沖縄のガンシナ

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    スーパーのスイカ売り場で、ガンシナを売ってました。

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    ガンシナは髪品。頭に物を載せる時に安定させ、荷重を分散させます。

    昔の沖縄では日常的な風景だったようです。

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    今は、お供え物を安定させるために使います。だから、スイカと一緒に売ってたのですね。

    頭の上で荷物を運ぶことは、東南アジアでは今も日常的ですね。背筋を伸ばさないと安定しませんから、自然と姿勢が良くなります。

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    模合の会費が足りない時は・・・

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      模合(もあい)は休むわけにはいきません。もし、模合の日を忘れたり、当日ドタキャンしたりすると、仲間の誰かが会費を立て替えすることになり、大変に申し訳ないことになります。

      家賃を滞納しようが、安次嶺のおっさんへの払いが滞ろうが、そこは会費優先です。私の友人のウチナーンチュは飲み過ぎをカミさんに怒られて、財布から現金、カードを没収されましたが、模合の会費だけはもらえてるようです。信用問題ですからね。


      ところで先週、私は月末の支払いなどでスッカラカンになり、ナントカ機構から支払われる給与の入金を待っていました。昨年末に倒産した会社の未払い給与を、国が立て替えてくれてるのですね。ありがとうございます。

      ところが、沖縄の労働基準監督署の書類不備だとかで、支払いが数日遅れると連絡があり、「アッホ〜!!身内のチョンボを押し付けてどないすんねん!!」と抗議しましたが、相手はお役所、結果は同じでした。


      こんな時を待っていたかのように、今夜は模合で、やっべー、会費が足りません。

      3秒考えて、模合仲間の弘ちゃんに電話し、「お〜い、今夜貸しといて」と頼んだら、彼女もまたキビシイ状況下にあり「無理、無理。今日はいっちゃんが取る日だから、彼女に頼んだらいいさ〜。」と言っております。

      「なら、エエわ!!」と電話を切った一時間後、弘ちゃんからこんなメールがきました。

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      ウチナーンチュですねぇ。

      まあ、ナイチの感覚だと、電話を切ればそれで終わり。会った時に「ごめんね〜」くらいのもんです。ところが、この弘子おばちゃんは、一時間、どうしたものかと考えてくれていたんですね。

      で、自分がいっちゃんから借りるから、自分の会費をお前が使えと言ってくれてるわけです。

      ゆいま〜るだなぁ。

      琉球文化の伝承 鎌倉芳太郎さん(6)

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        戦前既に、紅型の職人は減り、琉球王朝以来の文化は消滅の危機にありました。鎌倉芳太郎さんは工房を訪ね歩き、秘伝の技を聞き、型紙や色見本を収集していました。

        そして、鎌倉さんに大事件が起きました。東京空襲で自宅が全焼してしまったのです。幸い、彼の貴重な記録は、東京美術大学に保管していたため、戦禍を逃れることができました。

        その時鎌倉さんは、これまでの人生をリセットして、紅型の型絵染を極める決心をしました。この時、彼は46歳。終戦の前の年のことでした。


        沖縄戦で紅型は壊滅的な被害を受けましたが、鎌倉さんが東京で保管していた記録や型紙が役にたちました。そして、鎌倉さん自身も紅型の職人として、戦後の紅型復興の一員に加わったのです。

        1973年、鎌倉さんが75歳の時、型絵染技術が認められ、彼は人間国宝に認定されました。

        鎌倉さんが人間国宝に認定されたことは、もちろん素晴らしいことですが、沖縄の文化伝承に貢献したのは、彼の残した記録でした。首里城の再建も紅型の復興も、その記録が無ければ、実現しなかったかもしれません。

        鎌倉さんの記録(写真、資料、メモなど)は、国の重要文化財に指定されました。それは鎌倉さんにとって、人間国宝の認定よりも嬉しいニュースだったかもしれません。

        (終わり)

        琉球文化の伝承 鎌倉芳太郎さん(5)

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          ところで、この記事の最初にくるるんしーさんがコメントをくれたように、沖縄における鎌倉芳太郎の知名度は、今ひとつの感があります。私が沖縄に来て2年半、彼の名前を聞いたのは一度だけです。

          言い方を変えると、ウチナーンチュは首里城をどう思っているのか、ということになります。

          鎌倉さんが解体を阻止した後、沖縄戦で首里城は完全に焼失しましたが、終戦後、跡地には琉球大学が建設されました。そして、中城御殿跡地には県立博物館が建ちました。それから1992年までの50年近く、首里城は再建しようにもできない状態にあったのです。

