンペストでは琉球方式の袖結びになっていて嬉しかった。」とコメントしていました。

                    なぁ〜るほど。そうだったのか。

                    さっそく、テンペストのサイトを見ると、こんなシーンがありました。

                    寧温が襲われています。周りのお兄ちゃん達は、袖を肩のあたりまでまくっています。

                    20120129204638_0.jpg

                    手前のお兄ちゃんの背中をズームしてみると。ありました。紐が結んであります。

                    20120129204700_0.jpg

                    袖結びは、袖をこのように短い紐で結ぶ方法と、袖と袖を結ぶ方法の2通りがあるそうです。着物の袖が本土より長いってことでしょうか。


                    一応、たすき掛けの復習です。この後、左胸のあたりで紐を結べば完成です。(私ではありません)

                    20120129204804_0.jpg

                    こちらも、写真の方法と、結んだ紐に、後から頭と腕を通す方法があるそうです。

                    慣れない人が後者の方法を採ると、紐が短くて手が下に降りなくなったりして、敵にププッと笑われてしまいます。

                    琉球の文字(3)

                    0
                      JUGEMテーマ:地域/ローカル

                      ドラマ「テンペスト」に登場し、存在感を示した聞得大君。

                      琉球ノロの頂点に君臨する立場ですから、即位式など、多くの儀式が行われていました。その規定集にあたる文書が、「聞得大君御殿並御城御規式之御次第」です。

                      20120129144828_0.jpg

                      同治は中国の年号で、十四年は1875年。尚泰王の琉球国王在位期間が1872年までですから、この年には琉球藩王になっています。

                      20120129144851_0.jpg

                      聞得大君の制度も終わる直前ですから、これは実務書ではなく記録文書のようです。「おもろさうし」と比べると、一目瞭然、漢字の割合が増えています。薩摩が入ってきた後ですから、日本の影響かもしれません。


                      ところで、劇場版「テンペスト 3D」が昨日から全国公開ですね。先行して公開された沖縄では、連日、大盛況のようです。

                      20120129145907_0.jpg

                      ドラマと同じキャストとストーリーのはずなので、3Dで派手になってるんでしょうか。どうも、観に行く気持にならないけど、まあ、評判を聞いてからにしとこか。

                      calendar
                            1
                      2345678
                      9101112131415
                      16171819202122
                      23242526272829
                      << February 2020 >>
                      プロフィール
                      profilephoto


                      念願の沖縄生活を始めて10年になりました。
                      沖縄の生活、文化、風土、音楽、政治などの話題を投稿しています。 (y_mizoguchi@i.softbank.jp)
                      Twitter
                      お勧めの本と映画
                      selected entries
                      categories
                      archives
                      recent comment
                      recent trackback
                      profile
                      search this site.
                      others
                      mobile
                      qrcode
                      powered
                      無料ブログ作成サービス JUGEM