          今の首里城が完成した時、「首里城再建は県民の悲願だった。」と言われていますが、本当にそうだったのか、やや疑問です。那覇に住みながら、1992年以来、一度も首里城に行ってないウチナーンチュは普通にいますからね。

          沖縄の行政が文化財を大事にしないことは、もう私の中では決着済です。次の疑問は、それがウチナーンチュの意志に反しているのか、反していないのかということ。その辺は微妙です。


          首里城の北、ハンタン山の斜面に、日本軍司令部の地下壕入口があり、鉄格子で厳重に塞いであります。首里城の地下には、今も縦横に地下道が通ってるはずです。首里城に来た観光客は、地面の下にそんなものがあることも知らないでしょう。

          私は沖縄戦の戦跡として、地下壕の一部をきちんと保存すべきだと思いますが、今は、まったくその気配がありません。

          (続く)

          琉球文化の伝承 鎌倉芳太郎さん(4)

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            首里城の解体を阻止した、鎌倉芳太郎さんの沖縄研究は続きます。


            鎌倉さんの研究を加速させる、二つのことがありました。

            一つは、鎌倉さんは那覇に着任して2年の間に、ウチナーグチを完全にマスターしていたことです。沖縄の長老たちが徐々に心を開き、色々なことを彼に話し始めたのです。本土から著名な学者達が、沖縄へやって来ましたが、ウチナーグチを使える人などいません。このことで、鎌倉さんは大きなアドバンテージを持つことになったのですね。

            二つ目は、前の記事にある首里城救出です。このことで、鎌倉さんは尚家から絶大な信頼を得ました。沖縄学の父と言われた伊波普猷(いはふゆう)でさえ、尚家への取材は難しかったようですが、鎌倉さんは、ほぼフリーパスで中城御殿に出入りができたようです。

            鎌倉さんは、中城御殿で写真を撮り、スケッチし、記録を取り続けました。彼の取材ノートは80冊を超えました。また、そのノートの内容は、解剖学をおもわせるような、緻密で正確なものだったそうです。

            沖縄戦で全ての記録が失われた中、東京で保管されていた鎌倉さんの記録が、どれだけ貴重だったか容易に想像がつきますね。

            (続く)

            琉球文化の伝承 鎌倉芳太郎さん(3)

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              鎌倉芳太郎さんの話に戻ります。

              鎌倉さんの沖縄に対する興味は、建築、彫刻、絵画、工芸など多岐にわたりました。そして2年の任期を終え、一旦東京に帰り、母校である東京美術学校の教官となります。

              鎌倉さんの熱心な活動に感銘を受けた、東京美術学校校長が東京帝国大学の伊東教授(建築学の重鎮)を紹介し、以降、二人は共同で沖縄研究を進めることになります。

              1879年の琉球処分後、首里城は荒廃が進んでいました。尚家が中城御殿に移った後、首里城に残っていた物はすべて持ち去られ、内装の板まで外され、正殿内などは見るに堪えない状態になっていたようです。

              昭和の始めころ、とうとう首里城の解体が決まり、工事が着手されました。それを知った鎌倉さんは、伊東教授に連絡し、伊東教授の働きかけにより、首里城正殿は解体直前で、難を逃れることになります。

              そして、その翌年、首里城は一転して国宝の指定を受け、今度は修復工事が施されることになりました。鎌倉さんと伊東教授の連携が、首里城を危機一髪のところで、救ったことになったのです。

              次の古い写真は、当時の修復工事の様子を撮影したものです。

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              正殿に向かって右側、南殿に隣接した場所に、長方形の穴が見えます。ドラマ「テンペスト」で、寧温が御庭から御内原への抜け道に使っていた、暗しん御門(うじょう)です。今の首里城では、まだ復元されていません。

              (続く)

              琉球文化の伝承 鎌倉芳太郎さん(2)

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                鎌倉芳太郎さんは、1921年、沖縄県女子師範学校と沖縄県立第一高等女学校の教師として、那覇に着任しました。

                着任早々、鎌倉さんは、沖縄の文化に魅せられました。時間があればあちこちをうろうろするので、「何にでも興味を持つ芳太郎先生」として、すぐに有名になったそうです。

                女子師範学校と第一高等女学校は、現在の那覇市安里にありました。県の財政難で両校が併設され、教師は掛け持ちをしていたようです。

                話は逸れますが、ひめゆり学徒隊はこの二校の生徒で編成されました。女子師範学校の広報誌の名前が「乙姫」、第一高等女学校の広報誌の名前が「白百合」で、両方を合成した「姫百合」が両校併せた通称になっていたそうです。

                与儀から安里へ抜ける国道330号線をひめゆり通りと呼び、安里川に架かる橋を姫百合橋と呼びます。

                名前の由来は上記のとおりで、花のヒメユリではないのでした。

                また、糸満にある「ひめゆりの塔」は、近くにあった第三外科壕で、ひめゆり学徒隊の多くが命を失ったことから、建立されたものです。

                (続く)

                琉球文化の伝承 鎌倉芳太郎さん(1)

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                  紅型の型絵染技術(型紙を用いて絵画的な文様を染めること)で人間国宝に指定された鎌倉芳太郎さん(1898-1983)は、香川県生まれの高校教師でした。

                  首里城の再建や紅型の復興は、この方がいなければ難しかったのではないかとさえ、言われています。

                  沖縄戦で首里城は焼失しましたが、同時に建物の図面も失われてしまいました。鎌倉さんは、首里城の図面を克明に記録しており、そのノートを本土で保管していたのです。

                  また、鎌倉さんは、紅型の型紙も数多く記録しており、戦後、琉球紅型を復興させた知念貞男氏は「芳太郎先生が紅型の価値を見いだし、型紙を丹念に収集・保存してくれていなかったら、紅型の復興はなかった」と言っています。

                  そもそも、「紅型」という言葉を使い始めたのは、鎌倉さんだったのです。

                  (続く)

                  沖縄の手巾(手拭)

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                    一つ前の記事で、女の子が頭に巻いていた手巾(手拭)。

                    内地の読みでは、しゅきん、てぬぐいになりますが、沖縄では「てぃさーじ、てぃーさーじ」と呼び、いい響きの言葉になります。

                    織物の端布を手巾にするのですが、昔の沖縄では、好きな男性への贈り物でした。内地で、女性がマフラーを編むのと似ていますね。


                    八重山民謡の名曲「月夜浜」を翻訳すると、

                    「島の斜面に広がる綿畑に、夜、月明かりがあたると、まるで砂浜のように見えますね。私は、その綿で、愛する貴方のために布を紡ぎます。貴方はそれを受け取って、私のことをもっと好きになってくれますか?」


                    「いやぁ〜〜ん!!」みたいな歌詞ですが、この布は手巾のことですね。

                    例えば、読谷が産地の布を花織(はなうい)と呼びますが、花織手巾は「はなういてぃさーじ」となり、品物も呼び名も上質感アップです。

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                    沖縄の民芸品売場などで売っています。今は、男性から女性へのプレゼントに向くかもしれません。値段はまったくピンキリで、用途に合った価格の物が選べます。

                    ちなみに、上の写真の花織手巾は一枚3万円でございます。

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                    して、こちらはお求めやすく、一枚千円です。

                    「袖結び」と「たすき掛け」

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                      疑問に感じることは大切で、ともかく一度、疑問に感じておけば、後日、何かの拍子に正解が分かることがあります。

                      そんなたいそうな前振りをするほどの話でもないのですが、小さなことが、わかりました。


                      昨年の夏、勝連で平敷屋エイサーを見た時の写真です。

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                      背中にタオルが結んでありますね。汗取りだろうと思います。タオルは緩く結んであるだけなので、着物にはピン留めしてあるんでしょう。

                      で、このタオルの下で、着物の袖がどんな風に留まってるかを、知りたかった。ワタクシは。


                      さっき、劇場版テンペストの評判はどうなのか調べていると、原作者の池上永一さんが「大河ドラマ『琉球の風』では袖がたすき掛けで留めてあったが、テンペストでは琉球方式の袖結びになっていて嬉しかった。」とコメントしていました。

                      なぁ〜るほど。そうだったのか。

                      さっそく、テンペストのサイトを見ると、こんなシーンがありました。

                      寧温が襲われています。周りのお兄ちゃん達は、袖を肩のあたりまでまくっています。

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                      手前のお兄ちゃんの背中をズームしてみると。ありました。紐が結んであります。

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                      袖結びは、袖をこのように短い紐で結ぶ方法と、袖と袖を結ぶ方法の2通りがあるそうです。着物の袖が本土より長いってことでしょうか。


                      一応、たすき掛けの復習です。この後、左胸のあたりで紐を結べば完成です。(私ではありません)

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                      こちらも、写真の方法と、結んだ紐に、後から頭と腕を通す方法があるそうです。

                      慣れない人が後者の方法を採ると、紐が短くて手が下に降りなくなったりして、敵にププッと笑われてしまいます。

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                      念願の沖縄生活を始めて10年になりました。
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